令和7年(2025年)もいよいよ年の瀬が迫り、大河べらぼうも12月14日(日)でいよいよ最終回を迎えます。
第48回放送「蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめばなし)」では、巨悪を退治した後も精力的に出版活動を続ける蔦重(横浜流星)が脚気に倒れてしまいました。
そしてある夜に夢を見て……という展開で、恐らく一年間のあれこれが走馬灯のように蘇ってくるのでしょう。
これまで蔦重と巡り合い、去って行った様々な人々……ネット上では、瀬川改め瀬以(小芝風花。以下瀬川で統一)の再登場を願っている声が少なくありません。
今回はなぜ瀬川が人気を誇ったのか、そして本当に蔦重と幼馴染だったのか、等を紹介したいと思います。
最終回の予習にどうぞ!
なぜ瀬川が人気だった?みんな納得の理由3つ

画像 : いつも本が好きだった瀬川。歌川豊国筆 public domain
第1回放送「ありがた山の寒がらす」から第14回放送「蔦重瀬川夫婦道中」まで登場した瀬川(※厳密には蔦重の夢として次回も冒頭のみ登場)。
全体の約1/4に過ぎないわずかな期間で、視聴者の心を鷲掴みにして離さなかった理由は何でしょうか。
瀬川が人気な理由その① 何と言っても華がある
これは演じている女優によるところが大きいですが、瀬川はその演技やたたずまいに華がありました。
実際の五代目瀬川もこうだったんじゃないか……と思わせる花魁ぶりに魅了された視聴者は少なくないでしょう。
瀬川が去った後にもヒロインは登場していましたが、瀬川ロスは埋めきれなかった印象があります。
瀬川が人気な理由その② 王道の幼馴染&初恋
実在した五代目瀬川が蔦重と幼馴染だったという記録や文献は残っていません。そのため、二人が幼馴染だったという設定は大河ドラマの創作でしょう。
吉原遊郭という苦界の中で育った二人が、素直になれない心底の想いに気づき、手に汗握る展開を経て結ばれる……そんな二人の「夫婦道中」を喜ばなかった視聴者はいないはずです。
しかし同時に「このまま幸せにはなれないだろうな」と予感もしくは覚悟していたことでしょう。
幼馴染の初恋が結ばれて終わるはずがない……蔦重が極楽から地獄へ突き落される鬼脚本に、胸を痛めた視聴者は少なくありませんでした。
瀬川が人気な理由その③ あまりにも潔すぎた去り際
自分が一緒にいることで、蔦重の重荷となってしまう……どこまでも蔦重のためを願うあまり、瀬川は自ら身を引き、姿をくらましてしまいます。
蔦重にしてみれば一番辛い時に一番の打撃を与えてしまう結果となっていましたが、そのダメージは視聴者に強烈な印象を刻みつけたことでしょう。
その後も中途半端に登場せず、まるで神隠しのように消えてしまったことで、その不在がかえって浮彫りになっているようです。
最終回で再登場の噂もありますが、果たして直接対面するのか、あるいは蔦重の墓前に花を手向けるのか……。
かつて持ち去った「しお(蔦重がつけた瀬川の偽名)」の手形と、蔦重が瀬川を想って作り上げた物語『伊達模様見立蓬莱』も、添えられるかも知れませんね。
蔦重の元を去った瀬川。実際はどうなった?

画像 : 松葉屋瀬可ハ(瀬川)。『青楼美人合姿鏡』より。public domain
鳥山検校(市原隼人)の悪行が明るみに出て、江戸から追放されてしまった事件以降、実際の瀬川はどんな運命をたどったのでしょうか。
事件の起こった安永7年(1778年)には、田螺金魚が鳥山事件を題材にした『契情買虎之巻』を出版、続く安永8年(1779年)には柿本臍丸が同じく『花の姿色名寄』を世に送り出しました。
いずれもカネにモノを言わせた悪徳金貸しの鳥山検校と、それになびいて身請けされた瀬川に対する批判がテーマとなっています。
そして安永9年(1780年)に南陀伽紫蘭が出版した『玉菊燈籠弁』では、伝説の名妓として知られる玉菊の亡霊が化けて出て、真芝屋(松葉屋)の屁川(瀬川)を露骨に批判していました。
にっくき鳥山検校の失脚を機に、ここぞとばかり欝憤をぶちまけたのでしょう。ざまぁ見ろとばかりに。
轟々たる批難を背に、瀬川は深川六間堀(江東区)在住の武士・深川何某(飯沼何某とも)と再婚。彼との間には二人の子供を授かりましたが、やがて先立たれてしまいます。
続いて三人目の夫は、夫の屋敷に出入りしていた大工の結城屋八五郎(ゆうきや はちごろう)。彼と連れ添いながら晩年を過ごしました。
結果三度の結婚生活を送った瀬川ですが、意外と蔦重の近くに住んでいたのですね。
その気になれば探し出せそうな距離ではあるものの、確固たる意思で去って行った以上、蔦重も瀬川の考えを尊重して探さなかったのかも知れません。
瀬川の最期は確認されていないものの、どうか幸せであって欲しいと願うばかりです。
なお鳥山検校については、事件から10年以上の歳月を経た寛政3年(1791年)に赦免され、元の地位を回復しました。
終わりに

画像 : 蔦屋重三郎。実際のところ、瀬川とは貸本屋と遊女くらいの交流はあったかも知れない。public domain
瀬川が今も高い人気を誇る3つの理由まとめ
・たたずまいや立ち居振る舞いに華がある(女優の力量)
・幼馴染&初恋(実りそうで実らない)という王道キャラ
・潔すぎる去り際が、視聴者の感情をゆさぶり、再登場の期待を高ぶらせる
瀬川と蔦重は幼馴染だった?
・大河ドラマの創作と思われるが、商売上のつき合いはあったかも?
去って行った瀬川はその後どうなる?
・江戸圏内で暮らし、二度(合計三度)の結婚生活を送った
今回は大河べらぼう最終回放送を前に、再び登場して欲しいという声の多かった瀬川について、人気の理由と実際の晩年を紹介してきました。
果たして最終回放送「蔦重栄華乃夢噺」では、蔦重がどんな夢を見て、どんな最期を遂げるのでしょうか。そして瀬川再登場の噂は本当なのか……楽しみに見届けたいですね!
※参考:
・朝尾直弘ら『日本の社会史 7巻』岩波書店、1987年7月
・伊原敏郎『歌舞伎年表 4巻』 岩波書店、1969年3月
・高木好次ら『洒落本大系 4巻』 六合館、1930年11月
・三田村鳶魚『史実と芝居と』青蛙房、1956年3月
文 / 角田晶生(つのだ あきお) 校正 / 草の実堂編集部
























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