西洋史

レーニンとスターリン 「ソビエト共産党の黎明期」

ロシア革命によって第一次世界大戦からの撤退を余儀なくされ、さらに赤軍(革命派)と白軍(反革命派)の内戦に陥ったソビエト。

赤軍の勝利によって、ソビエトは世界初の共産国家として第一歩を踏み出せたかに思えたが、新政権にとって戦いが終わったわけではなかった。

共産党の横暴

レニングラードの近くにあるクロンシュタット海軍基地。1921年、ここの水兵が反乱を起す。

それは赤軍内部の反乱であった。

バルト海艦隊の基地を擁するクロンシュタットの水兵たちは、レーニンが立ち上げたボリシェヴィキ政府の独裁化に不満を募らせていたためだ。

しかし、これが制圧されると、以後のロシアは正真正銘の一党独裁となる。

画像 : ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国 wiki c

この反乱よりも前、内戦は終結したものの、国内は疲弊して人々の暮らしは悪くなる一方であった。そこで、都市部から生まれ故郷に帰るものも増えてくる。クロンシュタットの反乱は、国民が抱いていた不満が赤軍内部の反乱として表層化したものだったのだ。

内戦の影響によって経済も低迷、庶民の中にはカラスを捌いて「」と称し、市場で物々交換を行うことで生活をつないだものもいた。一方で都市の食料を確保するため、政府は農村に食料徴発隊を派遣する。かつて、ボリシェヴィキは農民に土地を与えることを公約していたが、共産党と名を変えたボリシェヴィキは、農民から食料を奪うようになったのだ。

農民の反乱

農民も黙って従っていたわけではない。

食料はすべて徴発され、農村は飢餓状態に陥ったが、食料徴発隊の存在が知られるようになると、森の中の小屋に食料を隠すなどの対策を行うようになる。

レーニンとスターリン

最初はボリシェヴィキに期待を寄せていた農民たちも、共産党と名を変えて独裁政治を行うようになった政府に反発し、ゲリラ活動を活発化させていった。数千人の共産党員がゲリラ部隊により殺害され、農民と政府との内紛へと発展する。食料徴発隊が村に向かうと、村人は彼らを殺害し、乗ってきた馬に遺体を縛り付けて送り返したほどだ。

だが、内戦と食糧徴発に打ちひしがれていた農民たちを飢餓が襲った。日照りにより、農作物が不足、500万人が死亡したという。クロンシュタットの水兵たちはこうした事態を「革命の志が裏切られた」と感じていたのである。

クロンシュタットの反乱

1921年、水兵たちは一斉に蜂起した。水兵たちは「権力を共産党ではなくソビエトへ」という要求を掲げる。

すでに国名は「ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国」となっていたが、その実権は共産党のものであり「ソビエト」のものではなくなっていた。ソビエトとはロシア語で評議会の意であり、すなわち国民のことも意味している。

クロンシュタットの水兵たちは、兵士と労働者たちの代表者会議であるソビエトを共産党から守ろうとしたのである。

反乱の鎮圧を指揮したのは、赤軍の創設者であり、白軍との内戦では赤軍を勝利に導いたレフ・トロツキー。トロツキーは討伐軍を差し向け、クロンシュタットは赤軍同士の戦いの場となった。この戦いでは氷の上を進む討伐軍の兵士たちの姿が撮影され、彼らを「革命を擁護した英雄」として描いている。

レーニンとスターリン

画像 : クロンシュタットの反乱。氷の上を進む討伐軍 wiki c

昨日の同志が今日の敵となったのだ。

戦時共産主義からネップへ

権力を共産党ではなくソビエトへ」という要求に対し、レーニンは弾圧をもって答えた。

共産党以外の政党はすべて非合法とされ、共産党の中でもレーニンに反対する派閥の活動を禁止する。しかし、その一方でレーニンは経済に対する考え方を変えた。そして登場したのが新経済政策「ネップ」である。

中央統制を徹底し、食糧徴発など国民に厳しい負担を課した内戦時の「戦時共産主義」に代わり、ネップでは商業の自由が認められ、市場は活気付いた。食糧徴発制も廃止され、農民たちも自由に食料を売買することが認められたのである。

しかし、多くの共産主義者にって、市場原理の導入は昔の悪い時代(帝政ロシアの時代)に戻ることを意味していた。だが、この時代、他に国民を救う術がなかったのも事実である。

そして、ソビエト・ロシアは、バラバラになった帝政ロシアの領土を再びひとつにまとめてゆく。1918年にロシアから独立を宣言したグルジア民主共和国も、1921年の赤軍によるグルジア侵攻によって、再び領土を奪われたのである。

スターリンへの権力継承

グルジアに軍隊を送り込んだのは、他ならぬグルジア人のスターリンであった。

ロシア人ではないという点を買われて、スターリンは新政権の「民族人民委員」のポストに就いていた。共産党は、民族自決の原則を掲げていたが、「労働者の権力」の名を借りたソビエト・ロシアは、グルジアに対する支配をさらに強めていったのだ。

当然、各地で共産党に対する強い反発が生まれたが、このころ病に倒れたレーニンに代わり、スターリンは重大な演説をする。

革命5周年を記念する軍事パレードがモスクワで行われた1922年、各地・各民族を代表する代議員たちの前で、スターリンは「ソビエト社会主義共和国連邦」の結成を呼びかけたのだった。

そして、代議員たちはそれを承認したのである。

それまで一国だった「ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国」が中心となり、各共和国から構成される「連邦」を作り、帝政ロシア時代の領土をほぼそのまま再現することになる。レーニンは、こうしたスターリンの独断に歯止めをかけようとしたが、時すでに遅く、1924年1月21日に死去。53歳という若さであった。

画像 : レーニンとスターリン(1922年)wiki c

そして、レーニン以外は気付いていなかったヨシフ・スターリンという男の独裁が始まるのである。

最後に

ソビエト社会主義共和国連邦」を高らかに掲げながらも、当時、党内ではほとんど重要視されていなかったスターリンは、レーニンの後継者争いには関わらないと考えられていた。それよりも共産党が警戒したのは、軍事力を背景に持つトロツキーであった。

しかし、この油断こそがスターリンの台頭を許してしまったのだ。

 

草の実堂編集部

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

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