大河ドラマ「光る君へ」で注目されている平安時代。
平安貴族は、荘園からの収入以外にも宮中などへ出仕し、俸禄をもらっていました。
しかし、官位相当制によって就ける官職は位階によって決まっていました。
今回は、貴族の主な出仕先である中央機関「二官八省」について解説いたします。
二官八省とは
「二官八省」とは、天皇をトップにその下に置かれた政治などを行う中央機関のことを言います。
二官は「神祇官(じんぎかん)」と「太政官(だいじょうかん)」に分かれており、太政官の下に「八省」が置かれ、部署ごとに専門的な仕事を行っていました。
神祇官とは
神祇官(じんぎかん)とは、宮中の祭祀を執り行う部署であり、諸国の官社をまとめる役割もありました。
神祇官には、長官・次官・判官・主典という四つの中核となる職(四等官)があり、その下に神部、ト部、使部、直丁などが置かれ、女性の巫、少年の戸座、少女の御火炬も所属していました。
神祇官のトップである神祇伯でも位階は従四位下で、それほど地位は高くありませんでした。
太政官とは
太政官(だいじょうかん)とは、神祇官と並ぶ二官のうちの一つで政治を司る機関です。
太政官は左弁局・右弁局・少納言局の三つに分かれており、左右弁局の下には八省が分かれて四つずつ置かれていました。
太政官のトップは太政大臣ですが、常設の地位ではなく任命がされないこともあったため、実質的な最高責任者を務めていたのは左大臣で、右大臣は左大臣の補佐をしていました。
太政大臣は正一位或いは従一位、左右大臣はともに正二位或いは従二位の位階が必要でした。
平安時代末期には平清盛が任命され、安土桃山時代には織田信長が太政大臣に任命されているので、太政大臣という役職名だけは聞いたことがあるという人も多いのではないでしょうか。
太政官にも神祇官と同様に四等官があり、長官と次官にあたる太政大臣から中納言(正一位から従三位)までが中央機関にあたり、判官は左弁局・右弁局・少納言局(従四位上から従五位下)の責任者を務めました。
主典は左弁局・右弁局・少納言局の事務や書記にあたり、左弁局・右弁局に比べて少納言局のほうが位階は少し低めです。
八省について
前述したように、太政官内の左弁局と右弁局の下に、それぞれ四省ずつが分かれて実際の行政を行っていました。
左弁局は中務省・式部省・治部省・民部省を管轄し、右弁局が兵部省・刑部省・大蔵省・宮内省を管轄していました。紫式部の「式部」は夫、或いは父親が式部省に所属していたことを表しています。
左弁局に属する「中務省」は、天皇に侍従し詔勅の作成や宮中事務、戸籍の事務などを行っており、安倍晴明で有名な陰陽寮は、中務省に所属する機関の一つです。
「式部省」は、文官の人事・朝議などを担当し、「治部省」は雅楽や仏事・外交事務を担当し、「民部省」は租税や財政・戸籍・田畑を担当していました。
右弁局に属する「兵部省」は武官の人事と軍事全般を、「刑部省」は司法を、「大蔵省」は財宝・出納・物価などを、「宮内省」は宮中の衣食住・財物など、他宮中の諸事を担当していました。
もちろんこの八省それぞれの中にも序列があり、位階によって就ける役職が決められていました。そして、省の下にはさらに細かく専門部署が分かれており、その中も位階によって序列がありました。
現在の会社でもそうですが会長・社長・専務・常務・部長・課長・係長など役職によって序列があります。それと同じだと考えるとわかりやすいと思います。
八省も重要度でランクがあった
八省の中でも「中務省」は、天皇の補佐や朝廷に関する職務全般を担っていたため、最も重要な省とされていました。そのため中務省の長官である中務卿は位階・正四位上相当で、親王・内親王の位階が四品以上の親王から任命され、欠員がでても相当の親王がいない限りは任命されませんでした。
次に重要視されていたのが「式部省」で、文官の人事を担当する他、役人を育てる大学寮を管轄していたため、この省のトップである式部卿も中務卿と同様に、四品以上の位階をもつ親王が任命されました。
親王のなかでも、血筋・経歴・学識にもっとも秀でた実務に通じた親王が任命されていましたが、次第に天皇との血縁関係が重要視されるようになり、式部大輔という卿に次ぐ者が実質的なトップになっていきました。
終わりに
二官八省の中でも、立場が上の役職に就くには相応の位階が必要でした。
位階についての詳細は
平安貴族の出世システム「官位相当制」とは? わかりやすく解説 ~位階が低いと低収入
https://kusanomido.com/study/history/japan/heian/hikarukimie/79063/
このほかにも宮中の警備などを行う近衛府や、行政監査機関である弾正台、地方行政機関の大宰府などもあります。
宮中に出仕していても、立場によってはほとんど遊んで暮らせた人もいれば、朝早くから出仕し一日中仕事に追われていた人もいました。
平安貴族が位階を重要視していたというのも納得です。
参考 :
大隈清陽「日本史大事典2より官位相当制(平凡社)」
保立道久「平安王朝(岩波新書)」
桃崎有一郎「平安京はいらなかった 古代の夢を喰らう中世(吉川弘文館)」
この記事へのコメントはありません。