西洋史

「大量虐殺に繋がった史上最悪の偽書」 シオン賢者の議定書

史上最悪の偽書

シオン賢者の議定書

ロシア語版テキストの表紙。セルゲイ・ニルス著『卑小なるもののうちの偉大』(1920年)に収録されたロシア語版(1905年)の再版。

シオン賢者の議定書」とは、ユダヤ人・民族を貶める目的で流布された史上最悪の偽書とも称されている文書のことです。
この偽書が歴史に登場したのは1902年〜1903年頃で、以後100年以上の年月が経た現在でもその内容が自らに都合のよい勢力によって利用され続けています。

「シオン賢者の議定書」が偽書でありながらその命脈を連綿と保ってきた背景には、欧米におけるユダヤ人・民族に対する排斥の思想が色濃く反映しています。
このためアドルフ・ヒトラーがこの文書を利用してユダヤ人の排除を進めたことも、ある意味でドイツの大衆にすんなりと受け入れられたと言えます。

結果ナチスは人類史上類を見ない犯罪・ホロコーストを実行するに至り、この偽書は大きな災厄をもたらすことになりました。

出所は帝政ロシア政府

「シオン賢者の議定書」は出所も作者も定かではない代物ですが、概ね1900年代初頭のフランスにおいて諜報活動に従事していた帝政ロシアの政府機関の関係者が、パリで作成したものと考えられています。

「シオン賢者の議定書」は、1897年8月にスイスのバーゼルにおいて開催された第一回シオニスト会議の中で披露された決議文という体裁を纏っています。

いずれにせよ、当時の帝政ロシアにおいて体制に不満を募られせいた民衆の批判の矛先をロシア政府から逸らすために、ユダヤ人・民族をスケープゴートにする意図で作成された偽書だったと見られています。

「シオン賢者の議定書」では、世界経済をユダヤ人たちが操作し、マスメディアを支配し、宗教の対立を画策することで全世界を勢力下に置こうと企図していると謳われています。

自動車王も加担

「シオン賢者の議定書」が世界に広まったのは、1917年に発生したロシア革命の後でした。

革命を指導したボルシェビキに反抗した者たちによって、ヨーロッパ、アメリカ、南米、日本までも波及していきました。

シオン賢者の議定書

ヘンリー・フォード

1920年代に入ると、アメリカの自動車王ヘンリー・フォードがこの議定書の内容の一部を元にして「国際ユダヤ人」という著作を新聞の連載から刊行し、ナチスからの歓迎されることになりました。

こうした著名な人物までが反ユダヤ思想に裏打ちされた考えを披露したことは、根深いユダヤ人排斥の感情が当時の欧米に蔓延していたことを示していました。

因みに、フォードは1927年にはこの本に対しての抗議や裁判などを通じて内容の誤りを認め、刊行された本の回収に同意しています。

偽書の元ネタ

1921年にはイギリスのロンドンタイムズによって「シオン賢者の議定書」は偽書であるという報道が成されました。

この報道では「議定書」の大半がフランス人・モーリス ジョリーが1864年に刊行した「マキャベリとモンテスキューの地獄での対話」という本の焼き直しに過ぎず、その本の中のマキャベリをユダヤ人に置き換えて捏造されたものだと断定されました。

そもそもこの「マキャベリとモンテスキューの地獄での対話」も、当時のナポレオン三世を批判するために書かれたもので、あからさまにナポレオン三世を批判することが出来なかったため、ナポレオン三世をマキャベリに置き換えて表記されたものと伝えられています。

イスラム諸国への蔓延

現代の社会においても、欧米ではネオナチ、白人至上主義者、ホロコースト否定論者らによって「シオン賢者の議定書」は利用され続けており、この内容に基づいた刊行物は絶えない状態です。

加えて、現在ではイスラエルに対する憎悪に利用するためにアラブ・イスラム諸国の多くの教科書で「議定書」を事実として教育しています。

パレスチナの反イスラエル組織であるハマスは「議定書」の内容を用いて、イスラエルに対するテロ行為の正当性を主張しています。

参考文献 : ユダヤ人世界征服陰謀の神話 シオン賢者の議定書

 

アバター

草の実堂編集部

投稿者の記事一覧

草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く
Audible で聴く

コメント

  1. アバター
    • 名無しさん
    • 2025年 8月 25日 4:04pm

    建国前の時代から現在進行形で行われているイスラエルの欧米を利用したパレスチナやアラブ諸国に対する自衛と嘘ぶいた侵略や虐殺や意図的飢餓や行政拘禁と嘘ぶいた人質等の民族浄化政策を見せられるなかでは、シオン賢者の議定書は創作かもしれませんが第一回シオニスト会議の中でそのような内容の議定書があったのではないでしょうか

    0
    0
  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 神聖ローマ帝国は、帝国とは言いづらい異色の国家だった
  2. 【若く美しいカリスマ皇帝が豹変】 狂気に取り憑かれたカリギュラの…
  3. 『フランス革命』ギロチンに処されたロラン夫人 ~美貌と知性を備え…
  4. なぜ民は王に触れたがったのか?中世ヨーロッパで信じられた「ロイヤ…
  5. ロシア内戦について調べてみた【赤軍対白軍 ボリシェヴィキの台頭】…
  6. 『精神病を患った天才画家』 ルイス・ウェイン ~妻と猫を愛した波…
  7. イタリアの悪女・ルクレツィア・ボルジア【天女と呼ばれた魔性の女】…
  8. ギリシア全知全能の神「ゼウス」は好色で浮気しまくりだった

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

これぞ武士道!鳥居元忠を討った雑賀重次と元忠遺児・鳥居忠政の感動的な交流【どうする家康 外伝】

時は慶長5年(1600年)8月1日、鳥居元忠の守る伏見城が石田三成らの大軍によって攻め落とされてしま…

大岡越前は本当に有能な人物だった【町奉行から大名に大出世】

大岡越前とは時代劇ファンなら南町奉行の「大岡越前」と北町奉行の「遠山の金さん」はお馴染みなはずだ…

戦国時代と関ヶ原以降の島津氏の戦い

はじめに丸に十字の家紋として知られる薩摩国の島津氏は鎌倉時代から江戸時代の薩摩藩まで約700年に…

台湾の十分(シーフェン)について調べてみた 「願いと希望が詰まったランタンが舞う」

古き良き時代の風情溢れる街並みと親日家の国で知られる台湾。街のいたる所に立ち並ぶ寺院は、過去…

「蘇我入鹿の眠る場所はここか?」奈良の菖蒲池古墳に行ってみた

仕事を含め、プライベートでも奈良を訪れることが多い筆者が、奈良の昔と今を歴史を軸に紹介する紀行シリー…

アーカイブ

PAGE TOP