テレビ時代劇の金字塔とも言われる『鬼平犯科帳』。
1969年(昭和44年)から2016年(平成28年)の長きにわたって放送され、主役の鬼平は、初代・松本白鸚にはじまり、丹波哲郎、萬屋錦之介、二代目中村吉右衛門と四代に渡って受け継がれてきました。
今回は、各人各様それぞれ違った顔を見せてくれた歴代の鬼平と、彼らにまつわるエピソードをご紹介します。
初代鬼平・八代目 松本幸四郎(初代 松本白鸚〈はくおう〉)
昭和44年10月7日~昭和47年3月30日.総数91本
昭和44年、テレビ初放送の『鬼平犯科帳』の主演を務めたのは、四代目鬼平を演じた中村吉右衛門さんの実父・八代目 松本幸四郎(初代 松本白鸚)さんです。
白鸚さんを鬼平にと指名したのは、他でもない原作者の池波正太郎さんでした。というのも池波さんは、以前、映画『敵は本能寺にあり』で一緒に仕事をした白鸚さんをイメージして『鬼平犯科帳』を執筆していたのです。
「テレビドラマは初めてゆえ、動きも芝居もすべて監督さんにおまかせします」
と言った白鸚さんは、遅刻を一度もしたことがない謹厳実直な方。常に撮影開始30分前には支度を終え、役になりきって現場に現れました。
ただ、ドラマが好評だったため、スケジュール調整が難しくなってしまい、白鸚さんは歌舞伎の舞台とテレビ撮影を掛け持ちするようになっていました。
歌舞伎座では、役になり切るためにメークをすべて終えた後、鏡の前に1時間静かに座ることを習慣としていた白鸚さんにとって、舞台とドラマ撮影の掛け持ちは本来、不本意なことでした。
ある時、予想以上に撮影に時間がかかり、終了時間が大幅に遅くなったことがありました。
撮影終了の合図が出てカメラのフレームから外れるや否や、白鸚さんは、かつらをむしりとって外し、走りながら衣装を脱ぎ捨て、待たせていた車に飛び乗って歌舞伎座へと走り去って行きます。
彼は、撮影時間が押していることへの苛立ちを決して表には出さずに芝居をしていたのです。
一言も文句を言わず、誠心誠意芝居に打ち込む白鸚さんの姿に、監督は池波さんの言う鬼平としての理想の人柄を見たそうです。
二代目鬼平・丹波哲郎
昭和50年4月2日~昭和50年9月25日.総数26本
白鸚版鬼平が終了して3年が経った頃、視聴者からのリクエストに応え、『鬼平犯科帳』が再開されます。
鬼平役には「声もいいし、貫禄もあるから丹波哲郎で」というテレビ局の意向を聞いた原作者の池波さんは、「局がそういうならいいんじゃないか」と承諾しました。
こうして二代目鬼平は、丹波哲郎さんに決まりました。
ところが撮影が始まると、丹波さんは「朝が弱く起きられないので撮影開始は10時にしてくれ」という条件を出してきたのです。
撮影開始時間を通常よりも1時間遅い10時に設定したにもかかわらず、丹波さんが撮影所に到着するのはいつも10時半を回っており、かつらや衣装を付け、準備が出来上がるのは11時過ぎでした。
これでは午前中はほとんど撮影にならず、木村忠吾役の古今亭志ん朝さんは、昼の寄席があると、ものすごく苛立っていたそうです。
丹波さんを1分1秒でも早く撮影に参加させるために、セカンド助監督は「先生」「殿下」などと言ってご機嫌を取り、撮影をスムーズに進行させようと努力していました。
しかし、遅刻は改まることはなく、そんな丹波さんに業を煮やした助監督は、ある日、「もう許せない、あなたの態度は何だ。みんなに謝れ」と絶叫し、怒りを爆発させてしまいます。
最初は相手にしなかった丹波さんも、相手の執拗な「謝れ」という叫びに怒り心頭。いきなり腰の脇差を抜いて助監督を追いかけ回し、「お前なんか首だ!」と言い放ちました。
結局、この騒ぎはセカンド助監督を丹波さんが出演していた「Gメン75」のチーフ助監督に据えることで、すべてケリがついたそうです。
そもそも鬼平役が決まった時、「自分は頭の型が悪いから、ヅラを中ゾリにせずに浪人者のようなムシリにしたい」という丹波さんの言葉に対し、原作者の池波さんが、「幕府の正式の役人である平蔵が、頭もそらずに務まると思うか!」と一喝したこともあり、監督は後に、
「丹波哲郎は、今一歩、この原作に踏み込めぬままに26本の作品が終わってしまったように思えてならない」『鬼平犯科帳人情咄』
といった感想をもらしています。
大柄で殺陣もうまく、抜群の貫録で存在感たっぷりだった二代目・丹波版鬼平は、26本で幕引きとなりました。
余談ですが、後に吉右衛門版『鬼平犯科帳』に大盗・蓑火の喜之助役でゲスト出演した丹波さんは、インタビューで、「平蔵よりも捕まる側を演じるほうが面白かった」と述べ、池波さんについては「霊会でも相当高いところから出てきた人。そうでなければあれだけのものは書けないよ」と霊会の使者ならではの賛辞を送っています。
三代目鬼平・萬屋錦之介
昭和55年4月1日より昭和57年10月12日.総数79本
三代目鬼平は萬屋錦之介さんです。
丹波哲郎編が終了して5年。テレビ局NET(現・テレビ朝日)は、再び『鬼平犯科帳』の制作を企画し、鬼平役として萬屋錦之介さんに白羽の矢を立てます。
池波さんの「錦之介さんなら歌舞伎のことも知っているし、大丈夫だろう」というお墨付きも出て、三代目錦之介版鬼平が実現しました。
当時、錦之介さんは舞台、映画、テレビと多忙を極めており、前回、遅刻魔の丹波哲郎さんに泣かされたスタッフは、今度は錦之介さんの「夜の撮影はNG」という要望にまたまた頭を抱えることになります。
『鬼平犯科帳』は火付盗賊改の捕物劇であり、明るいうちから押し込みに入るような輩はいるはずもなく、当然夜のシーンが中心となります。その主役が午後3時をメドに帰らせて欲しいと言うのですから、スタッフの苦労は並大抵ではありません。
ロケ地は、あまり日の差さない林や暗い場所を探してライトを多用し、カメラのレンズに濃いフィルターを付けた「疑似夜景」という手法を使って、昼を夜の風景にして乗り切りました。
そうしたスタッフの苦労と、義理人情に厚く腕っぷしの強い独特の鬼平を作り上げた錦之介さんの魅力も相まって、三代目鬼平は大変好評を得ていました。
しかし、昭和57年2月、錦之介さんの経営する中村プロダクションが不渡りを出し倒産してしまいます。これにより、東宝と中村プロの共同制作で行われていた『鬼平犯科帳』は続行不可能となり、錦之介版鬼平は終了となりました。
放映が始まってすぐの頃、錦之介さんの甲高い発声が気になるとの感想をもらしていた原作者の池波さんは、最後の作品「春の淡雪」を見た際、「やっと、萬屋も長谷川平蔵になった」と言ったそうです。
こうして、初代とも二代目とも違う独自の鬼平になり切った錦之介さんは、『鬼平犯科帳』から去って行ったのでした。
四代目鬼平・二代目中村吉右衛門
平成元年7月12日~平成10年6月10日、総数150本(連続ドラマ137本、スペシャル13本)
四代目鬼平は、池波正太郎さんのたっての希望で二代目中村吉右衛門さんになりました。
吉右衛門さんは、この時45歳。
30代後半に話が持ち込まれた時には、父親・白鸚に及ばないという理由で断っており、満を持しての登場でした。長谷川平蔵が初めて火付盗賊改に就いたのが42歳であり、ほぼ同年齢となったということも引き受けた理由の一つだったようです。
吉右衛門版鬼平は、睨みすえると悪人がすべてを白状してしまうような「凄味」と人を包み込む「優しさ」だけでなく、お頭としての「貫禄」と時折見せる茶目っ気たっぷりの「笑顔」も魅力的でした。また、言葉の端々や所作に見られる江戸っ子の「粋」とただよう「色気」。
吉右衛門さん演じる鬼平は、歴代鬼平の中で一番の適役と言われています。
さらに、魅力的な鬼平とともにドラマを盛り上げたのが、江戸情緒あふれる映像です。
実はこの江戸情緒たっぷりの映像は、京都で撮られています。吉右衛門さんを起用した繋がりから、歌舞伎の母体である松竹が製作を請け負うことになり、吉右衛門版『鬼平犯科帳』は京都で撮影が行われることになったのです。
すでに、当時の東京では撮れなくなった江戸らしい風情を出すため、近江八幡、美山、宇治、園部と、ほかの作品よりふんだんにロケを行い、京都の風景を使って視聴者が本物の江戸と錯覚するような情景を生みだしました。
特に印象深いのは、四季折々の情緒あふれる映像とともにジプシー・キングスの「インスピレイション」が流れるエンディング映像です。江戸の春夏秋冬を描いた美しい風景と市井の人々。哀切なメロディが、作品の余韻をいつまでも感じさせてくれます。
ちなみにテーマ曲を「インスピレイション」に決定したのは、プロデューサーの「池波正太郎さんはラテンのギターが好き」という鶴の一声でした。このタイトルバックは、通常、1日か2日くらいで撮るところを1か月以上かけた力作だそうです。
しかし、好評だった吉右衛門版『鬼平犯科帳』も、2000年代に入り時代劇人気に翳りが出てくると、2時間の単発スペシャルとなり、2016年(平成28年)12月終焉を迎えました。
なお吉右衛門さんの好きな作品ベスト3は、「本所・桜屋敷」「熱海みやげの宝物」「雲竜剣」だそうです。
2024年(令和6年)5月、『鬼平犯科帳』が新たに映像化されました。五代目鬼平をつとめるのは十代目・松本幸四郎さん。
幸四郎さんは、初代鬼平をつとめた白鸚さんの孫であり、四代目鬼平の吉右衛門さんの甥にあたります。
テレビが白黒の時代から松本幸四郎家系が演じ続ける鬼平。令和版『鬼平犯科帳』で、十代目がどんな鬼平を見せてくれるのか期待したいと思います。
参考文献
高瀬 昌弘『鬼平犯科帳人情咄』文藝春秋
春日 太一『ドラマ「鬼平犯科帳」ができるまで』文藝春秋
『鬼平を極める: 愛蔵版TV鬼平犯科帳大百科』フジテレビ出版
『池波正太郎 没後30年記念総特集』文藝春秋
文 / 草の実堂編集部
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