みな心一つに奉るべし(以下略)……尼御台・政子(演:小池栄子)の名演説に奮い立った御家人たち。
「朝廷なにするものぞ、我らが武士の都を守るのだ!」
さて、戦うと決まればさっそく準備……している内に、ちょっと迷いが生じてしまう。だって人間だもの。
「戦うとは言っても、積極的に京都へ攻め込むポーズをとってしまうのはいかがなものかと……」
ここは箱根あたりで迎え撃った方が「仕方なく戦ったんです感」を演出できるんじゃ……そんな弱気な(慎重論を唱えた)北条泰時(演:坂口健太郎)に、大江広元(演:栗原英雄)&三善康信(演:小林隆)が喝を入れます。
「バカモン!そんなことをすれば勝てる戦さも勝てんわい!」
「じゃ、じゃあ私の手勢が集まったら……」
「何を言うとるか!総大将たる者、家来を待つなど主客転倒。そなたの行く先どこであろうと、家来たちを付き従わせる心意気じゃ!」
(大将軍一人はまず進発さるるべきか)
「よいか、そなたは龍ぞ。ひとたび立てば雲はおのずと付き従うものぞ!」
(武州一身といえども、鞭を揚げられれば、東士ことごとく雲の龍に従うべきがごとし)
時は承久3年(1221年)5月21日。こんなドタバタの末に鎌倉を出陣した(追い出された?)北条泰時。
「「……いざ行け!故右大将家(頼朝公)より授かりし、伝説の宝刀(※)を持つ勇者よ!」」
(※)建久3年(1192年)5月26日、当時10歳だった金剛少年は「……幼稚之意端挿仁惠。優美之由有御感(意:まだ小さいのに、思いやりがあっていい子だね)……」として太刀を褒美に与えられています。
とは言えさすがにもう夜も遅かったので、稲瀬川のほとりで一泊。翌5月22日朝にいよいよ本格的な出陣です。その軍勢わずかに18騎。本当に大丈夫なんでしょうか……?
それは小雨の朝でした
陰。小雨常灑。夘尅。武州進發京都。從軍十八騎也。所謂子息武藏太郎時氏。弟陸奥六郎有時。又北條五郎。尾藤左近將監〔平出弥三郎。綿貫次郎三郎相從〕。關判官代。平三郎兵衛尉。南條七郎。安東藤内左衛門尉。伊具太郎。岳村次郎兵衛尉。佐久滿太郎。葛山小次郎。勅使河原小三郎。横溝五郎。安藤左近將監。塩河中務丞。内嶋三郎等也。京兆招此輩。皆與兵具。其後。相州。前武州。駿河前司。同次郎以下進發訖。式部丞爲北陸大將軍。首途云々。
※『吾妻鏡』承久3年(1221年)5月22日条
「あ~あ、何だかパッとしないなぁ……」
その日は曇りで、ずっと小雨が降っていました。こんな天気だと、何だかやる気が出ませんよね。
「ねぇ、やっぱり明日に延期しない?もう一日待てば手勢も集まるだろうし……」
「何アホなこと言ってンすか。それあの爺さんがたの前で同じこと言えますか?」
「……言えません」
「ですよね。それじゃあ出発しましょう。ホラ、門出の雨はお清めと言いますからね」
とか何とか卯刻(朝6:00ごろ)、渋s……もとい意気揚々と出陣した顔ぶれがこちら。
- 北条時氏(ほうじょう ときうじ。武蔵太郎、泰時の長男)
- 北条有時(ありとき。陸奥六郎、泰時の弟)
- 北条実義(さねよし。五郎、泰時の弟)
- 尾藤景綱(びとう かげつな。左近将監)
- 平出弥三郎(ひらいで やさぶろう。景綱の家人)
- 綿貫次郎三郎(わたぬき じろうさぶろう。同じく景綱の家人)
- 関実忠(せき さねただ。判官代)
- 平盛綱(たいらの もりつな。三郎兵衛尉、演:きづき)
- 南条時員(なんじょう ときかず。七郎)
- 安東藤内左衛門尉(あんどう とうないさゑもんのじょう)
- 伊具盛重(いぐ もりしげ。太郎)
- 武村次郎兵衛尉(たけむら じろうひょうゑのじょう)
- 佐久満家盛(さくま いえもり。太郎)
- 葛山小次郎(かずらやま こじろう)
- 勅使河原則直(てしがわら のりなお。小三郎)
- 横溝資重(よこみぞ すけしげ。五郎)
- 安藤左近将監(あんどう さこんのしょうげん)
- 塩河中務丞(しおかわ なかつかさのじょう)
- 内嶋三郎(うちじま さぶろう)……など。
数えてみると19人。『吾妻鏡』には18騎とあるのですが、これは恐らく尾藤景綱の家人である平出&綿貫を除き、泰時自身を加えて18騎という解釈でしょう。
ということは、実際にはそれぞれの家人や郎党などが従い、数十から数百騎の軍勢ではあったものと考えられます。
でもまぁ、これで上洛せよと言われたらやっぱり心細いですよね。しかし後に続く者を信じて突き進むよりありません。
東海道ルートを進む泰時たちと同時に、北条朝時(演:西本たける)は日本海側の北陸道ルートを出発。
「ようし、兄上には負けないぞ!」
サポートとして三浦義村(演:山本耕史)とその嫡男である三浦泰村(みうら やすむら。次郎)も出陣しました。
義時たちはお留守番
……さて、泰時たち若人にビシバシと喝を入れ、鎌倉から叩k……もとい送り出した長老たちはと言いますと。
右京兆。前大膳大夫入道覺阿。駿河入道行阿。大夫屬入道善信。隱岐入道行西。壹岐入道。筑後入道。民部大夫行盛。加藤大夫判官入道覺蓮。小山左衛門尉朝政。宇都宮入道蓮生。隱岐左衛門尉入道行阿。善隼人入道善淸。大井入道。中條右衛門尉家長以下宿老不及上洛。各留鎌倉。且廻祈祷。且催遣勢云々。
※『吾妻鏡』承久3年(1221年)5月23日条
鎌倉で居残りです。「何だよズルいぞ!」とか言わないで下さい。もう皆さん結構なお年寄りなのですから。で、そのメンバーは以下の通り。
- 北条義時(演:小栗旬。右京兆)
- 大江広元(前大膳大夫、入道覚阿)
- 中原季時(なかはら すえとき。駿河入道行阿)……中原親能(演:川島潤哉)の子
- 三善康信(大夫属入道)
- 二階堂行村(ゆきむら。隠岐入道行西)……二階堂行政(演:野仲イサオ)の子
- 葛西清重(かさい きよしげ。壱岐入道)
- 八田知家(演:市原隼人。筑後入道)
- 二階堂行盛(ゆきもり。民部大夫)……二階堂行政の孫
- 加藤景廉(かとう かげかど。大夫判官入道覚蓮)
- 小山朝政(演:中村敦。左衛門尉)
- 宇都宮頼綱(うつのみや よりつな。入道蓮生)
- 二階堂基行(もとゆき。隠岐左衛門尉入道行阿)……二階堂行政の孫
- 三善康清(みよし やすきよ。善隼人入道善清)……三善康信の弟
- 大井実春(おおい さねはる。大井入道)
- 中条家長(ちゅうじょう いえなが。右衛門尉)
……などなど。中には「お前はまだ現役だろ」と思われるメンバーも混じっていますが、いくら戦時とは言え、鎌倉の維持運営も立派な任務です。
やっぱり地元の守りを固めてこそ、後顧の憂いなく戦えるというもの……という訳で、いつも通りお役所仕事に励むプラス、祈祷などなども頑張るのでした。
【あんどうただいえ が なかまになった!】
さて、雲は龍に従うもの……というわけで、泰時の後から続々従った御家人たち。その総勢は何と19万騎にも膨れ上がりました。
自去廿二日。至今曉。於可然東士者。悉以上洛。於京兆所記置其交名也。各東海東山北陸分三道可上洛之由。定下之。軍士惣十九萬騎也。
東海道大將軍〔從軍十万余騎云々〕
相州 武州 同太郎 武藏前司義氏 駿河前司義村 千葉介胤綱東山道大將軍〔從軍五万余騎云々〕
武田五郎信光 小笠原次郎長淸 小山新左衛門尉朝長 結城左衛門尉朝光北陸道大將軍〔從軍四万余騎云々〕
式部丞朝時 結城七郎朝廣 佐々木太郎信實今日及黄昏。武州至駿河國。爰安東兵衛尉忠家。此間有背右京兆之命事。籠居當國。聞武州上洛。廻駕來加。武州云。客者勘發人也。同道不可然歟云々。忠家云。存義者無爲時事也。爲棄命於軍旅。進發上者。雖不被申鎌倉。有何事乎者。遂以扈從云々。
※『吾妻鏡』承久3年(1221年)5月25日条
東海道・東山道・北陸道それぞれの顔ぶれは以下の通りです。
【東海道……10万騎】
北条時房(演:瀬戸康史)・北条泰時・北条時氏・足利義氏(あしかが よしうじ)・三浦義村・千葉介胤綱(ちばのすけ たねつな。千葉介常胤の曾孫)
※主だった者のみ。名前順は『吾妻鏡』による。
※時房が先に来ていますが、後からきて大将を交代したのでしょうか。いや、でもやはりここは我らがトキューサ。きっと「俺たちの泰時」のサポートに回るはずです。
【東山道……5万騎】
武田信光(たけだ のぶみつ。武田信義の子)・小笠原長清(おがさわら ながきよ。信光の従兄弟)・小山朝長(おやま ともなが。小山朝政の子)・結城朝光(演:高橋侃)
【北陸道……4万騎】
北条朝時・結城朝広(ゆうき ともひろ。結城朝光の子)・佐々木信実(ささき のぶざね。佐々木盛綱の子)
さて、泰時たちが駿河国までやってくると、父・義時の家人である安東忠家(あんどう ただいえ。次郎兵衛尉)が駆けつけてきました。
「よぅ武州(泰時)、俺も連れてってくれよ」
【なんと あんどうただいえが かけよってきて なかまに なりたそうに こちらをみている!】
なかまに してあげますか?
はい
⇒いいえ
「ダメだ。そなたは謹慎中であろう」
「相変わらずクソ真面目だなオイ。平時なら俺だってワガママは言わねぇ。だが今は戦時だ。それも鎌倉の命運を分ける大勝負、黙って見てなどいられんよ」
「しかし、父上が……」
「細かい事ァいいンだよ。武功を立てれば罪は帳消し、討死にすりゃあ右京兆(義時)も始末の手間が省けるんだから……さぁ行こうぜ!今は一人でも戦力が欲しい局面だろ?」
「こら、勝手に……」
【あんどうただいえ が かってに なかまになった!】
とまぁそんな事があったからかどうだか、こうして「俺たちの泰時」はどんどん増える「俺たち」と共に一路京都を目指すのでした。
果たしてNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、泰時の出陣そして奮闘がどのように描かれるのか。もう今からワクワクしますね!
※参考文献:
- 五味文彦ら編『現代語訳 吾妻鏡8 承久の乱』吉川弘文館、2010年4月
- 細川重男『頼朝の武士団 鎌倉殿・御家人たちと本拠地「鎌倉」』朝日新書、2021年11月
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