2013年12月、「和食」が世界遺産に登録された。
もともと高かった和食人気が世界各国でもさらに高まり、日本においても現代の和食のルーツとされる江戸時代や戦国時代の食事が注目されるようになった。
「武士の献立」や「信長のシェフ」などの映画やドラマが制作されたのも、そういった流れの表れであるといえよう。
戦国時代の人々が何を食べて生活していたか、イメージできるだろうか。
当然ながら、電子レンジ、冷蔵庫、炊飯ジャー、ガスコンロなどの調理道具は存在していない。調味料も醤油がない時代である。ましてや戦ともなれば、ゆっくりと食事を作って食べることもできない。
「手当たり次第に、そこら辺にある草を食べていたのでは?」
「大河ドラマを見る限りでは、おにぎりや湯漬けと酒くらいしか思いつかない…」
といった声が聞こえてきそうである。
調べてみると、戦国時代の武士たちは実に多様な食材を効率よく摂っていたようである。
戦国時代の武士たちの食事と、戦国時代を代表する人物・織田信長と豊臣秀吉の食卓を覗いてみよう。
戦国時代の武士たちは何を食べていたのか?
戦国時代の武士は、城や屋敷で毎日食事を摂れるわけではなかったようだ。
もちろん戦ともなれば何日も家に帰ることはできない。おにぎりなどを作って行ったとしても、もってせいぜい二日三日で、保存がきかない。
武士たちは工夫を凝らした「陣中食」を食べていたのだのである。
兵糧丸【ひょうろうがん】
「兵糧丸」は、現代でいえば団子のようなもの。
小麦粉、そば粉、きな粉、すりごま、白玉粉に、酒や砂糖、適量の水を加え、ベトつかなくなるまでこねて、せいろ等で蒸し、天日干しすることで長期保存ができるようにした。
材料は大名家によってさまざま。上杉家では黒大豆や麻の実などを使うのに対し、武田家では、そば粉、梅干しの肉、ウナギの白干し、カツオ節などを原料としていた。
私もこのレシピで「兵糧丸」を作って食べてみたことがある。砂糖の甘味がきいていくつでも食べられそうな気がしたのだが、あっという間に、お腹がふくれてしまった。とても不思議な感覚であったのを覚えている。
芋の茎縄【いものずいき】
「芋の茎縄」は、里芋の茎をかつお節や味噌などで煮込んだものを縄状にした食料。
普段は荷物などを運ぶ「縄」として使い、非常の場合にこの縄を食すことでお腹を満たしていたという。
なかには「畳」がこれらの素材でできていた地域もあったといい、当時の武士たちの知恵を伺い知ることができる。
戦国武将の食卓【織田信長】
汁かけごはん、かぶ、セリの汁椀 みそ味の焼き鳥、しいたけの煮つけ
織田信長の食事を一言でいうなら「即効性を極限まで追求したもの」。
主食は、ご飯にお湯をかけただけの湯漬け。
汁物は、かぶとせりの味噌汁。おかずは、みそ味の焼き鳥、しいたけの煮つけ、大根の味噌漬け、など。
全体的に塩味の濃い味付けであり、現代人が食べ続ければ確実に高血圧になっていたであろう代物で、
「健康に悪いんじゃないの?」
と勘繰りたくなるところだが、戦が続いたこの時代は運動量が多く、あっという間に大量の塩分が失われてしまっただろう。このようなメニューは理にかなっていたのである。
また、敵陣から夜間奇襲されることもしばしばあり、速やかに迎撃しなければならず、ゆっくりと食事を摂っている時間はなかったのである。
戦国武将の食卓【豊臣秀吉】
おにぎり、豆味噌をかけた麦飯、焼きタコ、大根とごぼうの煮物
「墨俣の一夜城」や「中国大返し」など、奇抜な発想が次々と思い浮かぶ秀吉の頭脳の源は食事にあらわれていた。
主食は、豆味噌のおにぎりや、豆味噌をかけた麦飯。
「豆味噌」にはトリプトファンとビタミンB1が含まれており、この2つが合わさることで、セロトニンが分泌される。
セロトニンは別名「幸せホルモン」といわれている。セロトニンが脳からたくさん分泌されている人は幸せな気持ちになりやすく、反対に不足していると、うつ病の原因になるといわれている。
豊臣秀吉はどんなにつらい時でも笑顔を絶やさなかったといい、その笑顔の源もこの食事にあったのではないだろうか。
おかずには、タコやイカを積極的に食べていたようだ。
タコやイカに含まれるタウリンは、疲労回復、老化防止などに効果があるほか、血圧を安定させ心臓を強くする働きをする。
現代は多くの人が頭脳ワークをしており、通勤や人間関係などでストレスを溜めていることが多い。
豊臣秀吉の食卓は現代人にとって参考になるのではないだろうか。
終わりに
戦国時代頃には現代の和食の原型ができつつあり、すでに「ご飯」と「味噌汁」が登場していたようである。
ちなみに私たちが正月に食べる「おせち料理」の原型を作ったのは伊達政宗だといわれている。
彼のおせち料理には60品目以上のおかずが並んでいたとか。戦国一のグルメ大名といえるだろう。
戦国武将の食事は、思っていた以上に多種多様であった。
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