戦国時代

三方ヶ原の戦い ~こうすれば徳川家が滅亡し三河制覇できた

三方ヶ原の戦い

※『元亀三年十二月味方ヶ原戰争之圖』

三方ヶ原の戦い(みかたがはらのたたかい)
年月:1573年1月25日
対戦相手:武田信玄VS徳川家康の戦い
特徴:(武田軍が数で劣る徳川・織田軍を粉砕する)
結果:西上戦で武田軍を遮る敵勢力が駆逐されるが・・・

1)信濃から遠江・三河に進行する武田信玄・別働隊は美濃へ触手を伸ばす

第四次川中島の戦いから12年が経過し、北信濃の領有を確実にした信玄は、いよいよ西上戦の戦いに挑みました。

同盟国・北条家からの援兵及び上杉家への牽制もあり、背後の心配なく全力を注ぎます。総兵力は27,000とも言われ、地侍を吸収して30,000を超えていたと考えられます。

一方の徳川家康は、自軍8,000+織田の援兵が3,000と圧倒的不利な状況での防戦となる。

2)三方ケ原の戦い~史実の経過

徳川家康は浜松城で籠城か野戦か軍議を開きます。

兵力差3倍の武田軍団に野戦を挑むのは困難と判断しました。信長からの援兵3,000との数字は「信長は籠城を期待する」との意思表示と考え籠城に備えていきます。

浜松城から武田軍を偵察すると、城の包囲に移らずに目前を通過して三河の国を目指しました。家康としては面目丸つぶれ、これでは地侍も一気に武田方になびいてしまう。若き日の徳川家康30歳の決断は、家臣の反対を押し切って野戦を決意しました。

信玄の狙いは、家康が攻勢で優位に立つ祝田の坂におびき出すことです。武田家を背後から突き落せそうに見えるこの場所に誘導する狙いです。

信玄は坂を超えた中途で陣形を整えて家康を待ちました。

信玄が坂を下りきっていれば家康にも勝ち逃げの機会はありましたが、家康が誘導されて上ってきたことを信玄は見逃さず軍を反転させて魚鱗の陣で鶴翼の陣の家康を待ち構えます。

追撃してきた家康は信玄の布陣に愕然とするも、付けいれられるので退却もできずに膠着状態となります。

先に仕掛けたのは徳川家というより小競り合いから始まり、初めは徳川軍が有利に進めるも、3倍の兵力差で後が続かず粉砕されます。

多くの家臣が打ち取られる犠牲の中、家康はかろうじて浜松城に逃げ帰りました。

3)こうすれば京都に攻め上れた~武田家必勝の戦略!

戦国を代表する「戦上手の武田信玄」周囲の家臣団も充実しています。しかし、世継ぎが勝頼ではいずれ滅亡したでしょう。
今回の西上戦は、死期の迫った武田信玄が倒れたとしても退却はしません。

※次弟・武田典厩信繁

そこで、前回の「第四次川中島の戦い~武田家必勝の布陣!」で活躍した「武田義信・武田信繁・高坂弾正」に今回も登場してもらいます。

1573年の戦いは、徳川家康を討ち取って遠江と三河を制覇するまでとします。武田幕府・征夷大将軍は次の世代(武田義信)に託します。

4)三方ケ原の戦いの裏側で浜松城を攻略する

※浜松城の位置

信玄の不可解なところは、祝田の坂で待ち伏せしてから直ぐに合戦せずに対陣をしています。

戦果の拡大は、勝ち戦が決まってからの追撃戦で積み上げていきます。この場合、追撃が暗くなる夕刻からの開戦は避けるべきです。一刻も早くの開戦を望むべきですが、相手の出方を待ってしまいます。

軍師の会話形式で進めます。
高坂「お館さま、まんまとおびき出しましたな。」

信玄「若造が!まだまだ戦を知らんな。東海一の弓取りが聞いて呆れるわ」

高坂「合戦の後どうなされますか・・・」

信玄「何か計略があるようだな!家康を討ち取れるのか?」

高坂「浜松城を手に入れます」

信玄「そちはだ、城攻めは止めよと申したではないか?」

高坂「簡単に手に入るなら、攻めたくなるものです」

信玄「どうするのじゃ?」

高坂「別働隊を編成します。膠着状態を利用して迂回、守備兵の少ない浜松城を奪ってしまいましょう。」

こうして、「武田義信」を指揮官に「高坂弾正」を軍師に8,000の別働隊が組織されました。本隊の中央は、武田典厩信繁が武田家副将として活躍します。

5)武田義信別働隊の活躍

義信「高坂、また活躍の場を設けてくれたな!」

高坂「乱戦になりますので、身の回りにお気をつけください」

義信「解った!で、どのように浜松城を攻略する?」

高坂「できれば三方ケ原の戦いが始まる前に城攻めを始めたい。そして、徳川軍を装って入城してしまいます。」

義信「守備兵など老兵や臆病者だ!敵と知りながら、味方と思い込みたがる」

高坂「8,000を3手に分けます。攻城軍は3,000義信さまが指揮を!それがしが3,000で三方ケ原からの敗残兵を防ぎます。予備2,000を中軍にします」

義信「予備隊を誰に指揮させる?綻びを修繕する判断が重要ではないか。叔父(典厩信繁)が別働隊にいてくれればな。」

高坂「別働隊に兵力を割いたので本隊に強い副将(典厩信繁)が必要でした。そこで、山縣昌景を連れてきました。」

こうして、別働隊8,000が浜松城に向かいます。

6)浜松城の攻略

※復元された浜松城 出世城としても有名 Wikiより

徳川家の旗指物を身に着けた武田兵が城門に迫ります。旧今川家の三河訛りのある兵隊が役割を担います。織田の援兵もいるので、尾張訛りも用います。
織田家に遠慮のある徳川家を利用してしまいましょう。

城門にて押し問答
武田兵「三方ケ原は大敗で討死多数!徳川さまも後から来るぞ。受け入れの準備じゃ!」

守備兵「どこの隊の物だ?合言葉を言え」

武田兵「佐久間さまの隊の者だ!合言葉など知らぬ。それより、遠路はるばる援軍に来てやったのにその態度か!気に入らぬ、入るぞ!」

攻城戦は少数でも入城してしまえば勝負は決まりです。こうして、城門から本丸まで武田兵が半刻ほどで占拠してしまいました。

その間、高坂の殿軍が敗残兵を処理していきます。落城後浜松城に入場します。
別働隊合わせて8,000あれば奪還されることは無いでしょう。

7)信玄の様態悪化

史実では、三方ケ原の3ケ月後の4月に様態が悪化します。そこで退却をして信州で逝去されたと伝えられています。
信玄ともあろう策略・軍略家が、こちらから仕掛けた戦いを途中で切り上げてしまう戦略は納得できません。このあたりから、武田家の衰運が始まったように感じます。

今回の西上戦では三河の攻略までとします。遠江・三河の領国化と徳川家の滅亡ができれば、いずれ武田家にもチャンスがやってきます。
信玄の遺言通り、3年位は喪に服すのもよいでしょう。その間に内政です。
もちろん、信長を牽制する美濃や尾張に対する嫌がらせは、山縣昌景秋山信友が継続していきます。

 

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TAMONMARU

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西洋史はナポレオン~モルトケ~第二次世界大戦まで。
ハンニバルの第二次ポエニ戦争や三国志も好きです。

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