「無礼講」がまかり通っていた飲み会は過去のものとなり、近年は酒の席での嫌がらせ行為、アルコールハラスメント(アルハラ)への配慮が必要とされる時代です。
しかし、どんな時代でも酒に飲まれてしまう人はいるもの。
上品で雅なイメージの平安貴族も結構やらかしていたようで、『紫式部日記』には、当時のアルハラのリアルが記されています。
今回は『紫式部日記』の「五十日の祝い(いかのいわい)」をもとに、平安貴族たちの酒席での乱れっぷりを見ていきたいと思います。
五十日の祝いとは
五十日の祝いとは、子どもの誕生を祝って行われる儀式です。
お産で命を落とす人の割合が五人に一人だった当時、出産はまさに命がけ。
無事に出産を終えると、赤ちゃんの誕生を祝ってさまざまな儀式が行われました。
「五十日の祝い」は生誕五十日目に当たる夜、赤ちゃんにお餅を食べさせる儀式で、つぶして重湯に入れたお餅を父親や母方の祖父が、ちょっとだけ口に含ませるというものでした。
『紫式部日記』で描かれている五十日祝いは、一条天皇の中宮である彰子が産んだ敦成親王(あつひらしんのう)のお祝いです。
藤原顕光(ふじわらのあきみつ)のセクハラ
寛弘5年(1008)11月1日、敦成親王の「五十日の祝」は、藤原道長の豪邸・土御門邸(つちみかどてい)で行われました。
セレモニーが無事に終わり、中宮の前に公卿が参上。祝宴が始まります。宴もたけなわ、酔っ払いの先陣を切ったのは藤原顕光(ふじわらのあきみつ)でした。
着飾って居並ぶ女房達のそばにやって来た顕光は、几帳のほころびをビリビリと引きちぎったりしていて、かなり出来上がっている様子。
しかも、女房達が「いい年をして」と非難しているのも知らず、彼は女房の扇を取り上げて、面白くもない冗談を言っています。
当時の女性は人前で顔を見せないのがマナーとされており、顔を隠すための大切な扇を取り上げるのは完全にアウト。紫式部は「見苦しいことこの上ない」とかなり辛辣です。
道長のいとこにあたる顕光は、御年65歳。儀式での失敗が多く、彼の無能ぶりは誰もが知るところでした。
もはや存在自体がハラスメントと化した顕光の暴走を止めたのは、当代随一の文化人としての名声も高かった藤原斉信(ふじわらのただのぶ)です。
斉信は盃を持って顕光のところへ行き、催馬楽の「美濃山」を歌って、その場をおさめてしまいました。
立派だった藤原実資(ふじわらのさねすけ)
柱に寄り掛かり、几帳の裾から出ている女房の衣装の褄(つま)や袖口を数えている藤原実資(ふじわらのさねすけ)。
女房の服装が派手になっていないか、チェックしているようです。
紫式部は酔いもせずしゃんとしている実資を素晴らしいと評し「ちょっと話しかけてみたところ、今どきの気取った人よりもたいそう立派な方だと分かった」とも記しています。
さらに、盃が回ってきたときに歌が苦手な実資が、無難な「千年も万代も」の祝い文句で済ませ、ほっとしている様子にも好感を持ったと、紫式部の“実資推し”は続き、顕光とはだいぶ扱いが違っています。
「賢人右府」と呼ばれた実資のことは、紫式部も一目置いていたのかもしれません。
『源氏物語』の愛読者、藤原公任(ふじわらのきんとう)
次に登場する藤原公任(ふじわらのきんとう)は、和歌・漢詩・管弦のすべてに優れ、博識多才で名を馳せた人物です。
その公任が、紫式部のいるあたりに向かって、「失礼ですが、この辺に若紫さんはいらっしゃいますか?」と声を掛けてきました。
若紫は言わずと知れた『源氏物語』のヒロイン。若紫、つまり若い紫は年増の自分に対する皮肉か?とカチンときた紫式部は、
「ここには光源氏に似ても似つかない男しかいないのに、紫の上がいるわけないじゃないの」
と心の中でつぶやき、イラっとしながら聞き流しています。
恐妻家・藤原道長の失態
乱れに乱れた宴会で、なにか恐ろしいことが起きそうな予感がした紫式部は、宴が終わると宰相の君という女房とともに御帳台の後ろに隠れました。
それを目ざとく見つけた道長は、二人を自分の前に引っ張り出し、「和歌を一首ずつ詠んだら許してやる」と言いました。
困った紫式部が、
「いかにいかが かぞへやるべき 八千歳(やちとせ)の あまり久しき 君が御代をば」
(いったいどのように数えあげたらよいのでしょう、幾千年にも余るほど長く続く若宮様のお齢を)
と詠んだところ、道長は「ああ、よく詠んだものよ」と二度ほど声に出して読んでから、すぐに自ら歌を詠みます。
「あしたづの よはひしあらば 君が代の 千歳の数も かぞへとりてむ」
(わたしに鶴と同じ千年の寿命があれば、皇子の御代千年の数を数えることができるだろうに)
そして娘・彰子に「中宮様、お聞きになりましたか?わたしは上手に歌を詠んだでしょう?」と自慢げに語ります。
道長は、だいぶ酔っているようで、ビッグマウスは止まりません。
「中宮の父親として、わたしはなかなかでしょ?中宮もわたしの娘として立派ですよ。あなたの母君(倫子)も幸せだと思って、笑っていらっしゃるようです。良い夫を持って良かったと思っているのでしょう。」
こんな道長に紫式部は「酒のせいだから」とため息をつき、中宮は心がザワザワしながらも「お父様、ステキ」といった様子で聞きいっています。
しかし、浮かれる道長に鉄槌を下した御仁がいました。道長の妻・倫子です。
道長の戯言をじっと聞いていた倫子は、これ以上聞くに堪えないと思ったのでしょう。すっくと立ちあがって、部屋から出ていってしまいます。
それに気づいた道長は、
「お見送りをしないと、お母様の機嫌が悪くなるから」
とあわてて御帳台を通り抜け、倫子の後を追います。娘とはいえ相手は中宮様。その前をバタバタと通り過ぎながら、
「中宮様はなんて無作法なとお思いになるでしょうが、親がいればこそ、子も立派になるというものです。」
とつぶやく道長を見て、女房たちはクスクスと笑うのでした。
道長が出世し成功を手に入れられたのは、他でもない倫子のサポートのおかげ。道長は、奥様に頭が上がらなかったようです。
さいごに
登場人物約500人ともいわれる『源氏物語』。これだけの人数を書き分ける紫式部の観察力と執筆力は『紫式部日記』でもいかんなく発揮され、それぞれの人物のキャラと当時の様子がありありと伝わってきます。
それにしても酔っ払いの醜態は、いつの世も変わらないようです。
参考文献:田中宗孝・田中睦子『紫式部日記解読』.幻冬舎
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