安土桃山時代

現地取材でリアルに描く『真田信繁戦記』 第2回・第一次上田合戦編

人気武将・真田信繁の生涯をよりリアルに感じてもらいたく、筆者自身が、信繁の活躍した旧跡に実際に足を運び、取材をした『真田信繁戦記』。

第2回は「第一次上田合戦編」。1585(天正13)年、沼田割譲をめぐり、真田氏と徳川氏の間に勃発した第一次上田合戦について紹介しよう。

本能寺の変と天正正午の乱

画像:真田時代の沼田城空堀跡(撮影:高野晃彰)

画像:真田時代の沼田城空堀跡(撮影:高野晃彰)

武田勝頼の滅亡後、小なりといえども戦国大名として独立を果たした真田昌幸は、岩櫃城沼田城を固め、上州・吾妻における自領の維持に努めていた。そんな中、1582(天正10)年6月2日、京都で本能寺の変が勃発。天下布武を目前にした織田信長が、明智光秀によりあっけなく討たれた。武田滅亡からわずか3ヶ月後のできごとだった。

本能寺の変を境に関東の情勢は一変。滝川一益川尻秀隆ら旧武田領を支配していた信長麾下の諸将は勢力を失い、相次いで失脚した。この機会を逃さず、武田旧領をめぐり徳川氏と北条氏の争いが起こる。

この争乱を天正壬午の乱という。

画像 : 上杉景勝 public domain

その後、織田信雄の仲介で両氏の間に講和が成り立つと、1585(天正13)年、徳川家康は昌幸に沼田領と吾妻領を北条氏政に譲ることを迫った。これに対し、昌幸は上田城を築城し、反家康の拠点とし、ここに本拠を移す。さらに、越後の上杉景勝に援助を求めるとともに信繁を人質として送り、敢然と家康に反旗を翻した。

この時、昌幸は、矢沢頼綱の嫡子・頼幸を付け、軍兵を添えて信繁を景勝の元へ送り出している。

上杉景勝は1584(天正12)年に、豊臣秀吉と家康が衝突した小牧・長久手の戦いで、秀吉側に付いて行動した。昌幸は景勝と結ぶことにより、家康から離脱し、秀吉への臣従を画策したのだろう。

第一次上田合戦の経緯

画像:上田城大手門(提供:上田市)

画像:上田城大手門(提供:上田市)

真田昌幸の行動に怒った徳川家康は、1585(天正13)年8月に、ついに真田討伐を決意。鳥居元忠を総大将として平岩親吉、大久保忠世らが指揮する約7,000名の軍勢で上田城を攻めた。これが第一次上田合戦である。

上田城にいる真田軍は、約1,200名。真っ当に戦ったのでは真田に勝ち目はない。

昌幸は先ず、上田城の外堀の役目を負う神川で、徳川軍を迎え撃つ。しかし、適わぬと見せかけて上田城に退却した。そして、勝ちに乗じた徳川軍を城下町の奥深くまで引き込むと、伏兵を用いてその背後に火を放った。上田城本丸に迫った徳川軍を襲ったのは、紅蓮の炎だった。

画像:信繁の兄・真田信之 wiki c

画像:信繁の兄・真田信之 wiki c

そこに、砥石城から進出した信繁の兄・信之の別動隊が、横矢を入れる。さらに、昌幸の指揮のもと本隊が一斉射撃を行うと、大手門から突出して、狼狽する徳川軍に襲い掛かった。

第一次上田合戦当時の上田城とその城下町は、建設途中でまだ未完成だった。この後、昌幸は上田城をさらなる堅城とするべく、城下町もあわせて普請と拡大を続けていく。それが信繁の活躍する第二次上田合戦に活かされることになるのである。

この戦いにおける徳川軍の戦死者1,300名に対し、真田軍は僅か40名余りと伝わる。
何はともあれ、第一次上田合戦は、一方的な真田の勝利に終わったのだ。

徳川旗本の大久保彦左衛門は『三河物語』で、この時の徳川軍を「ことごとく腰がぬけはて、震えて返事も出来ず、下戸に酒を強いたるが如し」と記している。

歴戦の三河勢が恐怖するほどの負け戦であり、謀将・真田昌幸の面目躍如たる戦いでもあった。家康は、井伊直政を後詰として派遣するものの、9月下旬に撤退の命令を下した。

第一次上田合戦時の信繁

真田信繁/真田幸村肖像画

ドラマ・映画では、この戦いに信繁が参加していたように描くものがあるが、この時、信繁は上杉景勝のもとにおり参加していないと考えるのが妥当だろう。

画像:海津城跡(撮影:高野晃彰)

画像:海津城跡(撮影:高野晃彰)

景勝は、信繁を優遇した。海津城(松代城)下に1千貫(約2,000石)の所領を与え、春日山城に伺候させた。

ちなみに海津城のある長野県松代町は、武田氏と上杉氏が激戦を繰り広げた川中島古戦場跡に近く、江戸時代に入ると信之が入封、明治維新まで真田松代藩として続いた。現在も城下町としての風情を保ち、街中には藩校の旧文武学校や大名屋敷の真田邸など、数多くの真田氏にまつわる史跡・旧跡が残る。

真田家伝来の品々を収めた真田宝物館もあるので、川中島古戦場の見学と合わせて来訪をおすすめしたい。

画像:真田宝物館(提供:真田宝物館)

画像:真田宝物館(提供:真田宝物館)

さて、話を元に戻そう。信繁が景勝のもとにいたのはわずか1年余りであり、おそらくは、第一次上田合戦はもとより、その他の実戦に参加することはなかっただろう。

しかし、この間に景勝およびその重臣直江兼続から弟のように可愛がられ、軍学をはじめ数々の薫陶を受けたことは間違いない。それは信繁にとって実戦以上に価値のあるものであった。さらに上杉人質時代に上洛し、豊臣秀吉に謁見したことが、信繁の人生にとって大きな転換期となったのだ。

第3回は、信繁が豊臣秀吉麾下の武将として初陣を飾る「小田原征伐」を紹介する。

関連記事 : 現地取材でリアルに描く 『真田信繁戦記』 第1回・甲斐脱出編

※参考文献
高野晃彰編・真田六文銭巡礼の会著『真田幸村歴史トラベル 英傑三代ゆかりの地をめぐる』メイツユニバーサルコンテンツ、2015年12月

 

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高野晃彰

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編集プロダクション「ベストフィールズ」とデザインワークス「デザインスタジオタカノ」の代表。歴史・文化・旅行・鉄道・グルメ・ペットからスポーツ・ファッション・経済まで幅広い分野での執筆・撮影などを行う。また関西の歴史を深堀する「京都歴史文化研究会」「大阪歴史文化研究会」を主宰する。

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