平安時代

平宗盛は本当に無能だったのか調べてみた

4.宗盛が肥満であったという説について

ところで最後にWikipediaに、宗盛についての「伝説」として書かれている、以下の記述について検討したい。

壇ノ浦の戦い
壇ノ浦の戦いにおいて、平氏の大敗が決定的になり、一門が次々と入水していく中、棟梁である宗盛は逃げ回るばかりであった。それを見た平氏の諸将はあまりのみっともなさに嫌気が差し、ついには宗盛を捕まえて、無理やり海に突き落とした。しかし、泳ぎの名手であった宗盛は、源氏の兵に助けられた。宗盛は長男清宗と同様、肥満だったため浮きやすかったとも言う。(『平家物語』)

「平家物語」によっているとのことだが、「肥満だったため浮きやすかった」という記述は「平家物語」のどの本に依拠したものなのであろうか。

主要な諸本で確認してみよう。

覚一本

延慶本

長門本

屋代本

百二十句本

源平盛衰記

キリシタン版平家物語

これらに「宗盛=肥満」という記述はない。

ではここで吉川英治の歴史小説「新・平家物語」の「壇ノ浦の巻 大悲譜」の記述を見てみよう。

ただここに、不覚な戸惑いを見せたのは、宗盛であった。気も公卿なみだし、身も肥え太っているかれなので、もとより武勇の覚えはない 。一子右衛門督とともに、乱戦のひびきを耳に、船屋形の蔭にわなないていた。しかし、左右の郎党も、出て行ってはたおれ、出ては帰って来ず、飛騨景経や行盛も討たれたと聞いて「今は」と、かれも覚悟したとみえる。
艦へ走り出、わが子と一つに、海へ身を投げようとした。
けれどなお、かれは、そこでも、ためらいを見せ、うろうろしていた。すると、何か喚きざま、走りよって来た一武者が、いきなり宗盛を海へ突き落とした。「ーーあっ」と父の影が、まつ逆さまに海へ向かってのまれてゆくのを見、「父君っ」と、子の右衛門督も、われから後を追って飛び込んだ。つづいて、後からもまた、幾つもの水煙が立った。宗盛を突き落としたのは、宗盛の部下だったのである。「未練なお主かな」 と、歯がゆく思い、主を誘って、自身も入水したものらしい。
ところが、下にいた源氏の小舟が、
「今のこそ、大将らしいぞ」
「それっ、かき探せ」
と、熊手や鈎棒を伸ばしあって、漕ぎ騒いだ。やがて、その一艘へ、宗盛の大きな体が引き揚げられていた。つづいてまた、はるかまで、流されていた右衛門督も、源氏の舟に、助けあげられ、幸か不幸か、父子ともに、生捕りの身となってしまった。

そう、吉川英治の歴史小説「新・平家物語」は平宗盛を肥満体として描いている。

 

宗盛が大食いであったという記述が、九条兼実の日記「玉葉」に存在する。

治承五年三月の、前大将(宗盛)が「天性の大食の人」であるという記事だ。

「大食い」が必ずしも「肥満」というわけではないが、この記事から宗盛が肥満体であったと類推することは可能である。

「新・平家物語」の作者である吉川英治は、「玉葉」を参照していたので、この記事から「宗盛=肥満」という着想を得たのかもしれないし、また誰かの論文を参考にしたのかもしれないが、少なくとも私が調査した限り、古典の「平家物語」の中に「宗盛=肥満」という記述は無かった。

読者諸君の中に、「平家物語」諸本の中に「宗盛が肥満体であった」という記述があることを発見された方はご連絡頂きたい。

 

 

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武蔵大納言

武蔵大納言

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生まれは平安時代。時空の割れ目に紛れ込んでしまったことにより、平成の世に紛れ込む。塾や予備校で古文漢文を教えながら、現代日本語を習得。現在は塾・予備校での指導の傍ら、古典文学や歴史についてのライターとしても活動している。
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