西洋史

本当は怖かったグリム童話 【初版グリム童話】

グリム童話とは

『白雪姫』、『ラプンツェル』、『ヘンゼルとグレーテル』、そのどれもが誰しも聞いたことあるだろう有名タイトルばかりだ。

特に『白雪姫』と『ラプンツェル』は世界的なアニメーション会社であるディズニーがアニメ化したことでも知名度が高く、物語のあらすじを言える人も多いことだろう。

これら有名作の原作に当たるのがヤーコプとヴィルヘルムの兄弟が編纂した『グリム童話』である。

ドイツの民間伝承を集め編纂されたメルヘン集であるが、現在『グリム童話』として私たちが目にするほとんどは1857年に出版された第7版のものである。

その初版は1812年であり、実は約40年もの歳月をかけ、幾度も書き直されてようやく今の形に至ったのだ。

今回はそんな『グリム童話』の初版について見ていこう。

残酷描写の多い初版

グリム童話』が長い年月をかけて7回も書き直されたのは主に読者からの声によるものだった。

というのも、「子どもに読ませる内容ではない」という批判の声である。初版と最終版である第7版を比べてみると最終版に比べ初版は残酷描写が多く、中には性的な描写も見られる。

それらが批判され、読者の道徳観に合わせて改訂が繰り返されたのである。

本当は怖かったグリム童話

『グリム童話』表紙と挿絵

例えば『ヘンゼルとグレーテル』は幼い兄妹の話である。

父と継母と貧しい暮らしをしていた兄妹はある日、口減らしのために森に置き去りにされてしまう。そして森を彷徨いながら歩く中で魔女の住むお菓子の家を見つけるというストーリーだ。物語の顛末は今さら説明するまでもないだろう。

二人の兄妹を森に置き去りにしてしまえばいいと提案したのは最終版では継母なのだが、初版では実の母であった。つまり初版では実の母による虐待描写があったのである。

実の母から継母に設定を変えられたのは『ヘンゼルとグレーテル』だけではない。有名な『白雪姫』も同様であった。

『白雪姫』において物売りに扮装し、白雪姫に毒リンゴを勧めたのは初版では実の母だったのである。『ヘンゼルとグレーテル』と同様、実の母が我が子を殺害しようとしていたのだ。

また、削除されたのはこういった残酷描写だけではない。

ラプンツェル』初版では「妊娠した」という表記があったのだが最終版では削除されていた。このようにして子どもに読ませるにふさわしくない残酷な描写、性的な描写は改訂されるにつれ削除されていったのだ。それは批判の声が上がったのと同時に『グリム童話』が家庭のためのメルヘン集であるがゆえだろう。

グリム童話が生まれた時代

本当は怖かったグリム童話

故郷に立つグリム兄弟の銅像

前述したように、『グリム童話』とはヤーコプヴィルヘルムが収集し、編纂した民間伝承である。

それは童話ではあるが創作童話ではない。つまり、あくまで民間から集めた話であり、最初から子ども向けへと考えて書かれた話ではなかったのである。

『グリム童話』成立当時、ナポレオンの占領下にあったドイツ国内ではナショナリズムが高まりを見せていた。

そんな中で注目されたのがドイツに昔から伝わる民間伝承である。ドイツ国内でドイツ人としての結束を高めるものは何か、それはドイツ人だけに共通するものであり、皆が知っているものでなくてはならない。

それが昔話だった。

民衆文化がドイツ人の結束力を高める力になる。そうしてメルヘンの発掘・収集作業が行われていったのである。

『グリム童話』は怖い?

近頃、『本当は怖いグリム童話』なんてタイトルを本屋ではよく目にする。

確かに初版グリムには残酷描写が多く、子どもが読むものとは思えないような性的な描写すらある。だが、怖いのかと問われれば怖いという言葉よりは「生々しい」という言葉が似合うだろう。愛し合った末にラプンツェルが妊娠するのも、母親が生活のために我が子を見捨てるのも、初版グリムで描かれている世界はどこまでも生々しくリアルなのである。

なぜ初版がそんな描写になったのかは『グリム童話』が生まれた時代に理由があることはすでに語った。民間伝承をそのまま綴った初版『グリム童話』は、良くも悪くも中世ドイツのリアルなのである。収録作品の一つである『ハーメルンの笛吹き男』に恐ろしい逸話があることは有名な話だ。

初版『グリム童話』は中世ドイツのリアルを反映しているのだと考えると、なじみ深い童話に対する印象も少し変わってくるような気がする。

最後に

『グリム童話』初版において、童話であるにも関わらず残酷描写が数多く見られたのは『グリム童話』があくまで創作童話ではなく、民間伝承を収集・編纂したものであったからである。

長い年月の中で何度も改定を重ねることでより童話らしく、子どもに読ませる家庭のためのメルヘンとしてその形を変えていった。

私たちが現在目にする第7版と初版でどのように描写が変わったのか、その一つ一つを見比べてみるのもきっと面白いだろう。

 

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草の実堂編集部

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