江戸時代

客回転率は悪いけど…江戸時代の蕎麦屋が生き延びた意外な経営戦略

いきなりですが、気の乗らないお食事の誘い、あなたならどうしますか?

「訊くまでもない。そんなの断ればいいでしょ」

確かにそうなんですが、上司や得意先など、なかなかそうも言いにくい相手を想像して下さい。

江戸の蕎麦屋は、現代よりものんびりだった?

そんな時、おすすめの選択肢として紹介された一つが「蕎麦(そば)屋」をリクエストすること(できる状況なら、ですが)。

なぜ蕎麦か?蕎麦をはじめとする麺類は、時間をかけているとのびてしまうので、出されたらすぐに食べる必要があります。つまり、長話を聞かされなくて(あるいは話題を振らなくて)すむ可能性が高まります。

また、パスタや饂飩(うどん)に比べて茹で時間が短いため、注文してから出てくるまでの時間もあまり待たされません。

「へい、天蕎麦いっちょうお待ち!」

「さ、課長。蕎麦がのびてしまうので、お先にどうぞ……」

蕎麦であれば、もし自分のが先に来てしまっても、早々に食べ始めてよい暗黙のルールが……もし認められないようなら、上司の注文したものより少し時間のかかりそうなメニューを選ぶなどの工夫が必要です。

また、蕎麦屋はお客の回転率が比較的高く、店が混んでいれば「他のお客さんが待っていますから……」と言い、空いていても「長尻(ながっちり。長時間滞在)も野暮ですから……」と言えば、席を立つタイミングも掴みやすいでしょう。

お会計は割り勘するのしないの、嫌な食事をつき合ってやったのだから、奢ってもらってちょうどトントンくらいですが、ともあれ店を出たら、

「美味しかったですね!それではまた!」

と笑顔でお別れできれば、こちらのダメージは最小限に抑えつつ、向こうの好感度だってそうは悪くなるまいというものです。

……とまぁ、とかく「何事につけても早く済ませられる」というのが蕎麦屋の魅力の一つですが、江戸時代の蕎麦屋は、必ずしもそうではなかったと言います。

「え?江戸っ子なんて現代人よりもっとせっかちそうだけど……」

いったい、どんな具合だったのでしょうか。

居心地の良さが売り?客回転率よりも客単価を重視した、江戸の蕎麦屋の生存戦略

江戸時代の末期に書かれた『守貞漫稿(もりさだまんこう)』という生活文化事典によれば、江戸の蕎麦屋は3,763軒(屋台を除く)。店舗密度は一町(約108m)四方≒約0.01ヘクタールで2軒という大激戦区でした。

どこに行っても、蕎麦屋の暖簾はついてくる?(イメージ)

現代だったらたちまち淘汰の嵐だったでしょうが、それでも多くの蕎麦屋が存続できていたのは、江戸っ子の外食文化と、蕎麦屋の懐深さ?ゆえでしょうか。

 

こんなにたくさん蕎麦屋があると、たいてい空いているから、自然とヒマ人のたまり場になっていきます。

現代の飲食店なら即座に追い出されてしまうでしょうが、どうせスペースが空いているのだし、ダラダラさせておけばその内いつか腹が減って蕎麦でも食ってくれるだろう……実際、雨宿りで入ったついでのお客なども多かったそうです。

上がり框(かまち)に将棋盤なんか置いてあれば、気の合う同士でちょっと一局……とまぁダラダラ遊んでいればやがて日も暮れ、夜まで粘れば酒も呑んで肴もつけて……客回転率は低いけれど、ジワジワとお金を落として客単価は上がっていきます。

もちろん、評判の名物店なんかではそうも行かず、どんどんお客の回転率を上げる経営をしたのでしょうが、そう流行りもしないお店では、あえてダラダラと長居させ、回転率を落としながらも単価を上げる、そんな「ご近所のコミュニティ拠点化」作戦で生き延びるのでした。

中にはダラダラと遊ぶだけ遊んだ挙げ句、何も飲み食いせずに帰る手合いもいなかったではないのでしょうが、それをいちいち咎めるよりも、お金を落としてくれるお得意に期待できるだけの人の出入りが、当時の江戸にはありました。

食って喋って、ダラダラくつろぐ常連たち(イメージ)。『大晦日曙草紙』より

まぁ、土地代だの税金だのといった固定費が現代ほどシビアでなく、また店主が自分ひとり食っていける程度の稼ぎがあればいいや……という時代だったから許されたある種のスローライフ(スロービジネス?)ですが、何かとあくせく気味な現代人には、何かのヒントになるかも知れません。

しかし、こんな蕎麦屋に嫌な相手と一緒に入ったら、さっさと食事を済ませるどころか「まぁ将棋でも指して行こう……何、ルールを知らない?それなら教えてあげようさぁさぁ……」なんてことになりかねませんね。

もしそんなことになったら、腹をくくって相手の懐に飛び込んでしまうのも一策……将棋のように一手々々熟考しながら、のんびり腹の減るのを待つとしましょう。

終わりに

「王手、飛車取り!」

「う~ん……」

「アンタら、そろそろ縄(なわ。蕎麦の隠語)の一つも手繰ったら(食ったら)どうだね」

「待ってくれよ。この勝負がついたら、負けた方の奢りなんだから……」

蕎麦を食いに来たのか、将棋を指しに来たのか(イメージ)

そんな調子だから、いつまで経っても繁盛しないんだと思ってしまうものの、昔はなんかこう、のんびりした空気が漂っていたように思います。

蕎麦はのびない内にサッサと平らげてしまいたいものですが、忙しい日常の中でも蕎麦を楽しむゆとりは持ちたいものです。

※参考文献:
藤村和夫『蕎麦屋のしきたり (生活人新書)』NHK出版、2009年2月

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角田晶生(つのだ あきお)

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フリーライター。日本の歴史文化をメインに、時代の行間に血を通わせる文章を心がけております。(ほか不動産・雑学・伝承民俗など)
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