紫式部といえば不朽の名作「源氏物語」の著者です。
源氏物語は、世界初の長編小説とも言われています。
紫式部は、源氏物語の他に「紫式部日記」や家集「紫式部集」など数多くの優れた作品を残しました。
今回はそんな平安時代のスーパー才女、紫式部がこっそりと食べていた「ある食べ物」について紹介していきます。
平安貴族がなかなか口にできなかった魚「イワシ」
平安時代の貴族は豪華絢爛な食事をしていたイメージがありますが、食品によっては「下品だ」と言われたため、逆に貴族が食べられなかったものも少なくありません。
そのひとつが「いわし」です。
縄文時代の貝塚などからもイワシの骨が出土しているため、太古の昔から食べられてきた最も身近な魚ですが、鮮度の問題に加え、イワシが「卑し」に通じるから、と上流階級には嫌われていました。
奈良時代・平安時代には、タイやカツオなどと一緒に「イワシの干物」も貢物として献上されていた記録もあるようですが、貴族のような身分の高いひとたちは口にすることはせず、下級の役人などが食べていたようです。
貴族が一般的に食べていた魚は「コイ、アユ、フナ」などの川魚がメインでした。
ちなみに大量に捕れて安価であったイワシは、庶民の食事のたんぱく源として欠かせない食材でした。
庶民の食事は質素ではありましたが、玄米ご飯の他に自分で捕った獣肉なども食べていたため、貴族よりも健康体だったことが人骨の調査から判明しています。
そんな時代背景もあり、脂の乗ったイワシをこんがり焼いてがぶり…なんてことは貴族たちは身分上なかなかできなかったのです。
夫の留守中にこっそりとイワシを食べて咎められるも、和歌で反撃
とはいえ、紫式部も食欲には勝てなかったようです。
下賤なものと知りながら何かのきっかけでイワシを食べた紫式部は、その美味しさが忘れられずすっかり虜になりました。
夫の留守中にイワシを焼いて食べていたところ、帰宅した夫がイワシの匂いに気づき、それを咎めました。
「そんな下魚を食べていると身分に恥じますぞ」
そこで彼女は、すぐさま和歌を詠んで切り返します。
日の本にはやらせ給ふ石清水 まゐらぬ人はあらじとぞ思ふ
※訳 : 日本で流行っている石清水(いわしみず)八幡宮に参らない人がいないように、こんなに美味しいイワシを食べない人はいないでしょうね
「石清水八幡」に「イワシ」を掛けて、さらに「参る」に参拝する意味と食べる意味を掛けた上で、「それを食べるのは当然でしょう」と即反撃したのはさすがです。
この話は宮中に広まり、女房言葉でいわしのことを「むらさき」と呼ぶようになったと言われています。
源氏物語執筆のパワー源はイワシ?
昔「魚を食べると頭が良くなる」という歌が流行りましたが、このことは科学的にも裏付けされています。
イワシをはじめとする青魚には、不飽和脂肪酸であるEPA(エイコサペンタエン酸)やDHA(ドコサヘキサエン酸)が多く含まれています。
これらは体内で合成することができないため、食品から摂る必要がある「必須脂肪酸」の一種。
いずれも血流を良くしてコレステロールを排除する上、脳を活性化することでも知られています。
さらにカルシウムの含有量も非常に多く、骨粗鬆症予防に効果的である上、ビタミンDもトップクラスに豊富であるため、カルシウムの吸収を高めて、骨を強化する働きもあるといわれています。
そんな栄養価が非常に高いイワシですが、必須脂肪酸であるDHAは成人の脳細胞を充実させる効果が期待でき、攻撃性を抑えて精神を安定させ、集中力を高める作用もあるとされています。
「源氏物語」という長編小説を書きあげるには、並外れた想像力、分析力や記憶力はもちろんのこと、長時間の執筆に耐えうる体力や気力が必要不可欠。
イワシには、こうした条件を満たす栄養素がたっぷりと含まれているのです。
紫式部が後世に残る優れた作品を残せたのは、イワシのおかげかもしれません。
おわりに
世界的にも有名な作品を残したスーパー才女である紫式部が、夫の留守中にこっそりと魚を焼いてかぶりついていた様を想像すると、なんとも微笑ましいです。
ちなみにこの逸話は紫式部ではなく、同じく中宮彰子に仕えた歌人・和泉式部だったという説もあるようです。
いずれにせよ、イワシはずば抜けた才能を持った才女たちを支えた「スーパーフード」といってもよい食材かもしれません。
参考 :
信長の朝ごはん龍馬のお弁当 編集:俎倶楽部
たべもの日本史 著:永山久夫
クスリごはん ゆるゆる漢方 監修:櫻井大典
栄養学の基本がまるごとわかる事典 著:足立 香代子
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