戦国時代

「不死身の鬼美濃」の異名を取った強者・馬場信春

不死身の鬼美濃

馬場信春

※馬場美濃守信房

馬場信春(ばばのぶはる)は、甲斐武田家の信虎・信玄・勝頼の3代にわたって仕えた戦国武将です。

後世においては、武田家の四名臣もしくは四天王とも呼ばれ、武田家の黄金期を支えた重臣として知られています。
信治は、およそ40年来、その数70余にも及ぶ戦に出陣しましたが、最期の戦となった「長篠の戦い」を除いてはその身にかすり傷すら負う事がなかったと伝えられています。

このことをして信春は「不死身の鬼美濃」とも称されています。

「美濃」とは晩年に信春が称することになった「美濃守」に由来しています。
今回はこの信春について通説・巷説などからその一生を調べてみました。

信春の前半生

信春は、永正11年(1514年)若しくは永正12年(1515年)の生まれと伝えられています。因みに信玄が大永元年(1521年)の生まれのため、6〜7歳程信春の方が年長にあたります。

信春は、信玄が初陣を果たした海ノ口城攻めにおいて、敵将の平賀源心を討ち取る武功を挙げたとされています。
また天文10年(1541年)に信玄が父・信虎を追放して武田家当主に就いた際にも、予めその計画に従っていたと言われています。

信春は元々は教来石(きょうらいし)景政を名乗っていました。その後、天文15年(1546年)に信玄の命によって馬場氏の名跡を継ぐととになり、馬場信房と改名しました。またこのとき同時に50騎を従える侍大将になったとされています。

信春はその後永禄2年(1559年)には120騎持となり、続く永禄5年(1562年)に隠退した原虎胤にあやかって美濃守を称することを信玄から許され、ここに馬場美濃守信春を名乗るとなりました。

北条・徳川との争い

信春は、永禄11年(1568年)からの駿河・今川領への侵攻にも従軍しています。

翌永禄12年(1569年)には北条を攻めた後の退却戦にあたる三増峠の戦いで先鋒を務めて、北条勢を退ける武功を挙げています。
続いて元亀3年(1572年)から行なわれた、信玄が上洛を目指したとされる西上作戦においても信春は先鋒を担っています。

この途上で発生した徳川勢との三方ヶ原の戦いにおいて、寡兵にも関わらず鶴翼の陣人を敷いた徳川勢に慎重だった信玄に対して、交戦を提言したのが信春だったと伝えられています。

信春は提言通りに徳川勢を破ると、家康を浜松城に敗走させる武功を挙げました。

長篠の戦い

※馬場美濃守の最期 (歌川豊宣画)

信春は元亀4年(1573年)4月に信玄が死去するとその跡を継いだ勝頼を当主として、これを山県昌景らと共に補佐する任にあたりました。
天正3年(1575年)5月の長篠の戦いにおいて、織田・徳川連合軍と対峙した中に信春も加わっていました。この戦いは武田軍の騎馬隊に対して、馬防柵と鉄砲を駆使してこれを阻止した織田・徳川勢が鮮やかな勝利を収めた戦いとして知られています。

近年では、ここで用いられたとされる「鉄砲の三段撃ち」は後世の創作であったとする説が主流で、ことさらに勝頼が無謀な突撃を敢行させ、信春を含む名だたる重臣たちを犬死させる結果となったとする説も否定されてきています。

しかしどちらにせよ武田勢は壊滅的な敗北を喫し、これ以勢力を回復することはなく衰退していくことになりました。
但しそのような状況下でも、信春は織田の佐久間勢を敗走させるなどの戦巧者ぶりを発揮したとも伝えられています。

更に勝頼を無事に離脱させるために、自らが殿を務めて最期は討ち死にを遂げたとされています。

享年61であり『信長公記』にも「馬場美濃守手前の働き、比類なし」と評されています。

史料上の信春

信春の逸話は『甲陽軍鑑』に数多く伝えられていますが、教来石氏だった時期に足軽大将を務めた山本勘助から築城術を学んだとされています。

信春は深志城、牧之島城、江尻城、諏訪原城、田中城、小山城を始めとする支城を築城したとされており、築城の名手であったとも言われています。

信春は武田家の重鎮として山県昌景らと並び称されている武将ですが、史料上からは山県昌景とは対照的に確認されている点が少なく、実際の信春が武田家におけるどの程度の地位・序列にあったかは不明とされています。

 

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学生時代まではモデルガン蒐集に勤しんでいた、元ガンマニアです。
社会人になって「信長の野望」に嵌まり、すっかり戦国時代好きに。
野球はヤクルトを応援し、判官贔屓?を自称しています。

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