戦国時代

戦国大名はどのようにして生まれていったのか?【5つのパターンを検証】

そもそも戦国大名とは?

戦国大名はどのようにして生まれていったのか?

1570年代の勢力図 wikiより引用

戦国大名とは、応仁の乱の後に守護大名などの領主を倒して領地を得たり、自ら国人などをまとめて大名となった人たちです。

戦国大名たちは国人の家臣化、分国法などの法律の制定、さらに領地の発展のために検地や城下町の建設や商人の保護などを行い、領国の拡大を求め激烈な戦いを繰り広げていました。

ケース1 守護代が戦国大名になるパターン

これは、戦国大名の大半を占めている最もスタンダードなパターンです。

守護大名が応仁の乱で京都で戦っている時に、その大名が統治していた領国の管理をしていた守護代が勝手に独立して領地化したことが、そもそも戦国時代に入ったきっかけなのです。

守護代から戦国大名になったパターンは、朝倉家、織田家、長尾家、浦上家などです。

戦国大名はどのようにして生まれていったのか?

朝倉家7代目朝倉孝景(英林)斯波氏を倒して越前を領国化した

ケース2 農民や商人や家臣から戦国大名になるパターン

戦国大名の代名詞といえばこれだと思います。

いわゆる下剋上や、成り上がりです。

※北条早雲

主な例は農民から信長の家臣となって最終的には天下統一を果たした豊臣秀吉、幕府の一官吏から伊豆と相模の大名となった北条早雲(伊勢新九郎盛時)、敵をなりふり構わず暗殺して最終的には備前の大名となった宇喜多直家、油売りから美濃の大名となった斎藤道三などなど。非常に濃いメンツが揃っています。

ケース3 守護大名がそのまま戦国大名になるパターン

戦国大名はどのようにして生まれていったのか?

※島津忠久(島津氏の祖)

守護代による下剋上。しかし守護大名だって黙って見てるわけにもいきません。

守護代や国人の下剋上によって倒されていく守護大名がいる一方で、なんとかして守護代や国人らを押さえつけて守護大名から戦国大名へと変わっていった家がありました。

守護大名から戦国大名となったパターンは、島津家、南部家、伊達家、甲州武田家、大友家などがいます。

その中でも島津家と南部家は鎌倉時代から幕末までの700年間その領土を保持しており、さらに島津家は幕末でも大活躍するのだからすごいものです。

ケース4 国人が戦国大名になるパターン

※毛利元就

室町時代以前では守護大名ほど勢力はないものの、一応の領地を持っている国人という人たちがいました。

この人たちはのちに大名の家臣になっていくのが大半でしたが、戦国時代に入ると急激に勢力を伸ばして戦国大名となる家もありました。

国人から戦国大名になった例は毛利家、長宗我部家、龍造寺家などです。

ケース5 特殊なパターン

なんでもありの戦国時代。もちろん特殊な例も色々ありました。

例えば一向一揆です。加賀国は元々の守護に富樫家がいましたが、その家督争いに乗じて一向宗の信徒たちが国を乗っ取り自治をし始めます。

これ以降加賀は『百姓の持ちたる国』と言われるようになり、また1573年の朝倉家滅亡の後には混乱に乗じて越前を占領したり大暴れしていました。

他にも元朝廷でもトップクラスの公家であった一条家出身の一条教房が、応仁の乱の時に荘園があった土佐に逃げ、そこに土着した子孫が土佐一条家として戦国大名となった例もあります。

このように戦乱の世では、様々な理由で多くの大名が生まれ、覇を争うようになっていったのです。

参考文献 : 戦国大名家全史: 戦国大名216家の興亡を完全データ化

 

草の実堂編集部

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

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