NHK大河ドラマ「光る君へ」第4回放送「五節の舞姫」でヒロインのまひろ(紫式部/吉高由里子)たちが披露していた五節舞(ごせちのまい)。
劇中では何だか貧乏くじでまひろが選ばれたみたいな描写でしたが、実際には女房たちから大人気だったそうです。
そこで今回は五節舞について、ざっくり解説。平安時代の王朝文化を楽しむ参考になるでしょう!
そもそも五節舞とは?
五節舞とは、その年の収穫を神様に感謝する新嘗祭(にいなめさい)のクライマックスである豊明節会(とよあかりのせちえ)で、神前に披露されるものです。
その他、天皇陛下のご即位を神前に奉告する大嘗祭(だいじょうさい)においても披露され、令和の今上陛下も御覧になっています。
五節舞という名前の由来は、舞の中で舞姫が五回袖をひるがえすことから名づけられたそうです。もし観覧する機会があったとしたら、カウントしてみましょう。
五節舞を披露する舞姫は通常4人(大嘗祭の時は5人)。その顔ぶれは年によって公卿(上級貴族)の娘が2~3人、国司(おおむね中級貴族)の娘が1~2人選抜されました。
五節舞のスケジュール
五節舞はぶっつけ本番ではなく、本番に向けて帳台試(ちょうだいのこころみ)・御前試(ごぜんのこころみ)というリハーサルが行われたと言います。
【五節舞のスケジュール】
11月
丑(うし)の日……帳台試(常寧殿で、舞の様子を天皇陛下が視察)
寅(とら)の日……御前試(清涼殿で、天皇陛下と公卿らが舞を視察)
卯(う/うさぎ)の日……新嘗祭(舞は披露しないが、最終調整など)
辰(たつ)の日……豊明節会(いよいよ本番!)
この丑から辰までは4日間連続ですが、言うまでもなく事前準備が欠かせなかったはずです。
帳台試などのリハーサルを、内裏の女房たちがのぞき見することは堅く禁じられていました。
しかしどうしても見たいのが人情というもの。清少納言『枕草子』には、女房たちが20人ほど大挙して常寧殿へ押し寄せた様子が書かれています。
「しょうもない奴らだ……」一条天皇もあきれ顔
帳台の夜、行事の蔵人のいときびしうもてなして、かいつくろひふたり、童よりほかには、すべて入るまじと戸をおさへて、おもにくきまでいへば、殿上人なども、「なほこれ一人は。」など宣ふを、「うらやみありて、いかでか。」など、かたくいふに、宮の女房の二十人ばかり、蔵人をなにともせず、戸をおしあけてさめき入れば、あきれて、「いとこは、ずちなき世かな。」とて、立てるもをかし。それにつきてぞ、かしづきどももみな入る、けしきいとねたげなり。上もおはしまして、をかしと御覧じおはしますらむかし。童舞の夜はいとをかし。灯台にむかひたる顔どももらうたげなり。
※清少納言『枕草子』第92段「内裏は、五節の頃こそ……」
【意訳】帳台試が行われる夜、行事を担当する蔵人(くろうど。天皇陛下の側近)らは、会場の立ち入りを堅く禁じました。
「子供以外、いっさい立ち入ってはならぬとご命令です!」
殿上人(てんじょうびと。中級以上の貴族)たちが「なぁ、ちょっとくらいよいだろう?」「そなたと私の仲ではないか」などと食い下がっても「ならぬものはなりませぬ」と妥協を許しません。
そこへやって来たのが、宮中の女房たち。何と20人ばかりも押し寄せて、蔵人たちの制止もはね飛ばしてしまいました。
「ちょっとくらい、いいじゃないのよ!」「そうよそうよ、減るもんじゃなし、私たちにも見せなさいったら!」
女三人よれば姦(かしま)しいとはよく言ったものですが、それが20人も集まれば蔵人たちの手に負えるものではありません。
いきなり乱入してきた女房たちに、一条天皇もあきれ顔。「まったく、しょうもない奴らだ……」しかしまぁ微笑ましく見逃したそうです。
とにもかくにも帳台試はつつがなく終了したものの、灯りに照らされた舞姫たちの表情は、何ともぐったりした様子だったとか。
もしかすると後日、女房たちからあれこれ批評されるとうんざりしたのかも知れませんね。
自腹だった舞姫の衣裳代
そんな舞姫たちの衣裳代は、それぞれの自腹だったそうです。具体的な金額は分かりませんが、貧乏貴族にとってかなりの負担だったことは想像に難くありません。
それでも、我が家から舞姫を出すのは大変な名誉ですから、役目を辞退する者はいなかったそうです。
何だったらここぞとばかり着飾らせて、我が家のアピールを図る者も少なくなかったことでしょう。
「今年はライバルの娘が舞姫に出るから、我が家の娘も見劣りせぬよう奮発せねば……」
そんなこんなで舞姫たちの衣裳は年を追って煌びやかに贅を競ったそうです。
こうした風潮にはしばしば苦言を呈され、かの紫式部もあまりの華美さに呆れたとか。
……昼間のように明るく照らされた灯りの中を、煌びやかに着飾った舞姫たちがやって来ました。よく恥ずかしくないものだと呆れてしまう。しかし考えてみれば、私たちだって他人事ではない。日頃袖で顔を隠しているつもりでも、隙間から見えてしまっていることだろう。そう思うと『他人のふりみて我がふり直せ』、まったく恥ずかしくなってしまう……
※『紫式部日記』より意訳
他人を批判している内に自分が恥ずかしくなってしまう……何とも彼女らしいというか、めんどくさい性格ですね。
ともあれ五節の舞姫として大舞台に立つのは自身のみならず一家の命運を背負った大仕事であり、着ている衣裳も周囲の期待もさぞ重かったことでしょう。
終わりに
以上、豊明節会で奉納される五節舞について紹介してきました。
まひろ(紫式部)が豊明節会で五節の舞姫に選抜されたという史料はないようですが、当時多くの少女たちがその晴れ舞台に憧れたことでしょう。
NHK大河ドラマ「光る君へ」では、これからも平安貴族の王朝文化を垣間見せてくれるものと楽しみにしています!
※参考文献:
- 山中裕『新装版 平安時代大全』ロングセラーズ、2023年12月
この記事へのコメントはありません。