古代ローマが繁栄を築いた背景には、奴隷の存在があります。またキリスト教が生まれたのも、古代ローマの時代になります。
戦争を数多くこなした軍事国家ローマはたくさんの奴隷を獲得し、そして利用してきました。ローマは奴隷制によって支えられた国家であるとも言えるでしょう。
この厳しい奴隷たちの生活を支えたのが、キリスト教になります。歴史を振り返ると、キリスト教はそもそも“奴隷のため”に生まれた宗教だったのです。
今回の記事では、古代ローマ時代にキリスト教が拡大した背景を見ていきたいと思います。
奴隷制を基盤にした古代ローマ
戦争で獲得した奴隷を使用して、古代ローマは大規模な農場経営「ラティフンディウム」を開始しました。
ラティフンディウムとは、戦争で得た土地と奴隷を利用して大規模な農業を行うことです。経営者はローマの貴族たちになります。ラティフンディウムで生産された大量の農作物がローマ国内に流入した結果、ローマの経済構造が大きく変化することになります。
大量の農作物が市場にあふれると、農作物の価格は下がり、ローマ国内の農家の収入は減少してしまいます。国内の農家、つまり平民は失業し、貧富の格差は深刻な状態に陥ったのです。この混乱は治安の悪化ももたらしました。
失業した平民は傭兵となり、ラティフンディウムによって、大きな利益を得た貴族たちに雇われました。
ローマは市民軍から傭兵制という軍事改革を行い、国内の「貧富の格差」を解決しようとしました。傭兵制を維持するには財源が必要であり、そのためには戦争が必要です。ローマは戦争を続けざるを得ない状況に追い込まれます。
国内の「貧富の格差」という問題を解消するためにローマは戦争に明け暮れ、気が付いたら広大な領土、地中海統一を達成していました。ローマ国内の貧富の格差という問題を一時的に抑えるため、あるいは問題を先送りするために戦争を繰り返したのです。
しかし戦争の継続は根本的な解決策ではありません。戦争がストップしてしまったら、ローマの混乱を止める手段はなくなってしまいます。案の定というべきか、ローマ建国から続いてきたローマ共和政は崩壊しました。
寒冷化が地球を襲ったことで、キリスト教が拡大
ローマは「共和政」から「帝政」へと移行しましたが、貧富の格差を解消することはついにできませんでした。さらに追い討ちをかけるように、3世紀頃、地球は寒冷化し、農業は壊滅的被害を受けます。
奴隷だけでなく、貴族たちも貧困に追い込まれたのです。人々は社会に絶望し、その絶望を埋めるために宗教にすがりました。
ローマ帝国で流行した宗教は「キリスト教」です。
宗教には社会が長く共有してきた伝統的な価値観を破壊する、という側面を持っています。
キリスト教の拡大が、ローマ帝国を滅亡に追い込む最大の要因となります。キリスト教によって、ローマ建国当時から続いたシステムや伝統が次々と破壊されたからです。
「ローマの精神」とは?
ローマの特徴は「柔軟性(寛容さ)」と「多様性の尊重」にあります。ローマは領土の拡大に応じて、柔軟に国家の在り方を変化させてきました。多様な民族にも市民権を与えて、その民族独特の文化や宗教を尊重するなど、寛容な態度を取ってきました。
他者に対する「柔軟性(寛大さ)」「多様性の尊重」こそが、長くローマを支えてきた「精神」だったのです。数々の困難に直面してきたローマですが「ローマの精神」という伝統が社会で広く共有されていたため、共和政から帝政へと姿を変えながらも、辛うじて延命することができたのです。
伝統の共有が重要であることは、日本の歴史を考えると分かりやすいと思います。
日本は過去から現在に至るまで、天皇を頂点とする共同体国家という形式を長く維持しています。
天皇による専制国家から、武士が政治的権力を握る幕府時代、明治維新による近代国家、そして敗戦による日本国憲法制定による国民国家…。
日本は時代に合わせて、何度も国の在り方を変えています。しかし、ずっと天皇は存在し続けていました。国家の姿が変化しても、日本人が「私は日本人だ」というアイデンティティを確保できたのは「天皇」という、国家としての根幹部分が揺るがなかったからです。
繰り返しますが「ローマの精神」とは「寛容さ」「多様性の尊重」です。しかし一神教であるキリスト教は、信じる者同士の結束を強くし、信じない他者に対しては排他的になる傾向があります。「ローマの精神」との相性は最悪です。
また平等性を強調するキリスト教は、天皇を頂点とした日本の身分制度とも相性が良くありません。徳川家康が徹底的にキリスト教の弾圧を行った理由にもなります。
キリスト教を認めたローマの末路
キリスト教の拡大は、同時に「ローマの精神」の否定に繋がります。共同体としての一体感を失ったローマ帝国は収拾の付かない、さらなる混乱に突入しました。キリスト教の拡大を抑えるため、皇帝ディオクレティアヌスがキリスト教徒の大虐殺を行いましたが、皇帝に対する不信感を増大させるだけで、かえってキリスト教徒の結束を強いものにしました。
これ以上の混乱を防ぐために、当時の皇帝コンスタンティヌスは、キリスト教を公認します。313年の「ミラノ勅令」です。そして392年には、皇帝テオドシウスがキリスト教を国教にしました。キリスト教以外の宗教は認められなくなったのです。
このとき古代ローマは、実質的に死んでしまいました。
終わりに
キリスト教が国教になってからわずか3年後、ローマ帝国は東西に分裂。476年には、西ローマ帝国が滅亡しています。ローマ帝国がキリスト教を公認してから、わずか160年余りの出来事です。改めて、宗教が持つ力の大きさを感じずにはいられません。
現代社会でも、宗教は大きな力を持っています。むしろ宗教やスピリチュアルに救いを求める人々が多くなっている印象です。
社会が不安定になっている今だからこそ、宗教を過去のものとして扱うのではなく、宗教をきちんと分析する必要があるのではないでしょうか。
参考文献:神野正史『「移民」で読み解く世界史』イースト・プレス、2019年5月
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