どうする家康

【関ヶ原の戦い】小早川秀秋の裏切りを促した徳川家康の「問い鉄砲」とは 【どうする家康】

小早川秀秋と言えば、関ヶ原の戦いで石田三成ら率いる西軍を裏切り、東軍を率いる徳川家康らの勝利に貢献したことで知られています。

しかし秀秋は優柔不断だったのか、なかなか動き出しませんでした。

苛立ちを隠せない家康は、秀秋の尻を蹴飛ばす(決意を促す)べく、かの有名な「問い鉄砲」を放ったのです。

家康の怒りに震え上がった秀秋は、慌てて西軍を裏切ったという次第。

今回は江戸幕府の公式記録『徳川実紀(東照宮御実紀附録)』より、秀秋に向けて放たれた家康の問い鉄砲エピソードを紹介したいと思います。

家康の誤算?ちゃんと根回ししたはずなのに……

思わぬ戦況に焦る?徳川家康(イメージ)月岡芳年筆

……この日辰刻に軍はじまり。午の刻におよびてもいまだ勝敗分れす。やゝもすれば味方追靡けらるゝ様なり。……

※『東照宮御実紀附録』巻十「小早川秀秋応家康」

時は慶長5年(1600年)9月15日。天下分け目の関ヶ原合戦は辰の刻(午前8:00ごろ)から戦闘開始。

当初の予定では「戦さが始まれば、西軍の各将が一斉に寝返り、昼前には終わるかな?」とでも思っていたようですが、正午になってもまだ勝負がつきません。

「おかしいな。根回しは十分なはずなのに……」

西軍の各将はいきなり寝返るのも気まずいと思っているのか、八百長を演じているのかも知れません。

しかしそれにしては、東軍が押されているようにさえ見えます。

「まさか、やっぱり裏切らない気ではなかろうな……」

そんな考えが頭をよぎり、家康は不安になって来たのかも知れません。

小早川秀秋、動かず

画像 : 小早川秀秋。落合芳幾「太平記拾遺 金吾中納言秀秋」 public domain

……金吾中納言秀秋かねて裏切すべき由うちうち聞えしがいまだその様も見えず。久留島孫兵衛某先手より御本陣に来り。金吾が旗色何ともうたがはし。もし異約せむもはかりがたしといへば。……

※『東照宮御実紀附録』巻十「小早川秀秋応家康」

「えぇい、金吾(小早川秀秋)の動きはどうなっておる!」

家康は西軍屈指の大軍を率いる小早川秀秋の動向が気になって仕方ありません。

そもそも小早川秀秋は秀吉時代、石田三成によって貶められ、彼に怨みを持っています。

一方で家康からは、罪に問われかけたところを取りなしてもらうなど、多大な恩を受けていました。

むしろ何で最初から東軍じゃなかったのか不思議なくらいです。

しかし、いざ決戦の場に臨んで寝返ってくれないのは何故なんでしょうか。

「孫兵衛を呼べ!」

家康は最前線で戦っていた久留島孫兵衛を本陣に呼び戻し、状況を報告させました。

すると孫兵衛の曰く「金吾の様子が怪しいですな。もしや謀られたのでは?」とのこと。

さぁ困りました。小早川秀秋がこのまま西軍に味方するとなれば、他の連中も東軍危うしと見て寝返りをためらうかも知れません。

果たして、家康はどうするのでしょうか。

どうする秀秋!家康、怒りの問い鉄砲

構わぬ。撃て!松尾山に向けられる銃口(イメージ)。

御けしき俄に変じ志きりに御指をかませられ。扨はせがれめに欺かれたるかとの上意にて孫兵衛に。汝は金吾が陣せし松の尾山にゆき。鉄砲を放て試みよと宣へば。孫兵衛組の同心をめしつれ山の麓より鉄砲うちかけしかば。筑前勢はじめて色めき立て麓へ下せしとぞ。(天元實記。)

※『東照宮御実紀附録』巻十「小早川秀秋応家康」

「あンの小せがれめが、このわしを謀(たばか)りおったか!」

報告を受けて、家康は怒髪天を衝かんばかり。

「ヤツがそのつもりなら仕方あるまい。おい孫兵衛!」

「はっ」

「そなた今から小早川めの陣取る松尾山へ向かい、鉄砲をありったけ打放(ぶっぱな)して参れ!」

「「「えぇっ!?畏れながら、左様な振る舞いに及べば、金吾が敵に回るやも知れませぬ!」」」

孫兵衛らの懸念はもっともで、銃口を向けられた怒りで小早川勢が攻め込んでくれば、この戦は一気に劣勢となるでしょう。

「いいからやれ!あの小せがれがわしに立ち向かえるものならば、喜び受けて立つまでじゃ!」

そこまで言われては、孫兵衛も従わざるを得ません。

さぁ、味方につくのか敵になるのか。今すぐハッキリ答えよ!

盛大に放たれた家康の「問い鉄砲」。これに恐れをなした小早川秀秋は、慌てふためいて西軍へ突入します。

これを契機に東軍は劣勢を巻き返し、見事に勝利を収めたのでした。

終わりに

画像 : 関ヶ原合戦屏風 public domain

……明れば九月十五日。敵味方廿万に近き大軍関原青野が原に陣取て。旗の手東西にひるがへり汗馬南北にはせちがひ。かけつかへしつほこさきよりほのほを出してたゝかひしが。上方の勢は軍将の指揮も思ひ思ひにてはかゞかしからず。剛なる味方の将卒にきり立られ。其上思ひもよらず兼て味方に内通せし金吾秀秋をはじめ裏切の輩さへ若干いできにければ。敵方に頼み切たる大谷。平塚。戸田等をはじめ宗徒のもの共悉くうたれ。浮田。石田。小西等もすて鞭打て伊吹山に逃いり。島津も切ぬけ。其外思ひ思ひに落てゆけば。味方の諸軍いさみ進て首をとる事三万五千二百七十餘級。見方も討死するもの三千餘ありしかど。軍将は一人も討れざりしかば。 君御悦大方ならず。……

※『東照宮御実紀』巻四 慶長五年「関原対陣」

かくして、天下分け目の関ヶ原合戦は幕を引きました。

この戦闘による死者は東軍3,000余りに対して西軍は35,270余り。圧倒的な大差で家康らが勝利を収めます。

西軍は大谷吉継・平塚為広・戸田勝成ら名だたる武将らが討死した一方、東軍は大将格の討死はなかったそうな。

およそ半日ばかりで勝負を決したこの大戦さがどのように描かれるのか、NHK大河ドラマ「どうする家康」が楽しみですね!

※参考文献:

  • 『徳川実紀 第壹編』国立国会図書館デジタルコレクション
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角田晶生(つのだ あきお)

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