「なぁ佐殿、いつかアンタが天下をとったら、俺を侍所の別当にしてくれよ……」
「あぁ、約束しよう」
……そんなことがあって、後に源頼朝(演:大泉洋)から侍所別当に任じられた和田義盛(演:横田栄司)。
まさに瓢箪から駒、言うだけならタダ、何でも言ってみるモノですね。
侍所別当とは御家人たちのとりまとめをはじめ、軍事や警察を統括する役職。現代日本で喩えるなら防衛大臣と警察庁長官を兼ねたようなものでしょうか。
しかし、義盛がその重任に堪えうる人材であったかと言われると、どうしても疑問符がついてしまいます。
武勇にすぐれ、戦さが強いのは確かながら、いささかリーダーシップには欠けていた和田義盛。今回は『吾妻鏡』から、源平合戦の一幕を紹介。
西国へと進出した鎌倉武士団のドタバタを、ちょっとのぞいて見てみたいと思います。
「腹減った!もうやだ帰る!」和田義盛のワガママ
元暦二年正月大十二日丙申。參州自周防國到赤間關。爲攻平家。自其所欲渡海之處。粮絶無船。不慮之逗留及數日。東國之輩。頗有退屈之意。多戀本國。如和田小太郎義盛。猶潜擬歸參鎌倉。何况於其外族矣。而豊後國住人臼杵二郎惟隆。同弟緒方三郎惟榮者。志在源家之由。兼以風聞之間。召船於彼兄弟。渡豊後國。可責入博多津之旨有議定。仍今日。參州歸周防國云々。
※『吾妻鏡』元暦2年(1185年)1月12日条
「もう嫌だ!我れは鎌倉へ帰る!」
陣中でそう喚き散らすのは、我らが侍所別当・和田小太郎義盛。源範頼(演:迫田孝也)に従って中国地方を横断し、とうとう赤間関(現:山口県)までやって来て、九州まであと一息というところです。
「まぁ小太郎殿、そんな事を言わずに。せっかくここまで来たのですから……」
何とかなだめようとする範頼ですが、義盛は収まりません。
「うるさい!まったく船の用意はないわ兵糧もないわで何日ここにおればいいのじゃ!敵と戦う前に飢え死にするわ!」
人間、腹が減るといつも以上に苛立つもので、義盛は自分だけでも帰ろうとばかり息巻いていました。
上の文中に「如和田小太郎義盛。猶潜擬歸參鎌倉(和田小太郎義盛の如きはなお潜かに鎌倉へ帰参せんと擬する)」とあり、この潜(ひそか)とは「こっそり」とも解釈できます。
しかし、帰るにしてもさすがに一人だけでなく手勢を率いたでしょうし、侍所別当ともなればその動きがバレないはずはありません。
そこでこの潜は私(ひそか)に=命令を受けず勝手に、と解釈するのが妥当でしょう。
「いい加減になされ!侍所別当のそなたがそんな事では、他の御家人たちに示しがつかぬ!」
確かに他の御家人たちも坂東から遠く離れ、いくら奪った土地が自分のものになるとは言っても、さすがに嫌気が差していました。
「「「もう平家とかどうでもいいから、いい加減に坂東へ帰りたいなぁ……」」」
「ホラ、あいつらもあぁ言ってンだしさ。ここは一つ、みんなで鎌倉へ帰ろうぜ?」
「だーめーでーすーっ!」
みんなを鼓舞すべき義盛がこれでは、これから先が思いやられます。
何とか兵糧と船を調達
「とは言ってもよぉ、食いモンを奪いに行くにも船がなくちゃあ……」
「何とかしますから!」
そこへ舞い込んだのが、豊後国の住人である臼杵二郎惟隆(うすき じろうこれたか)とその弟である緒方三郎惟栄(おがた さぶろうこれよし)兄弟が源氏に味方したがっているとの情報。
「彼らに船を調達して貰えれば、海を渡って戦えますぞ!」
さっそく打診した結果、惟隆・惟栄兄弟は兵船82艘を献上。また、周防国の住人である宇佐那木上七遠隆(うさなぎ こうしちとおたか)が兵糧米をどっさり用意してくれました。
元暦二年正月大廿六日庚戌。惟隆。惟榮等。含參州之命。献八十二艘兵舩。亦周防國住人宇佐郡(那)木上七遠隆献兵粮米。依之參州解纜。渡豊後國云々。……(後略)
※『吾妻鏡』元暦2年(1185年)1月26日条
「よっしゃあ、これで行ける!」
「野郎ども、腹いっぱい食ったら出陣だ!」
「「「おおう……っ!」」」
やる気を取り戻した一同は1月26日、出航して九州へと渡ったのでした。
終わりに・愛すべきヒゲ野郎
かくして九州への上陸を果たした範頼たちは、平家の背後に回り込んで退路をふさぐことに成功。
これで四国を制圧した義経が、壇ノ浦の最終決戦に臨む準備が整いました。
まったく結果オーライですが、もしこのまま引き上げていたら、源平合戦はまだまだ長引いていたことでしょう。
ちなみに和田義盛のやらかしエピソードは他にもあって、やがて梶原景時(演:中村獅童)に交替させられてしまいます。
それでも完全にお役御免ではなく、次官に当たる侍所所司を任じられました。
これは頼朝はじめみんなから「まったく小太郎は……」と苦笑まじりに受け入れられていた故かも知れませんね。
(逆に、優秀だけど性格に難があった景時は、周囲から浮いていた模様)
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも武勇ばかりでなく、小鳥や子供が好きで意外に繊細な愛すべきヒゲ野郎として描かれている和田義盛。
これからも元気いっぱいに暴れ回って欲しいですね!ね?
※参考文献:
- 細川重男『頼朝の武士団 鎌倉殿・御家人たちと本拠地「鎌倉」』朝日新書、2021年11月
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