江戸時代

【世界が驚いた100万人都市】 江戸の人たちの暮らしの知恵 「超リユース社会だった」

およそ260年という泰平の世が続いた江戸時代。

その中心となった「江戸」は、江戸時代中期には1,600以上の町が出来て、人口100万人を超える当時世界一の都市であった。

都市化が進んだことで、貧困や飢餓など現在でも世界中が抱えている問題も起きたが、江戸の町に暮らした人々は様々な知恵を用いてそれらを解決したという。

今回は江戸の庶民(町人)たちの生活や暮らしの知恵について、前編と後編にわたって解説する。

住居

江戸の人たちの暮らしの知恵

画像 : 江戸後期、江戸深川の長屋(深川江戸資料館) wiki c DryPot

江戸時代、多くの町人たちが暮らしていたのがTVドラマなどでよく登場する「長屋」である。

長屋以外の住まいはなかったのであろうか?」と思うほどに庶民のほとんどが長屋住まいであった。

江戸時代、土地は基本的には全て幕府の所有地で、個人は土地を持ってはいなかった。
幕府が大名に土地を貸し、大名は地主などに貸し、地主はそこに長屋を建てて庶民に貸すという図式だった。

つまり、一般庶民にとって土地は借りるものであり財産ではなかったのである。

しかし例外もあり「町人地」と呼ばれる地域は土地の私有が認められ売買もできたが、建物の価値はほとんど認められてはいなかった。

町の表通りに面していたのは「表長屋」とか「表店」と呼ばれた2階建ての建物で、1階が商店で2階が住居になっていた。
その裏手に建っていたのが「裏長屋」とか「裏店」と呼ばれた平屋で、表長屋よりも安く庶民の多くはここで暮らしていた。

その間取りは間口9尺の奥行2間で俗に「9尺2間」と呼ばれる3坪ほどの広さで、6畳一間に竈(かまど)と流しがついた土間がある狭小住宅だった。

そこに暮らした町人たちのほとんどは裕福ではなく、質素な生活で物を大切にしていたのである。

様々な職業

だが江戸の町人たちには貧しい暮らしが生んだ長屋の知恵があった。

1つ目は、今で言う「リユース」である。

江戸っ子たちは壊れたからといってすぐに物を捨てないのが当たり前、何度でも修理して使っていた。
そのために様々な修理業者が町を行き来して、家に来てさっとその場で直してくれていた。

江戸の人たちの暮らしの知恵

画像 : 焼き継ぎ屋イメージ

例えば「焼きつぎ屋」という修理業者は、「焼きつぎ」という方法で割れた陶器を直してくれた。
修理に使うのは、鉛ガラスの粉末と「ふのり」という海藻を混ぜた液体で、それらを使って修理した。
修理をする人が多かったので、江戸の町では陶器の新品はあまり売れなかった。

下駄の歯入れ屋」という業者は、壊れた下駄や鼻緒が切れた物を修理してくれた。
提灯の張替え屋」は、提灯の張替えや修理、屋号を提灯に書く仕事であった。

江戸の町で一番重宝がられたのは、鍋や釜などの鋳物製品の修理をする「鋳掛屋 : いかけや」であった。

江戸の人たちの暮らしの知恵

画像 : 明治・大正期の鋳掛屋(日下部金兵衛撮影)

当時の鍋や釜は盗賊が盗むほどの貴重品だったため、穴が開いても容易に捨てずに鋳掛屋に修理を頼んだという。

他には、キセルを修理する「羅宇屋」、そろばんを修理する「そろばん直し屋」、家庭から出た灰を集めて販売する「灰買い」、鉄の廃品回収業者「取替兵衛(とっかえべえ)」と呼ばれる業者は、子供たちが持って来た使い古した鍋や釜などを飴やおもちゃと交換していた。

紙は江戸時代にはとても高価で、使い古した紙を買う「紙屑買い」という業者は、古紙を細かくして釜で煮て再生紙が作っていた。
また「おちゃない」と呼ばれた女性たちは、家庭から出た髪の毛を買い求めて、それを集めてつけ毛やかつらに利用した。

離婚や隠居でいらなくなった古着・古道具・屑などの品物を安く値踏みして何でも買い取ってくれる「見倒し屋」という職業もあった。

江戸の町には独身の男性が多く入って来たので、生活に必要な布団・鍋・釜・着物など何でもレンタルできる「損料屋」もあった。長屋の大家が紹介してくれたそうだ。

このように物を大切にし何度でも修理して使う「リユース」を駆使して、庶民たちは貧しい暮らしを乗り切っていたのだ。

江戸の庶民が最も「リユース」したものは着物だった。

着物の新品はとても高価でなかなか買うことができず、江戸には神田川沿いに「古着屋」が数多くあり、そこで買ってきた着物を縫い合わせて着ていた。
余った布地などは子供のために使い、それ以外は下駄の鼻緒にし、最後は薪の炊きつけにと全部無駄なく使ったという。

江戸の町は、まさに循環型のリサイクル社会だったのである。

ここまでは主に庶民目線の江戸時代の生活の知恵だったが、後編では幕府側からの視点で解説する。

関連記事 : 後編~【世界が驚く100万人都市だった江戸】 世界最高水準の識字率だった

参考文献 : 環境先進国・江戸 (読みなおす日本史)

 

rapports

投稿者の記事一覧

草の実堂で最も古参のフリーライター。
日本史(主に戦国時代、江戸時代)専門。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く
Audible で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 浜松城へ行ってみた【続日本100名城 観光】
  2. イメージとは少し違う? 宮本武蔵の真の姿とは
  3. 小栗仁右衛門 ~「柔術と剣術を合わせた小栗流の祖」龍馬も学んだ剣…
  4. 空論(うつろ)屋軍師 江口正吉【信長や秀吉が称賛した丹羽家の猛将…
  5. 琉球王国と首里城の歴史について解説 ①
  6. 「徳川家に不幸をもたらした」 妖刀・村正
  7. 杉田玄白は実はオランダ語ができなかった【解体新書の翻訳者】
  8. 天才と評された柳生新陰流最強剣士・柳生連也斎

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

【大河べらぼう】江戸庶民が楽しんだ戯作(げさく)とは何? 調べてみました!

令和7年(2025年)NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華之夢噺~」、皆さんも楽しみにしていますか?…

悪党は五度死ぬ?平安時代、天下を騒がせた「悪対馬」源義親とその名を継いだ者たち

古今東西、非業の死を惜しまれた者はとかく生存説がささやかれるもの。有名なところでは源義経(み…

「蘇我入鹿の眠る場所はここか?」奈良の菖蒲池古墳に行ってみた

仕事を含め、プライベートでも奈良を訪れることが多い筆者が、奈良の昔と今を歴史を軸に紹介する紀行シリー…

未来への投資 2021NFLドラフト2日目

2日目も盛り上がるNFLドラフト4月29日から5月1日までの3日間に渡って行われたNFL…

始皇帝の死後、秦はなぜ2代で滅びたのか?李斯が下した「一つの決断」と壮絶な最後

※この記事はYoutubeでイラストやアニメーション付きの動画でご視聴できます↓李斯の「ネズ…

アーカイブ

人気記事(日間)

人気記事(週間)

人気記事(月間)

人気記事(全期間)

PAGE TOP