宗教

【ルネサンスの光と影】ボルジア家&メディチ家

ルネサンス の毒薬

カトリックの総本山ヴァチカン宮殿には今も「ボルジアの間」というローマ教皇アレクサンデル6世の私室だった場所があり、フレスコ画などが残されています。
ルネサンス
ラファエロ前派の画家ジョン・コリアが1893年に描いた『チェーザレ・ボルジアと一杯のワイン』

現代でもローマの街やヴァチカン市内で枢機卿の姿を見かけると、ボルジア家の存在を感じさせるカトリック教会の光と影のイメージが強く残っているように感じました。

世界三大宗教の、特にカトリックの宗教哲学や思想は、芸術やルネサンス様式を知る上ではとても重要です。

当時の芸術や音楽は 宗教がその作品のベースになっている からです。

ルネサンス期が華やかに花開いたのは、15~16世紀に繁栄したボルジア家メディチ家の存在がその恩恵を充分にもたらしたのではないかと思います。

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教皇の野心

ボルジア家のアレクサンデル6世は世俗化した教皇の代表的存在であり、息子のチェーザレや娘のルクレツィアを使って政治的な辣腕を振るい、一族の繁栄と教皇領の軍事的自立に精力を注いだことによって、ボルジア家の名前は好色さ、強欲さ、残忍さ、冷酷さなどがイメージとして強い一族になりました。

修道士 ジローラモ・サヴォナローラ との対立によっても非難される事も多く、ニッコロ・マキャヴェッリの著書『君主論』の中ではアレクサンデル6世は、政治腐敗と不品行に堕落したルネサンス期ローマ教皇の典型でした。

カンタレラと呼ばれるボルジア家独特の猛毒を用いて政敵を次々に毒殺した事についてもよく知られています


ピントゥリッキオが描いた、アレクサンドリアのカタリナに扮したルクレツィア

ルクレツィアの容姿は妖艶で美しく手に薬草?毒草のような草花を持っている姿は象徴的で印象に強く残ります。
ボルジア家特有の天性の浪費家だったという事や、父親や兄と近親相姦の関係にあったとか、毒殺や暗殺に関与した事なども伝えられています。

ルクレツィアは毒が仕込める中空の指輪を持っており、飲み物に混ぜて相手を毒殺するために頻繁に使用したとも言われています。

アレクサンデル6世チェーザレの死因については、ワインに毒薬のカンタレラを毒殺のために盛ったものを誤って飲んでしまったという説もあります。

この時代のルネサンス期の光と影の側面を知る上で、ボルジア家とメディチ家の繁栄と権力の台頭には、その欲求を叶える為に何が関わったのかを知ることは興味深くはありませんか?

ブルジョワ貴族と薬学

フィレンツェに300年にわたって君臨したメディチ家ですが、優れた 芸術家たちの強力なパトロンとなった一族の名は、ルネサンス芸術の代名詞といっても過言ではありません。

メディチ家の紋章(金地に数個の赤い球を配する)の由来については、2つの説があります。

ひとつは、「メディチ」(Medici)の家名そのものが示すように、祖先は医師、薬種商であり、赤い球は丸薬、あるいは吸い玉(血を吸いだすために用いる丸いガラス玉)を表しているという説です。

もうひとつは、メディチ家をフィレンツェ随一の大富豪にした銀行業(両替商)は、貨幣、あるいは両替商の秤の分銅を表しているという説で銀行業を始める前は、薬品の一種で欧州の工業で大きな位置を占めていた毛織物産業において、媒染剤として重用されたミョウバンを扱って栄えていたようです。

メディチ家自体が薬や香料、香辛料などの商売で財を成した一族の“ Medici ”は、後に“薬・医療 Medicine ”の語源になりました。
一族に多いコジモの名は、医師と薬剤師の守護聖人、聖コスマスに由来しています。

修道院の薔薇~サンタマリアノッヴェッラ(ROSA NOVELLA)

世界最古の薬局として知られるサンタ・マリア・ノヴェッラは1216年に創設されたドミニコ修道院と共にあり、清貧と学究で知られるドミニコ修道会は聖ベネディクトの教えの通り、救済も大きな教義のひとつとして掲げていました。

ドミニコ修道院の内部には看病のための専用の部屋がもうけられ、庭園にはハーブが栽培されるのが常でした。

13~16世紀頃にヨーロッパ全土をペストの恐怖が襲った際には、家の殺菌にローズウォーターが効果的で使用されたと伝えられています。

この頃から修道院で作られた ローズウォーター が薬品として売られるようになりました。
またワインを薄めたり、薬を飲む際の水代わりにも使われたようです

サンタマリアノッヴェッラ教会の修道士の薬品の製造と薬局としての活動が、香水なども誕生させました。

花の都~フィレンツェとルネサンス

香りの歴史はフィレンツェから始まり、中世のフィレンツェはメディチ家の隆盛により世界でも類を見ない豊かな都市となっていました。ルネサンス期にはミケランジェロダ・ヴィンチなど多くの芸術家を生み、芸術と商業の都として栄えたことはよく知られていますね。

中でも15世紀にフィレンツェを統治したメディチ家の ロレンツォ・ディ・メディチ は豊かな財政を背景に、フィレンツェ文化を花咲かせました。

イタリアでヴァチカンの最高権力であるローマ教皇とフィレンツェの資産家という当時の経済や権力による文化の発展、毒薬と薬学の関係性を調べてみると ルネサンスの光と影が見えてきませんか?

参考資料:ボルジア家~愛と欲望の教皇一族(DVD)
http://www.santamarianovella.jp/

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