幕末明治

大政奉還後の徳川慶喜と戊辰戦争

大政奉還の狙い

大政奉還後の徳川慶喜と戊辰戦争

※「大政奉還図」wikiより

徳川慶喜は15代将軍に就任して1年足らずで朝廷に政権を返上した。

1866年に政権を返上した出来事を大政奉還という。岩倉具視ら討幕派に倒幕の密勅が下ったという知らせが慶喜に入り、土佐藩の山内容堂後藤象二郎が政権を返上するように進言したことで、慶喜は政権を返上することを決意した。

大政奉還によって、倒幕の密勅が下った討幕派の関心をそらすことが狙いであると言われている。徳川慶喜は政権を自ら返上することによって朝廷内で政治に参加し、発言権を強めることができると考えたようだ。

ところが、若かった明治天皇をトップとする新しい政権が樹立した。この出来事を王政復古の大号令という。

この新政権については、幕府と朝廷を廃止して総裁・参与・議定の三職を置き、薩摩藩や長州藩など有力な代表を付けることを決めた。旧江戸幕府から松平春嶽がポストにつくことはできたが、徳川慶喜抜きで強引に決めたこと、新政府が官職・領地を天皇に返還させること(辞官納地)を小御所会議で決めるなど、幕府側は追い詰められていった。

この会議で決まったことに対して旧幕府側は反発し、新政府軍と旧幕府軍との戦いにつながっていく。

明治新政府と旧幕府軍との戦い

※鳥羽伏見の戦い wikiより

1868年1月から1869年まで明治新政府軍と旧幕府軍との戦いが始まる。この一連の戦いを戊辰戦争という。

最初は1868年1月に京都の鳥羽・伏見の戦いである。この戦いで旧幕府軍は敗北した。徳川慶喜と松平容保ら幕閣は鳥羽・伏見の戦いの直前に、深夜に大坂城を抜け出して軍艦で江戸城に向かっていた。この戦いで明治新政府軍が勝利すると、慶喜追討令が出され、江戸城に向けて進軍する。

退却した徳川慶喜は徳川宗家を守るために恭順の意思を示すことを決意する。交渉を勝海舟に任せ、寛永寺において謹慎した。そして勝海舟と新政府軍の西郷隆盛との交渉によって江戸城開場が決まった。この出来事を江戸城無血開城という。

慶喜は戊辰戦争が終結するまで謹慎生活をつづけたと言われている。

※1865年型ガトリング砲 wikiより

江戸城無血開城後の戦いについては、東北の諸藩が中心となった奥羽越列藩同盟が結成された。この同盟で越後国の長岡藩にはガトリング砲があった。河合継之助がガトリング砲を用いて明治新政府軍に抵抗するが、戦いに敗れた。

その後、明治新政府軍は会津藩の松平容保と戦った。この会津藩での新政府軍と旧幕府軍との戦いを会津戦争という。

この戦争において、白虎隊の悲劇や女子が自刃するなど数多くの悲劇が生まれた。8月21日から約1か月間、昼夜問わず会津の鶴ヶ城に砲弾が撃ち込まれたという記録が残っている。9月22日に会津藩が降伏し、会津戦争が終わった。

戊辰戦争の最後の戦争である五稜郭の戦いでは、旧幕府軍の大将が榎本武揚で、戦いの中には新選組の土方歳三がいた。五稜郭では明治新政府とは異なる独立政府を樹立する動きがあったとも言われている。

明治新政府軍に最後まで抵抗していたが、土方歳三が戦死すると求心力が落ち、降伏した。

大政奉還後の徳川慶喜

※狩猟姿の慶喜 wikiより

大政奉還後、徳川慶喜は明治新政府に加わることができず、戊辰戦争が終るまでの間謹慎生活を送っていた。

戊辰戦争が終わり、謹慎処分が解除されると静岡に移り住んだという記録が残っている。静岡に住んでから、写真・狩猟・囲碁・謡曲など多趣味で、亡くなるまで趣味三昧の生活を送った。写真については鉄道写真や写真集にも慶喜が撮った写真を載せていたという記録も残っている。

戊辰戦争後しばらくの間静岡に移り住んでいたが、貴族院議長に就任すると東京に移り住み大政奉還後初めて明治天皇に拝謁している。

貴族院議長を退任すると趣味三昧の生活を楽しむ余生を送った。

 

  • Xをフォロー
  • Threadsをフォロー
好きなカテゴリーの記事の新着をメールでお届けします。下のボタンからフォローください。

officehiguchi

投稿者の記事一覧

主に戦国時代を中心とした広範囲な知識の記述が得意

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く
Audible で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 夏目漱石の生涯をわかりやすく解説 「神経質で短気だった」
  2. 「新選組」誕生の地から、鳥羽伏見の戦い前夜までの軌跡を歩く『京都…
  3. 日本の混浴文化が消えたのは、幕末に外国人がジロジロ見たせいだった…
  4. なぜ静岡県が「お茶」の名産地になったのか?
  5. 大山巌 〜日露戦争で満州軍総司令官を務めた西郷隆盛の従兄弟
  6. 西郷隆盛が西南戦争でなぜ戦ったのか調べてみた
  7. かつて台湾を蝕んでいた『アヘン問題』日本はどうやって根絶に成功し…
  8. 橋本佐内 ~26才で処刑された幕末の天才

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

【花魁から夜鷹まで】 春を売った女性たちの値段はいくらだったのか?

幕府公認の吉原遊郭は、格式高く洗練された美女が多いことで有名で、最盛期には6000人を超える遊女がい…

台湾の小さな吸血鬼・小黒蚊の被害者に朗報!? 「ワクチンパッチが開発中」

小黒蚊とは?みなさんは、台湾に生息する小黒蚊(シャオヘイウェン)をご存知だろうか。…

タラワの戦い 「アメリカ軍から “恐怖のタラワ” と恐れられた日本軍守備隊」

太平洋戦争において、日本とアメリカは各地で激戦となった。特に、映画でも描かれた「硫黄…

初期の島津氏 ~鎌倉時代から室町時代まで

はじめに丸に十字の家紋として薩摩国(現在の鹿児島県)の島津氏は知られている。島津氏は…

【作品との落差が酷すぎる男】 石川啄木の破滅的すぎる性格と優れた歌とのギャップ

石川啄木といえば、貧しさや家族愛の歌を多く残した天才詩人です。100年以上前の作品ですが、今…

アーカイブ

人気記事(日間)

人気記事(月間)

人気記事(全期間)

PAGE TOP