ブギウギ

『ブギウギ』解説 大正時代のエンタメ事情 ~「宝塚に落ちて松竹に入団した笠置シヅ子」

NHK連続テレビ小説『ブギウギ』は、大坂の銭湯の看板娘・鈴子が「ブギの女王」と呼ばれる大スターになるまでを描くドラマです。

ヒロインのモデルである歌手・笠置シヅ子は、大正3年生まれ。

大正時代といえば、大衆文化が花開いた時期でした。

『ブギウギ』解説 大正時代のエンタメ事情

画像.笠置シヅ子 public domain

無声映画が全盛期を迎え、演劇やオペラ、少女歌劇が人気を博しました。
また新聞や雑誌などのマスメディアが発展し、モガやモボと呼ばれた若者が登場したのもこの時代です。

この記事では、笠置シヅ子が少女時代を過ごした大正時代のエンタメ事情についてご紹介します。

大正時代のストリートミュージシャン

『ブギウギ』解説 大正時代のエンタメ事情

画像.演歌師・添田唖蝉坊 public domain

大正時代は歌の時代ともいわれ、「赤とんぼ」や「どんぐりころころ」などの多くの童謡や唱歌が作られました。

大人向けの流行歌も誕生し、大正時代中ごろには「演歌師」とよばれるストリートミュージシャンが活躍しました。

「演歌」とは、明治時代に自由民権運動の壮士たちが演説に節をつけたのが始まりで、“演説のような歌”を縮めて「演歌」といわれるようになったそうです。

大正時代には、書生姿の演歌師が街角でバイオリンを弾きながら、権力への反発や風刺を盛り込んだ演歌を歌い、歌詞の書かれた冊子を観衆に売るようになります。

代表的な大正演歌には、添田唖蝉坊(そえだ あぜんぼう)の『のんき節』や『デモクラシー節』があり、中でも添田さつきが作った『東京節』は、“ラメチャンタラギッチョンチョンデパイノパイノパイ”という意味不明な囃子詞(はやしことば)で一世を風靡しました。

1925年(大正14)にラジオ放送が始まると、演歌師は街角から退場を余儀なくされ、消滅しました。

演劇やオペラからヒット曲が生まれる

第一次世界大戦後の好景気の中、新しい演劇や浅草オペラなどが評判となり、人びとに支持されるようになります。

『ブギウギ』解説 大正時代のエンタメ事情

画像.松井須磨子 public domain

島村抱月、松井須磨子を中心として結成された芸術座では、1914年(大正 3)、帝国劇場で初演された『復活』で、カチューシャ役を演じた松井須磨子が人気女優となり、劇中歌『カチューシャの唄』は日本最初の流行歌となります。

その後も『ゴンドラの唄』(大正4年)、『さすらいの唄』(大正6年)などがヒットしました。

※松井須磨子について、詳しくはこちら。

『日本初の「歌う女優&美容整形女優」松井須磨子』
https://kusanomido.com/life/music/37530/

劇場のヒットメーカーとして「浅草オペラ」もたくさんのヒット曲を生みました。

西洋オペラのダイジェスト版を日本語で演じた「浅草オペラ」は、鹿鳴館時代には上流階級のたしなみであった西洋音楽の敷居を下げて一気に大衆へと普及させ、一大ブームとなります。

『ブギウギ』解説 大正時代のエンタメ事情

画像.浅草オペラ『天国と地獄』 public domain

劇中歌『恋はやさし野辺の花よ』や『ホフマンの舟歌』などは大ヒット曲となりました。

また、レコード産業が発展を遂げた大正中期には、芸妓・日本橋丸子が「コロッケの唄」などの楽曲をレコードに残しています。

当時ライスカレー、とんかつと共に大正の三大洋食と言われたコロッケを歌った曲で、作詞作曲を担当した益田太郎は、三井物産創始者・益田孝の次男で男爵でした。益田太郎冠者のペンネームで多くの喜劇や流行歌を作りました。

ちなみに益田太郎の五男・益田貞信はジャズピアニストで、益田次郎冠者の名前で松竹楽劇団の構成・演出を担当しました。当時20代の益田はイケメンで、笠置シヅ子はあこがれていたそうです。

女子のアイドル少女歌劇

画像.宝塚少女歌劇団 public domain

宝塚歌劇団は、1913年(大正 2)、阪急電鉄創始者・小林一三の発案の元、宝塚唱歌隊として16人の少女たちで結成されました。

少女だけの歌劇団は話題となり、1918年(大正7)には帝国劇場で初の東京公演を実施。人気は全国区に広がり、少女歌劇ブームを巻き起こしました。

特に1927 年(昭和2)日本初のレビューである『モン・パリ 〜吾が巴里よ ! 〜』が宝塚大劇場で上演されると、一気に女性ファンが増加。人気は不動のものとなります。

何かが当たれば、二匹目のどじょうを狙うのが世の常。宝塚少女歌劇の評判が高まると、雨後のたけのこのように各地で少女歌劇団が設立されます。

1922年(大正11)、宝塚に対抗して松竹は少女歌劇・松竹楽劇部(後に「大阪松竹少女歌劇団」、「大阪松竹歌劇団」に改称)を創設。翌年、道頓堀の松竹座を拠点に公演を開始しました。

画像.大阪松竹歌劇団 public domain

宝塚少女歌劇が高級で清純なパリ式レビューを特徴とするのに対し、松竹楽劇部のレビューは、映画的テンポとエロチシズム、スピード感のある場面転換を特徴としていました。

出し物は、当時隆盛だった映画とレビューの二本立てで、特にレビューは、ほぼ半裸体の若い美女を大量に乱舞させるフランス・レビューとモダンなアメリカ・レビューを取り入れ、少女趣味についていけない層の獲得へとつながり、人びとを夢中にさせました。

宝塚に落ちて松竹に入団した笠置シヅ子

大正時代に幼少期を過ごした笠置シヅ子は、歌と踊りが大好きな少女だったといいます。

1927年(昭和2)に小学校を卒業したシヅ子は、「宝塚音楽歌劇学校」を受験しますが、結果は残念ながら不合格。同じ年に受験した「松竹楽劇部生徒養成所」に合格し、歌手の道をめざすことになります。

その後、彼女がどのような道をたどって「ブギの女王」となるのか。NHK朝ドラ『ブギウギ』を楽しみにしたいと思います。

参考文献:皿木喜久『平成日本の原景 大正時代を訪ねてみた』.扶桑社

 

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