黒田官兵衛とは
黒田官兵衛は、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康と三英傑を渡り歩き、秀吉の参謀として主君・秀吉を天下人にし、その頭の良さから秀吉に恐れられた人物である。
戦国時代、戦に明け暮れる武将たちは何かと物入りだった。
予定通り戦が起きればいいのだが、日々戦況は変化し、突発的な対応に迫られることもしばしばあった。
いざという時に莫大な戦費を用立てるためには、大名といえども日頃、節約・倹約をしなければならなかったのである。
今回は戦国武将の知恵袋!黒田官兵衛に学ぶ倹約術について解説したい。
瓜
官兵衛は質素倹約の鬼という感じではなく、日頃からしっかりと倹約をして、必要な時には心置きなく使うというメリハリ型の節約家・倹約家であった。
「瓜(うり)」が出る季節になると、官兵衛のところには家臣や町の者などが献上した瓜が一斉に集まってきたという。※『名将言行録』
官兵衛は仕えている小姓たちにその瓜を食べさせたが、その方法は変わっていた。
「厚く皮をむけ」と指示したのである。
皮を厚くむかせると、当然中身は少なくなってしまう。
指示された者たちも困って、官兵衛にこう訴えた。
「瓜が小さいため、厚くむいては食べるところが少なくなります」
すると官兵衛は台所の賄人を呼び「あの瓜の皮を塩漬けにせよ。台所で飯を食う時に菜がない者が多いが、その者たちの菜にさせよ。それから茄子などの皮や、その他の野菜の切れ端や魚の骨なども捨てずにそれぞれこしらえておき、菜のない者に食わせよ」と指示した。
こうして今まで塩汁だけだった者でも、菜にありつけるようになったという。
普通であれば、皮を厚くむくのは勿体ないと感じてしまう。
しかし、官兵衛はその前提から違ったのだ。
官兵衛からすれば「食べ物は丸ごと利用する、捨てるところなど一切ない」という考え方が当たり前だったのだ。
官兵衛からすれば美味しく食べることよりも、少しでも多くの人たちが「菜のある食事」にありつけることが、重要だったのである。
払い下げる
官兵衛の独特のポリシーは、「持ち物」においてもいかんなく発揮された。
官兵衛は古い物を良く使っていたという。
しかし、どんな品でも長い間持つということはしなかった。
倹約家であれば「長持ち」が美徳なイメージがあるが、官兵衛はその品々をどこへやっていたのだろうか。
官兵衛は、近習の者たちに払い下げていたという。
つまり、自分の使っていたお古の品を家臣たちに渡して、その代わりに金を取っていたのだ。
例えば、羽織などは150文や200文、足袋も相応の値段で払い下げていた。
さすがにこれは家臣たちもケチくさいと思ったのか、1人の家臣が官兵衛に
「わずかな銭のためにお払い下げなくても、ただ拝領を命じればよいのでは?」
と申し上げた。
すると官兵衛は笑ってこう答えた。
「人は物を貰うのと、自分で買うのではどちらが嬉しいか」
「貰った者は喜ぶであろうが貰わぬ者は恨むであろう。だからといって功のない者にもやれば功のある者は働き甲斐がない。だから物をやりたいと思う時は、安く払い下げるのだ」
官兵衛はさすが人の上に立つ人物である。
安易に多くの者に分け与えることは、かえって害悪になることを知っていたのだ。
その位の配慮に気が回らぬようであれば、きめ細やかな領国経営などできるものではない。
しかし、この「払い下げ」には後日談がある。
ある時、官兵衛はある近習に革の足袋を5文で払い下げた。
さらに面倒見のいい官兵衛は、革の足袋の洗濯の仕方まで伝授した。
近習は教えられたとおりに洗濯し、綺麗になった足袋を履いて官兵衛の前に現れた。
その足袋が思った以上に綺麗で立派になっているのを見た官兵衛は、なんと惜しくなって「その足袋を返してくれ」と言ったという。
するとその近習は「かしこまりました。しかしだいぶ時間もかかりましたので値段はかなり高くなっております。新しくお買いになった方が良いかと存じます」と答えた。
これには、さすがの官兵衛も「最もである」納得したという。
主君も家臣も立場を超えて、このように切磋琢磨して倹約術を磨いていたのだ。
参考 : 『名将言行録』
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