光る君へ

娘は殺され妻は犯され…紫式部の異母弟・藤原惟通とは何者か 【光る君へ】

NHK大河ドラマ「光る君へ」皆さんも観ていますか?筆者は毎週楽しみです。

劇中ではヒロイン・まひろ(紫式部)の兄弟姉妹は、弟の藤原惟規(のぶのり)しかいないような描かれ方をしています。

しかし実際には同母姉や異母弟妹がおりました。

【藤原為時の子供たち】

  • 藤原為時長女(同母姉)
  • 藤原惟規(同母兄弟。兄説もあり)
  • 紫式部
  • 藤原惟通(のぶみち。異母弟)
  • 定暹(じょうせん。異母弟、僧侶)
  • 女子(異母妹。藤原信経室)

もちろん尺の都合で全員は登場させられません。

とはいえ紫式部の周りにはこういう人たちがいたんだなと思うと、物語がより味わえることでしょう。

そこで今回は、紫式部の異母弟・藤原惟通について紹介。

果たして彼はどんな人物で、どんな生涯をたどったのでしょうか。

叩き上げの実務官僚から国司次官へ

藤原惟通

右衛門尉として仕える惟通(イメージ)

藤原惟通(のぶのり)は生年不詳、母親についてもよく分かっていません。

ただ没したころに40代前半と見られており、その仮説に基づくならば970年代後半ごろでしょうか。

また、先ほど紹介した定暹や藤原信経室と同母弟妹かは不明です。

一条天皇(66代)から三条天皇(67代)の御世において、蔵人所雑色(くろうどどころぞうしき)や右兵衛尉(うひょうゑのじょう)を務めました。

蔵人所は天皇陛下の側近である蔵人たちの部署、惟通はそこで雑色(雑用係)を務めたのです。

また右兵衛尉は朝廷の警固を務める三等(じょう)の武官。さぞ激務に追われたことでしょうが、叩き上げの官僚として着実に実績を積んだのでした。

その働きが認められ、後一条天皇(68代)の御世にて常陸介(ひたちのすけ)、つまり現代の茨城県に当たる常陸国の二等国司(すけ)となります。

惟通はさっそく常陸国へ赴任。同年には四位(しい)と叙せられ、長い下積みを経てようやく人生これからというところでした。

しかし寛仁4年(1020年)7月3日、常陸国で卒去(そっきょ。貴人が亡くなること、位によって呼称が異なる)してしまったのです。

常陸介となってから、わずか一年余りでした。

藤原惟通の死後、未亡人を襲った悲劇

藤原惟通

悲しみにくれる未亡人(イメージ)

ここまで藤原惟通の生涯を駆け足でたどってきました。

惟通の死後、惟通の妻や母親(紫式部の継母)らは常陸国から京都へ戻らず、現地に暮らし続けます。

これはすでに所領などの経済的基盤がありながら、そこから目を離すと奪われかねない脆弱さを意味するものです。

常陸国に住み続けた惟通の遺族に、不幸が襲いました。

寛仁4年(1020年)閏12月、惟通の未亡人が常陸の住人(在地の武士)・平為幹(たいらの ためもと)によって強姦されてしまいます。

大切な嫁を辱められ、泣き寝入りなどしてなるものか……母親らは国司に訴え出て、為幹は逮捕されました。

卑しくも国司の妻を辱めた報いを受けるがよい……母親らは、さぞ鼻息荒かったことでしょう。

しかしどういう訳か、年が明けると為幹は釈放されてしまいました。まったく意味が分かりません。

母親「これはどういう事ですか!説明なさい!」

役人「はて……年が明けて、めでたいついでに恩赦でも出たんじゃないですか?」

さすがにこんなふざけた理由ではないでしょうが、とにもかくにも強姦魔がお咎めなしなんて、誰が納得するでしょうか。

結局どうなったのか、この件は有耶無耶になってしまったようです。

恐らくは亡き国司の権威よりも、平為幹が持っていた権力の方がまさっていたためと思われます。

前年には娘も惨殺

藤原惟通が常陸介となった年の3月末、惟通旧妻の邸宅が焼き討ちされました。

旧妻の安否は知れませんが、この火災によって惟通の娘が焼死。焼き殺されたと言っていいでしょう。

このころは洛中各所で放火が横行しており、彼女たちもその被害者となったのでした。

既に離別していたとは言え、かつては情を交わした相手が危険な目に遭ったことに、惟通も心を痛めたのではないでしょうか。

藤原惟通・略年表

生年不詳
寛弘6年(1009年) 1月10日 蔵人所雑色に任じられる
長和2年(1013年) 11月9日 右兵衛尉に任じられる
寛仁3年(1019年) 3月末 旧妻の邸宅が放火され、娘が焼き殺される
同年 4月5日 常陸介に任じられる
同年 7月13日 四位に叙せられる
寛仁4年(1020年) 7月3日 卒去する。享年40前半?
同年 閏12月 未亡人が平為幹に強姦される
寛仁5年(1021年) 平為幹が釈放される

藤原惟通・基本データ

生没 生年不詳~寛仁4年(1020年)7月3日没
氏族 藤原北家良門流
両親 父親:藤原為時/母親:不詳
兄弟 藤原惟規、藤原為時長女、紫式部、藤原惟通、定暹、藤原信経室
妻妾 強姦された未亡人(正室?)、焼き討ちに遭った旧妻
子女 正室の子?、焼き殺された旧妻の娘
官職 常陸介
位階 四位

終わりに

以上紫式部の異母弟・藤原惟通の生涯をたどってきました。

叩き上げの実務官僚として活躍した惟通ですが、娘は殺され妻は犯され……何とも可哀想な人ですね。

果たしてNHK大河ドラマ「光る君へ」に登場する機会はあるでしょうか。

もし出演するなら、誰がキャスティングされるのか、今から楽しみにしています!

※参考文献:

  • 倉山満『平安京の下級官人』講談社現代新書、2022年1月
  • 宮崎康充 編『国司補任 第4巻』八木書店、1990年8月
角田晶生(つのだ あきお)

角田晶生(つのだ あきお)

投稿者の記事一覧

フリーライター。
 
日本の歴史文化をメインに、時代の行間に血を通わせる文章を心がけております。
(ほか政治経済・安全保障・人材育成など)
※お仕事相談はtsunodaakio☆gmail.com ☆→@
 
このたび日本史専門サイトを立ち上げました。こちらもよろしくお願いします。
 
時代の隙間をのぞき込む日本史よみものサイト「歴史屋」
https://rekishiya.com/

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 実は凡庸なんかじゃなかった!紫式部の兄弟・藤原惟規の活躍 【光る…
  2. 【光る君へ】 藤原彰子に仕えた小馬命婦(清少納言の娘)〜どんな女…
  3. 清少納言と紫式部は、仲が悪かったというのは本当なのか?
  4. 蛇の怨霊に憑り殺された藤原道兼の長男・福足君とは 【光る君へ】
  5. 【光る君へ】 まひろ(紫式部)が生きた平安時代 「全く“平安”で…
  6. 紫式部が清少納言を嫌う理由は、夫をバカにされたから? 【光る君へ…
  7. 【光る君へ】 なぜ藤原氏の紫式部が『藤原氏物語』ではなく『源氏物…
  8. 【世界最古の女流小説家】 紫式部はどのような人物だったのか 「藤…

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

ヒトラーの功績 について調べてみた【後世への遺産】

1934年、ナチス・ドイツの総統となったアドルフ・ヒトラー。それは、第二次世界大戦への序章で…

日本のオクトーバーフェストはなぜ10月以外にも開催されてるのか?

オクトーバーフェストとは?Oktoberfest 2018 in Munich, Germa…

台湾の宝物について調べてみた 「翡翠白菜 肉形石 清明上河図」

中華民国(台湾) 国立故宮博物院国立故宮博物院とは、台北市にある博物館であり台湾の国立博…

『今昔物語集』が伝える平良文と源宛の一騎討ち

昔から「金持ち喧嘩せず」などと言う通り、実力がある者ほどつまらぬことで諍いは起こさず、周囲もまたその…

信長は本当に短気だったのか? 「イメージとは少し異なる人物像」

戦国の風雲児織田信長(おだのぶなが)は、天下統一へあと一歩のところまで迫った戦国時代の風…

アーカイブ

PAGE TOP