刀を見れば人が分かる
戦国大名の武将にとって「刀」は自分の命運を左右する重要な物の一つである。
もちろん、彼らにすればそのこだわりも強かったはずだ。
種類や長さ、刀工、製法、デザインなど自分好みの刀を追求したものと思われる。
当時は「刀を見れば、人となりが分かる」とも言われていた。
豊臣秀吉は優れた観察力を持ち、個性豊かな様々な刀の持ち主を言い当てたという。
今回は、五大老の刀を間違えることなく言い当てた秀吉の人間観察力について触れていきたい。
秀吉の観察眼
「人たらし」と呼ばれた秀吉は、人間観察力に物凄く優れていた。
秀吉は伏見城において、五奉行の一人・前田玄以の前で、五大老の刀の持ち主を間違えることなく全て言い当てたという逸話がある。
これには前田玄以も非常に驚き「神智の持ち主」と主君・秀吉を改めて大絶賛したという。
この逸話は具体的には以下である。
豊臣政権の話し合いをするために伏見城に集められた五大老と五奉行。
秀吉は、その一人・前田玄以と一緒に歩きながら、五大老の刀が並んでいるのを見た。
そして秀吉は五本の刀の持ち主を全て言い当て、前田玄以にその理由を語ったのである。
まずは宇喜多秀家である。
宇喜多秀家は幼い頃に父・直家を亡くして秀吉の庇護を受け、秀吉の養女・豪姫を娶っている。
秀吉は秀家を小さい頃から可愛がり、その性格を良く分かっていた。
そして、「秀家は美麗な物を好む性格なので、五本並んでいる中で最も金装の刀が秀家の刀だ」と最初に見事に言い当てたのだ。
次は上杉景勝である。
景勝の叔父(養父)であった上杉謙信は有名な愛刀家・鑑定家として知られ、養子である景勝も同じく刀好きであった。
景勝はお気に入りの刀剣を選び、自ら「上杉家御手選三十五腰」という名刀リストを作成していた。
養父の謙信が長刀を好んだことを知っていた秀吉は、景勝も同様に長刀を好むと見抜き、「5本の刀の中で一番長い刀が景勝の刀だ」と言い当てたのだ。
次は前田利家である。
前田利家は、秀吉が若い頃に隣に住むほど仲が良く、秀吉は利家の性格について知り尽くしていた。
「利家は又座衛門と言った頃から魁殿(かいでん)」
つまり、「利家は、さきがけとしんがりの武功によって今は大国を領している。そのため昔を忘れずにその頃から柄に革を巻いているから、この革が巻かれた刀だ」と言い当てた。
次は毛利輝元である。
輝元は、秀吉の中国大返しの際には、すぐに講和条約に応じて追撃もしなかった。
これは小早川隆景のおかげだが、秀吉は輝元が温厚な性格だと知っていた。
さらに、輝元は異風好みであることを知っていたので、5本の刀の中で一風変わった飾りのある刀が輝元の刀だと言い当てた。
最後は徳川家康である。
5本中4本が分かれば、必然的に残りの1本が家康の刀だと分かるのは当たり前なのだが、家康の刀にも人間性を示す特徴があった。
秀吉と家康は小牧・長久手の戦いで直接対峙して以来、お互いを認め合う特別な関係であった。
そして秀吉は、家康の実力を知っていた。
秀吉は、一番装飾や美麗がない普通の刀を指して
「家康は大勇で、一剣を頼りにするような気持ちはない。だから別に取り繕うこともなく、また人の目を引くような刀でないものこそ、家康の志に叶っているものだ」
と、特徴を述べたのである。
敵味方全てを知る
秀吉は、戦国時代に何があっても不思議ではないと、敵も味方も良く見て研究していた。
かつての主君・信長が最も恐れた武田信玄と上杉謙信についてはこう語っている。
「信玄・謙信、両坊主とも早く死んで外聞が良いことぞ。もし今まで生きておれば、わしの乗り物の先に立ち朱傘を持たせ上洛させたのに、早く死んだために一段と幸せだった」
秀吉がこんな軽口を叩くのは、この二人の実力を認めていた裏返しである。
戦う前に敵を知ることはとても大事なことである。
そして味方についてもしっかりと性格や行動を理解することが大事だということを、秀吉は教えてくれている。
参考 :家康公伝3【逸話編】
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