
画像:ハープを奏でる王妃 public domain
ヴェルサイユ宮殿の華やかさは広く知られています。中でも、その象徴として語られるのがマリー・アントワネットでしょう。
ところが、彼女のまばゆい日常を現実に支えていた侍女や女官たちの存在は、あまり注目されていません。
彼女たちは単なる身の回りの世話役ではなく、王妃の印象や社交の場、宮廷内の力関係にまで影響を及ぼしていました。
今回は、マリー・アントワネットの侍女や女官たちに焦点を当ててみたいと思います。
侍女たちの階層と日常

画像:通称ノアイユ夫人、アンヌ=クロード=ルイーズ・ダルパジョン public domain
マリー・アントワネットの侍女や女官たちは、はっきりとした序列の中で役割を分担していました。
誰がどこまで近づけるのか、何を任されるのかは、最初から決まっていたのです。
その頂点にいたのが第一女官長で、1770年当時、この役を担っていたのがノアイユ伯爵夫人でした。
王妃に付き添って儀礼を取り仕切るだけでなく、配下の侍女や下級女官を統率する立場でもありました。
彼女の下には侍女長や小侍女が控え、衣装や宝飾品の管理、手紙の受け渡し、日々の身支度まで、王妃の生活を細部から支えていたのです。
一方で、カンパン夫人は正式な女官長ではないにもかかわらず、大きな影響力を持っていました。
衣装や化粧、宝飾品の準備にとどまらず、日々の予定や段取り、王妃の印象にまで影響を与えていました。
また、王妃の子どもたちの周囲にも、女官や侍女の存在は欠かせませんでした。
王女マリー・テレーズら王室子女は、教育係であるラ・トゥルゼル伯爵夫人の監督のもと、家庭教師や庭師、宮廷職人たちと関わりながら育てられました。
子どもたちの教育や生活管理も、王妃の名声や威厳と切り離せない仕事だったのです。
芸術と文化に関わる侍女たち

画像:エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン public domain
王妃の肖像画を数多く手がけたエリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランは、マリー・アントワネットと侍女たちの関係をよく知る立場にありました。
王妃の衣装や宝飾品は、画家が描く前の段階で、すでに侍女たちの手によって整えられていました。
侍女たちは、どの衣装を選び、どの宝飾品を合わせるのかを助言していたのです。
中でもカンパン夫人は、舞踏会や公式行事の衣装、宝飾品の受け渡し、贈答品の調整まで担っていました。
また侍女たちは、宮廷で行われる音楽会や室内演奏会の準備にも関与していました。
マリー・アントワネットはグルックやモーツァルトの音楽を好み、演奏会を開催しましたが、侍女たちはその場の準備や来客対応を担い、王妃が円滑に活動できる環境を整えました。
どの社交の場でも、王妃が美しく振る舞えるように支えていたのです。
宮廷内の派閥
ヴェルサイユ宮殿では、マリー・アントワネットを中心とする王妃派と、宮廷の伝統や儀礼を重んじる保守派の貴族との間で、常に微妙な緊張をはらんだ駆け引きが行われていました。
王妃派は、王妃の親しい友人や支持者によって構成されていました。
中でもポリニャック公爵夫人は、公式な役職は持たなかったものの、王妃のお気に入りとして私的な影響力を行使していました。

画像:ポリニャック公爵夫人 public domain
しかし1789年、フランス革命が始まると、宮廷の内側で保たれていた均衡は一気に崩れ始めます。
王室と民衆の対立は日ごとに深まり、追い詰められた状況の中で、1791年6月、ルイ16世とマリー・アントワネットは国外脱出という危険な賭けに踏み切りました。
革命のただ中にあるフランスを離れ、オーストリアやプロイセンの支援を得る以外に、王権を守る道は残されていないと考えたからです。
王室一家は夜間にヴェルサイユを出発しました。しかし北東の町ヴァレンヌで捕らえられ、パリへ連れ戻されます。
このヴァレンヌ逃亡事件は、王室が革命を受け入れず、国外の力にすがろうとした姿が民衆の白日の下に晒され、王室への信頼を決定的に崩しました。
この逃避行に同行していたのが、子女の養育係だったラ・トゥルゼル伯爵夫人です。
職務上、子どもたちから離れることは許されず、一緒に捕らわれたのです。
革命期と証言

画像:ラ・トゥルゼル伯爵夫人
フランス革命の進行により、侍女たちの立場は大きく変化していきます。
1792年には王政が廃止され、王室はテュイルリー宮に軟禁され、その翌年には国王ルイ16世が処刑されます。
多くの侍女は国外に逃れ、宮殿を離れることを余儀なくされました。
そんな激動の中、カンパン夫人は回想録を通じて、王妃の日常や宮廷の実情について詳細な記録を残しました。
ラ・トゥルゼル伯爵夫人も、王室子女の教育係としての経験やヴァレンヌ逃亡事件の体験を証言しており、これらは現代においても第一級の史料として貴重な記録となっています。
歴史の中でマリー・アントワネットは、その華麗さや悲劇的な最期ばかりが語られてきました。
しかし彼女の実像は、常にその傍らにいた侍女や女官たちの存在を抜きにしては浮かび上がりません。
革命の混乱の中で国外へと散った彼女たちは、王妃との日々を記憶し、語り、書き残しました。
その証言は、当時のマリー・アントワネット像を読み解くための重要な手がかりとなっているのです。
参考文献 :
『カンパン夫人:フランス革命を生き抜いた首席侍女』/イネス・ド・ケルタンギ(著),ダコスタ 吉村 花子(訳)
Walton, Geri. Marie Antoinette’s Confidante: The Rise and Fall of the Princesse de Lamballe. Barnsley: Pen & Sword, 2021.
文 / 草の実堂編集部
























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