黄金で満ち溢れているという伝説の国・その名は「ジパング」。
今から700年以上も前にマルコ・ポーロの「東方見聞録」に登場する黄金の国「ジパング」は、本当に日本のことだったのだろうか?
今回は黄金の国「ジパング」の真相について前編と後編にわたって解説する。
東方見聞録
1271年、ヴェネツィアの商人であるマルコ・ポーロは、父や叔父と同伴する形で長い旅へ出た。
ペルシャからパミール高原、ゴビ砂漠を超え、1275年に元の皇帝フビライ・ハンに謁見した。その後フビライに重用されて各地に使節として派遣され、見聞を広めた。
1292年に船で泉州を発ち、セイロン、アラビア海を経て、1295年にヴェネツィアに戻った。実に四半世紀(24年間)に渡った大旅行となったのである。
1298年のメロリアの戦いで捕虜となったルスティロ・ダ・ピサと、同じ牢獄にいた縁で知り合う。
そしてマルコ・ポーロが口述したアジアの旅行記をルスティロ・ダ・ピサが編纂し、完成したのが「東方見聞録」である。
東方見聞録には
「ジパングは莫大な金を産出し、宮殿や民家は黄金でできていて、財宝に溢れている」
と書かれている。
しかし、実はマルコ・ポーロは日本に来たことはないのである。
しかも当時のマルコ・ポーロには「ほら吹きマルコ」というあだ名が付けられていたという。
ジパング岩手県説
岩手県盛岡市にある報恩寺には、金でできた仏像が499体も置かれ「五百羅漢」と言われている。
その仏像は表情や仕草が全て違っているために「自分の知り合いに似た仏像が必ず見つかる」とも言われている。
そして実は499体の金の仏像に中に、マルコ・ポーロの仏像があるのだ。
洋服にも見える立派な衣装と、ひげを蓄え帽子をかぶっている仏像がマルコ・ポーロの仏像だとされている。
岩手県盛岡の古刹・報恩寺(曹洞宗)にある五百羅漢堂。羅漢とは、仏教の聖人「阿羅漢」のこと。18世紀に寺が京都の仏師に作らせたさまざまな表情の木像が堂内にひしめく。500人に見つめられている感じ。マルコ・ポーロ、フビライ・ハン像と伝えられるものもある。山門の美しさも印象的だった。 pic.twitter.com/f2vnVOFQ1u
— カフェバグダッド@トルコ・シリア地震被災者支援 (@cafebaghdad) July 20, 2017
しかも、その隣には元の皇帝フビライ・ハンとされている仏像もある。
前述したとおりマルコ・ポーロとフビライ・ハンは関係が深く、マルコ・ポーロはなんと17年間もフビライに仕え、中国や東南アジアなど各地を巡りながら情報収集を行っていたのだ。
マルコ・ポーロの東方見聞録の内容は、ほとんどがその頃のものである。
報恩寺にある2人の仏像が「マルコ・ポーロとフビライ・ハン」と言われるようになったのは、近代になってからである。
仏像が作られた当初は、別の人物として作られていたという。
なぜ近代になって、その2人だとされたのか?
それは東方見聞録に出てくる「黄金の宮殿」が関係している。
黄金の宮殿のモデルになった建物が岩手県にあり、それはあの有名な平泉町の中尊寺金色堂だという。
金色堂は極楽浄土の世界を表現した建物で、藤原清衡が1124年に建立した。
東方見聞録が出版されたのは、それから170年以上後のことであるため、マルコ・ポーロが金色堂の情報を得ていた可能性は十分にあったと考えられる。
東方見聞録には、ジパングの黄金の宮殿に関して
「宮殿の屋根はすべて純金で覆われている。床も窓も同様であるから想像を絶するほどである」
と記されている。
ちなみに現在の金色堂の屋根は、金ではなく木で覆われている。
しかし金色堂が創建された当初は屋根も金箔で覆われていた可能性が高く、時の経過によって屋根の金箔が剥がれ落ちたとも考えられている。
つまり「黄金の宮殿は中尊寺金色堂だった」という説が浮上してくるのである。
東北地方がジパング?
では本当に岩手県付近が黄金の国「ジパング」であったのであろうか?
もしそうであれば、東北地方には莫大な黄金があったはずだ。
宮城県気仙沼市の金山跡には、平安時代から昭和の中頃まで1,000年以上も金が採れたと言われている「鹿折金山跡」という場所がある。
鹿折金山からは「ナゲットモンスター」と呼ばれた重さ2,25kgの金が採られ、現在もその実物の一部が茨城県つくば市の地質標本館保管されている。
それが記録に残る最後の姿だが、東北地方では昔から巨大な金が数多く採れていたようである。
平安時代に書かれた「小右記」という日記には
「例の金に似ず粒ははなはだ大、奥州では他の地域とはまったく違ったとても大きな粒の金が採れる」
と書かれている。
しかも巨大な粒の金が採れる金山は、岩手県を中心とする東北地方の北上山地付近には無数に存在し、数千か所もあったと言われているのである。
まさに東北の地こそ、黄金の国「ジパング」にふさわしい場所と言えるのではないか。
奥州・藤原氏が金の力を元に栄えていたことも納得がいくのである。
後編では「ジパング」の他の候補場所や、岩手県説についてさらに掘り下げていく。
岩手県気仙沼?
ご指摘ありがとうございます。修正させていただきました。