元仁元年(1224年)6月13日、北条義時(演:小栗旬)が62歳で波乱の生涯を終えました。
その最期は病死(吾妻鏡)・暗殺(保暦間記)・毒殺(明月記)など諸説あり、また後継者を指名しておかなかったために争いを招いてしまいます(伊賀氏の変)。
果たして北条の家督と執権の座を勝ち取った北条泰時(演:坂口健太郎)。彼は側室(阿波局)の子ですが実績は申し分なく、他の嫡子(正室の子)たちを制しました。
【義時の息子たち】
※年齢は義時死去時点
長男・北条泰時(やすとき。42歳)
次男・北条朝時(演:西本たける。32歳)母親は正室・比奈(演:堀田真由。姫の前)
三男・北条重時(しげとき。27歳)母親は比奈
四男・北条政村(演:不明。20歳)母親は後室・のえ(演:菊池凛子。伊賀氏)
五男・北条実泰(さねやす。17歳)母親はのえ
六男・北条有時(ありとき。25歳)母親は側室・伊佐朝政の娘
※ただし有時は政村・実泰より年上(側室の子なので元服が後回し。当時の兄弟順は年齢よりも元服順が優先されることも)
さて、後継者争い(伊賀氏の変)では主として泰時VS政村でしたが、嫡男ということなら朝時も格では劣りません。
ただし、母親の実家である比企一族が建仁3年(1203年)に滅ぼされており、後ろ盾がなかったのです。
それでも「自分の方が嫡流だ」というプライドから何かと泰時に楯突いた朝時。今回は義時が亡くなってもうすぐ1年が経とうとしていた頃のエピソードを紹介したいと思います。
喪明け(除服)のお祓いを誰に依頼すべきか?
武州除服事。被問人々。而此秡者。葬禮沙汰陰陽師可勤歟。他人可用歟事也。權助國通(道)并大監物光行入道等申云。葬禮沙汰人可勤也云云。次源内左衛門尉景房申云。陰陽師令請。可令勤行事也云云。
※『吾妻鏡』嘉禄元年(1225年)5月6日条
それまで父の喪に服していた武州(ぶしゅう。武蔵守)こと泰時が、喪明け(除服-じょふく)について識者に尋ねました。
「喪明けのお祓いは、葬儀の際に呼んだ陰陽師を呼ぶべきでしょうか?それとも、別の方にお願いした方がいいのでしょうか?」
質問に対して、安倍国道(あべ くにみち。権助)と源光行(みなもとの みつゆき。大監物)入道は「葬儀を担当した者が務めるといいでしょう」と回答。
一方で源景房(かげふさ。左衛門尉)は「陰陽師に頼んでお祓いした方がいいでしょう」と進言しました。
ちょっと混乱しそうなので、『吾妻鏡』の記述を整理するとこうなります。
泰時「喪明けのお祓いには、葬儀を担当した陰陽師を呼ぶべきか?あるいは他の者(陰陽師に限らず、僧侶や神職も含む)を呼ぶべきか?」
国道&光行「葬儀を担当した時と同じ陰陽師に依頼すべき」
景房「葬儀と同じでなくてもいいが、とにかく(僧侶や神職ではなく)陰陽師を呼ぶべき」
なるほど。では近日中に然るべきお方に依頼せねば……さっそく陰陽師の手配を始める泰時。しかしそれを聞いていた(洩れ・伝え聞いた)朝時は、その先廻りを急ぐのでした。
朝時のフライング喪明け
「え、式部(朝時)が?」
5月11日、朝時が一人で勝手に喪明けのお祓いを行なったと聞いて、泰時は驚きました。
式部大夫〔朝時〕除服。晴幸勤秡云云。
※『吾妻鏡』嘉禄元年(1225年)5月11日条
お祓いを務めたのは陰陽師・安倍晴幸(あべ はるゆき/せいこう)。逸早く喪明けのお祓いを行なうことによって北条家を主導していることを広くアピールしたかったのでしょう。
が、誰もそれを認めておらず、それこそ実弟の重時すら参列していませんでした。朝時の行為は単に兄弟の足並みを乱しているとしか映らなかったことでしょう。
「やれやれ、仕方ない。ならば我々も『正式の』喪明けをしようではないか」
翌5月12日、泰時たちも喪明けのお祓いを行ないました。いくらフライングとは言え、朝時しかやらなければ、いつしかそれが既成事実となってしまうからです。
武州并駿河守〔重時〕陸奥四郎〔政村〕同五郎〔實義〕大炊助〔有時〕等除服秡事。去年故右京兆葬禮者。主計大夫知輔依致沙汰而可令勤之處。所勞之間。以子息爲名代。令行之云云。
※『吾妻鏡』嘉禄元年(1225年)5月12日条
参列したのは武州(泰時)・駿河守(重時)・陸奥四郎(政村)・陸奥五郎(実義⇒実泰)・大炊助(有時)など。この「等」に、ちゃっかり朝時が加わっているかは分かりません。
お祓いは義時の葬儀を担当した主計大夫知輔(かずえのたいふ ともすけ)……の息子。本人は具合が悪いため、名代でお願いしたのでした。
終わりに
こうして義時の喪が明けた北条一家。完全に面目を失った朝時ですが、その対抗心は留まることなく、子孫たちにも受け継がれていきます。
祖父・北条時政(演:坂東彌十郎)から名越亭(現:鎌倉市大町)を受け継いだことから名越(なごえ)流を称した彼らは、鎌倉時代を通して得宗家(泰時の家系)に楯突き続けるのでした。
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では朝時の兄に対する対抗心やコンプレックスがどのように描かれていくのか、最後まで見届けていきたいですね。
※参考文献:
五味文彦ら編『現代語訳 吾妻鏡 9 執権政治』吉川弘文館、2010年11月
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