どうする家康

豊臣秀吉の右手には指が6本あった? ~ルイス・フロイスの記述

天下取りへ動き出した秀吉

画像 : 豊臣秀吉坐像(狩野随川作)public domain

現在NNKで放送中の「どうする家康」にてムロツヨシが演じる羽柴秀吉(豊臣秀吉)。

まずは放送されたここまでの流れを、史実的な視点でざっと解説しよう。

本能寺の変で信長亡き後、明智光秀を山崎の戦いで打った秀吉は一気に天下取りへ動き出し、信長の後継者を決める清洲会議では信長の孫である三法師を擁立して、柴田勝家と対立。

丹羽長秀池田恒興を懐柔した秀吉が清洲会議を有利に進めたことで、織田家の重臣筆頭だった勝家の影響力が低下し、秀吉が実質的に織田家No.1の地位となった。

この会議後、柴田勝家は信長の妹・お市の方(演 北川景子)と結婚する。勝家はお市の方に以前から好意を持っており、勝家の不満を抑える意味で会議後に秀吉が動いたという説もある。

勝家は、お市の方よりも25歳も年上であった。

豊臣秀吉の右手には指が6本あった説

画像 : 浅井長政夫人(お市の方) public domain

その後、勢力を増した秀吉に対抗するために、柴田勝家は滝川一益・織田信孝と結び、天正11年(1583年)3月12日、賤ヶ岳の戦いで秀吉と激突する。

勝家はこの戦いに敗れて居城・北ノ庄城に戻ったが、秀吉の軍勢が迫り、お市の方と娘・三姉妹を城から脱出させようとした。

しかし、お市の方は三姉妹だけを脱出させ自分は残り、勝家と共に自害した。享年37であったとされている。

秀吉は右手の親指が1つ多く6つもあった

ドラマではムロツヨシが個性的な秀吉像を演じているが、実際の秀吉はドラマの演出以上に個性的であったようだ。

なんと秀吉は右手の親指が一つ多く、6本指だったという。

つまり多指症だったのだ。

豊臣秀吉の右手には指が6本あった説

画像 : 多指症 イメージ

これはいくつか裏付ける史料があり、信ぴょう性の高い説となっている。

ルイス・フロイスの記述

まずは実際に秀吉に会ったことがある宣教師・ルイス・フロイスが著した「日本史」である。

画像 : 横瀬浦のルイス・フロイス像 ©長崎県観光連盟

「秀吉は優秀な武将で戦闘に熟練していたが気品に欠けていた。身長が低く醜悪な容貌の持ち主だった。片手には六本の指があった。眼がとび出ており、支那人のように鬚が少なかった。極度に淫蕩で、悪徳に汚れ、獣欲に耽溺していた。抜け目なき策略家であった。」

ルイス・フロイス『日本史』より

フロイスの『日本史』は母国語で本国の為に著した書であり、日本に対する政治的忖度もなく信憑性の高い史料といえる。

ただし秀吉はバテレン追放令を発し宣教師たちを弾圧したので、これは私怨のあるフロイスの創作だという声もある。とはいえ上記の記述では十分に秀吉を悪く書いているし、「指が6本あった」という一風変わった創作までわざわざするだろうか?

フロイスの信長の記述を見ても、外見や声の特徴など見たままを書いているし、秀吉に関しても少なくとも外見は見たままを記述したのではないかと推測できる。

前田利家の伝記の記述

画像 : 前田利家 public domain

フロイスの史料のみであれば、まだ信憑性は低いのかもしれないが、なんと日本人の史料にも記述がある。

それは前田利家の伝記『国祖遺言』で、ここにも秀吉の指が6本あったことが記されている。『国祖遺言』とは加賀藩の一門や家臣団に向けて、前田利家の事績を賞賛するために書かれた言行録である。

あるとき蒲生氏郷、前田利長、金森長近ら3人は聚楽第で、前田利家の居間の側の部屋で夜半まで話をしていた。

「太閤様は、右手の親指が1つ多く6つもあった」

その会話が聞こえた利家は「太閤様ほどの方であれば若いときに6本目の指を切っておけば良かったのに・・そうされないので信長公は“六ツめ”と異名されていた)と語った(現代訳)

秀吉が信長から「猿」と呼ばれていたことは有名であるが、ここでは「六ツめ」とあだ名されていた事も書かれている。

国祖遺言は秀吉の死後に利家の三男・知好(ともよし)が著し、利家が家臣に話した言葉や物語を集めたものと伝えられている。知好が家康ならまだしも秀吉に私怨があったとも考えにくく、こちらも聞いたままを著したのではないかと推測できる。

朝鮮の儒学者、姜沆の記述

実は海外にもう一つ史料がある。

当時の朝鮮の儒学者、姜沆(きょうこう)が秀吉の朝鮮出兵(慶長の役)で捕虜となり日本に移送され、3年ほど滞在した際に見聞きしたことを著した『看羊録』にも、秀吉には指が6本あったと記されているのである。

ただしこの史料では「秀吉は生まれた時6本指だったが、刀で切り落とした」とされており食い違いがある。とはいえ6本指だったという点は一致しているのである。

多指症の有名人

実は多指症はそれほど珍しい症状というわけではない。その確率は400人に1人ほどとされており、手の親指に起こることが多いという。

画像 : 映画雑誌の表紙を飾る江青(1935年頃) public domain

歴史上の人物でいえば、毛沢東の第4婦人・江青や13世紀のポーランド大公・ヘンリク2世、16世紀のエリザベス1世の生母・アン・ブーリンが多指症だったと伝えられている。

近年では、メジャーリーガーのアントニオ・アルフォンセカが、両手両足全て6本指なことで有名である。

幼少期に切除した例も多く、イギリスの女優・ジェマ・アータートンや、日本の声優・細谷佳正氏も幼い頃に手術で切除している。

最後に

秀吉の上記の史料に関しては信憑性も問う声もあるが、少なくとも外見に関しては多くの史料で「背が低く醜かった」と見たまま正直に書かれており共通している。

天下人だった秀吉に対してさえあまり忖度していないことから、信憑性は高いと考えられるのではないだろうか。

参考 : ルイス・フロイス『日本史』他
文 / 草の実堂編集部

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

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