戦国時代

武田信玄の格言?ネット上に出回る「中途半端だと愚痴が出る」の真相は

戦国時代「甲斐の虎」と恐れられた名将・武田信玄

その格言として、こんな言葉が伝わっているそうです。

実力の差は努力の差
実績の差は責任感の差
人格の差は苦労の差
判断力の差は情報の差
真剣だと知恵が出る
中途半端だと愚痴が出る
いい加減だと言い訳ばかり
本気でするから大抵のことはできる
本気でするから何でも面白い
本気でしているから誰かが助けてくれる

……興味が湧いたので軽く調べてみたところ、その出典は『正範語録(せいはん?しょうはん?ごろく)』とのこと。

Googleの検索画面。けっこう市民権を得ているようだが、肝心の出典が見当たらない。

しかしインターネットで調べてみても、この『正範語録』なる文献は発見できず、調査は早くも行き詰まりました。

そんな時に頼れるのが図書館のレファレンス。私たちの疑問を、調べもののプロたちがサポートしてくれる素敵サービスなのです。

さっそく鎌倉市図書館にレファレンスを依頼したところ、こんなご回答を下さいました。

江戸時代以前に『正範語録』は存在せず

歌川芳員「武田二十四将川中嶋諸将図」より武田大膳大夫晴信入道信玄

……結論から言うと「これが武田信玄の格言とは考えにくい」とのことです。後半部分は後藤静香の詩「本気」が出元かも知れません。

「本気にすれば大抵の事はできる。本気にすればなんでも面白い。本気でしていると誰かが助けてくれる。人間を…略…」

※参考:後藤静香『「心」が強くなる48の詩』中経出版、1996年8月
http://www.vesta.dti.ne.jp/~m-forest/kotoba.html

ただ、これだけだと「武田信玄の格言を、後藤氏が流用したのかも知れないじゃないか」と言われそうです。

では『正範語録』という文献は存在するのか調べてもらったところ、慶応3年(1867年)までに日本人が著述・編纂・翻訳した全書籍を網羅した『国書総目録』にその書名がありませんでした。

※参考:国書データベース

https://kokusho.nijl.ac.jp/?ln=ja

江戸時代以前には存在しなかったということは、少なくとも戦国時代に生きていた武田信玄の格言ではないと言えるでしょう。

ではなぜ、冒頭の言葉が武田信玄の格言とされたのでしょうか。レファレンスの皆さんは、その謎も突き止めてくれました。読売新聞の記事が発端?読売新聞のデータベース「ヨミダス」によると、令和3年(2021年)6月28日付朝刊(島根版・31ページ)に、こんな記事が紹介されていました。

「私の1冊 柴辻?俊六/編「武田信玄大事典」
「武田信玄の名言を集めた一冊です。…略…特に好んでいるのは「実力の差は努力の差」という言葉。…略…また、「真剣だと知恵が出る。中途半端だと愚痴が出る。いいかげんだと言い訳ばかり」も心に響きます。」

※参考:「人あり 大自然疾走 魅力伝える」
https://www.yomiuri.co.jp/local/shimane/feature/CO028572/20210627-OYTAT50025/

柴辻俊六と言えば、武田氏研究の第一人者(※筆者の主観です)。確かに紙面にそう書いてあるのだから間違いなかろう……と調べてもらったところ、柴辻俊六 編『武田信玄大事典』にはそのような記述はなかったとのことです。

何かの見間違いだったのか、あるいは他の書籍と記憶がごっちゃになってしまったのかも知れませんね。

「人格」「情報」という言葉は明治時代から

信玄公は、「人格」「情報」に当たる概念を、どのような言葉で表現したのだろうか。

更に格言中の「人格」「情報」という言葉が戦国時代に存在したのかについても疑問を持ち、調べてくれました。

「人格」という言葉はPersonality(パーソナリティ)を訳した言葉として、哲学者の井上哲次郎が創り出した造語と言われます。

また「情報」という言葉はInformation(インフォーメーション)の訳語?として明治時代に日本で作られ、『佛國歩兵陣中要務實地演習軌典(ふっこくほへいじんちゅうようむじっちえんしゅうきてん。明治9・1876年)』の文中で初めて使われたのでした。

……敵兵ノ遠近ト其進入スルノ難易ト其情報ヲ得ント欲スルノ緩急ト……

※参考:『仏国歩兵陣中要務実地演習軌典 再版』国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/988090

戦国時代には存在しなかった言葉を武田信玄が発する訳もないので、やはり後世の創作と考えた方がよさそうです(もしくは「人格」「情報」に代わる当時の言葉を当てて発言していた可能性もなくはありませんが……)。

終わりに

落合芳幾「太平記英勇傳 武田大膳大夫晴信入道信玄」

ただし、事実ではなくても「武田信玄なら言いそうだ」というある種の期待もまた、歴史的な偉人の一部ではないでしょうか。

嘘も真も呑み込みながら、人々は伝説を生み出し、英雄たちを畏れ愛していくことでしょう。

今後、武田信玄がどんな格言を生み出していくのか、これからも楽しみですね。

※参考文献:

  • 大隅和雄ほか『知っておきたい 日本の名言・格言事典』吉川弘文館、2005年8月
  • 河合敦『知ってる?偉人たちのこんな名言 戦国武将編1』ミネルヴァ書房、2020年6月
アバター画像

角田晶生(つのだ あきお)

投稿者の記事一覧

フリーライター。日本の歴史文化をメインに、時代の行間に血を通わせる文章を心がけております。(ほか不動産・雑学・伝承民俗など)
※お仕事相談は tsunodaakio☆gmail.com ☆→@

このたび日本史専門サイトを立ち上げました。こちらもよろしくお願いします。
時代の隙間をのぞき込む日本史よみものサイト「歴史屋」https://rekishiya.com/

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く
Audible で聴く

コメント

    • 名無しさん
    • 2025年 11月 12日 9:48am

    中途半端

    0 0
    50%
    50%
  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 伊賀忍者と甲賀忍者の違いについて解説
  2. 戦国時代「小田原北條五代祭り」の武者行列に一般公募で参加してみた…
  3. 「小姓」の仕事とはどのようなものだったのか? 【秘書、ボディーガ…
  4. 武田信玄の本拠地「躑躅ヶ崎館」 武田神社に行ってみた
  5. 【スペインの野望と日本征服計画】 織田信長とイエズス会の誤算
  6. 伊達政宗(独眼竜)が描いた「100万国の夢」
  7. 大久保忠世 「信玄、信長、秀吉に称賛された徳川十六神将」
  8. 本庄繁長『一度は上杉に背くも越後の鬼神と称された武将』

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

玉川上水 はなぜ作られたのか? 「江戸の発展に貢献」

かつて江戸の町を潤わせた上水は、今も一部が利用されている。42kmという長大な玉川上水のことだ。…

『中国史上最悪の女たらし』182人の女性を誘惑した男の“禁断の術”とは

明代の貞節文化中国の明王朝の時代。女性の「貞節」は、最も重要な徳とされていた。…

戦国から江戸の町家500棟が残る!奈良・橿原「今井町」を歩く ~なぜ知名度が低い?

奈良県橿原市の今井町(いまいちょう)は、戦国時代に称念寺を中心とした寺内町として発展し、江戸時代には…

金剛「連合軍から日本海軍の殊勲艦に挙げられた高速戦艦」

最期の外国製戦艦 金剛戦艦・金剛は太平洋戦争において日本海軍が保有していた12隻の戦艦の…

【童謡・赤い靴】の女の子は実在していた? 9歳で亡くなった「きみちゃん」とは

「あかいくつ、はいてた」で始まる童謡『赤い靴』。大正時代に作られたこの歌は、小学校などで今日…

アーカイブ

人気記事(日間)

人気記事(週間)

人気記事(月間)

人気記事(全期間)

PAGE TOP