戦国武将と兜
戦国武将たちが愛用した兜は、どれも華やかでユニークなものが多かった。
うっとりと見惚れてしまうほどカッコ良い兜もあれば、思わず笑ってしまうような兜など多種多様であった。
武将たちは、なぜこのような変わった兜をつけたのだろうか。その理由は、単に頭部を守るための防具以上に、戦場で目立ち、威厳や地位を誇示するためでもあった。
今回は、戦国武将たちの兜の歴史と、そのユニークさについて掘り下げてみたい。
兜の部位と歴史
兜は、いくつもの部位から成り立っている。「前立て」「兜鉢」「八幡座」「吹返」「錣(しころ)」「眉庇(まびさし)」「目庇(めびさし)」「面頬(めんぼお)」といった部位があり、それぞれに名前が付いている。
平安時代中期には「星兜」と呼ばれる、鉄の板をつなぎ合わせる鋲(びょう)が丸い突起状になった兜が登場した。
南北朝時代になると、戦いの形態が変わり、兜の軽量化と打撃からのダメージをそらすための「筋兜」が登場した。
戦国時代には、さらに個性的な「変わり兜」が現れるようになった。
これらは単なる防具ではなく、武将の個性を反映し、その威厳を誇示するものとして機能した。
以下に「変わり兜」を紹介していこう。
【虫】
加賀百万石の祖・前田利家の兜には「勝ち虫」として知られるトンボが付けられていた。
トンボは後退せず常に前進するため、縁起が良いとされた。
その他に同じ「勝ち虫」とされたのがムカデだった。
トンボと同じく前進しかしないために戦国武将に愛され、伊達政宗の重臣で伊達家一の猛将と言われた伊達成実もムカデを選んだという。
また、蝶も人気のモチーフであった。毛虫から蛹(さなぎ)を経て蝶に変わる過程が、蘇りや不死の象徴とされ、戦場で生死をかける武将たちにとって好ましいものであった。
また、蟷螂(カマキリ)はその動作から、敵を刈り取る象徴として用いられた。
【動物】
動物の中で以外にも人気が高かったのは、莵(ウサギ)である。
ふわふわとして可愛い小動物というイメージがある兎だが、動きが俊敏で繁殖力が強いため、縁起が良いとされた。
上杉謙信は、ウサギの耳を大胆にデフォルメした兜を愛用していた。
鳥類では燕(ツバメ)が人気で、その尾をモチーフとした兜が作られた。燕は農作物を荒らす害虫を食べるため、人々に大切にされていた。
また、五大明王の一つ「大威徳明王」が牛に乗っていたことから、牛の頭を使った兜も作られた。
仙石秀久の家臣・谷津主水が被ったのが猿の兜だった。
戦場で「災いが去る」という魔除けの意味があり、似たように熊の頭部を兜に付けたものもあった。
薩摩の猛将・島津義弘が、前立てに狐(キツネ)をつけていたことも有名である。
【魚介類】
魚介類を象った兜も存在した。
名古屋城で有名な鯱(シャチホコ)は、火災の際に口から水を出して火を消すと信じられ、守り神とされた。
海老(エビ)はその姿が鎧をまとっているように見えることから、具足を身にまとった武者を連想させ、好まれた。
伊勢エビを殻ごと輪切りにして煮る料理を「具足煮」と言うのはその名残である。
蟹(カニ)は子孫繁栄の象徴とされ、脱皮を繰り返すことから吉祥とされた。
栄螺(サザエ)はその固い殻が対峙した敵に対する強い防御力を連想させ、栄の文字が入っていることから好まれた。
鯰(ナマズ)は地震を起こす魚と信じられ、大地に対する信仰と結びついて兜の意匠として取り入れられた。
その他
伊達政宗は、莵(月)の妙見信仰につながるために、大きな三日月の前立てをした兜を愛用していた。
武田信玄は白い毛のついた兜を被っていたが、それはヤクという外国の動物の毛だった。
加藤清正は、長く伸びた烏帽子で有名である。
黒田官兵衛は、「合子(ごうす)」と呼ばれる蓋付きのお椀を象った兜を愛用していた。
これは、お椀が敵を飲み干す象徴とされたからである。
当初、前立ては鉄で作られていたが、戦国時代には軽くて加工しやすい紙製の前立ても多く作られるようになった。
最後に
戦国武将たちの兜は、単なる防具ではなく、個性と威厳を象徴する重要なアイテムであり、動物や虫、魚介類を象った兜は、それぞれに込められた意味や信仰に基づいて愛用された。
これらのユニークな兜は、戦国時代の武将たちの精神と誇りを今に伝えているのである。
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