「親が自分の子に虐待を加えて、殺害する」「子どもにご飯を与えず、衰弱させて、共済金をだまし取る」
立場の弱い子どもたちが犠牲になる、目を覆いたくなるようなニュースばかりが溢れています。人間はどこまでひどい存在になれるのかと、暗澹たる気持ちになってしまう毎日です。また自分の子どもを学校に行かせず、YouTubeに出演させて、お金を稼ぐ親もいます。
教育の価値が見失われつつある現代社会ですが、なぜ国家は多額の税金を投入し、子どもたちに教育を受けさせるのでしょうか。
今回の記事では、なぜ義務教育が始まったのか、その起源を見ていきたいと思います。
産業革命がもたらしたもの
人類が生まれてから数百万年、人類は「狩猟・採集・漁労」といった「獲得経済」によって日々の食料を得ていました。人類は常に移動を繰り返し、食料を「獲得」していましたが、1万年前から「農業」を始めます。農業によって1つの場所に「定住」し、食料を「生産」できるようになりました。
この「獲得経済」から「生産経済」への移行を「生産革命」と言います。そして、18世紀頃に起きた「産業革命」は「第二次生産革命」と呼ばれるほど、画期的な出来事でした。
ずっと「手作業」だった生産活動が「機械で生産できる」という新しい生産体制に入ったからです。食料や衣服などの「モノ」を大量生産できるようになり、産業革命を果たしたヨーロッパの列強は、大量生産するための資源や植民地を世界中で奪い合うようになります。
ヨーロッパ列強による資源(植民地)の奪い合いを「帝国主義」と言います。
産業革命によって歴史は新しいフェーズに突入します。いち早く産業革命を経験したイギリスでは牧歌的な街並みは消え去り、都市への人口集中が環境破壊を引き起こします。スラム街が発生し治安も悪化。さらには疫病も流行りました。
産業革命によってイギリスにもたらされた莫大な富は、全ての国民に均等に分配されることはありません。富を独占する「資本家」と、奴隷のように酷使される「労働者」に階級が二極化しました。
「資本主義」の始まりです。
義務教育がイギリスで始まった理由は?
社会が大きく変化するとき、変化に対応できない人々が現れます。変化が急激であればあるほど対応できない人々の割合が増え、深刻な社会問題となります。そして最も大きな被害を受けるのが子どもたちです。
国家が子どもたちを強制的に学校に通わせるようにしたのは、19世紀末のイギリスが最初だといわれています。
当時のイギリスは産業革命の真っ只中であり、多くの労働力を必要としました。そのため工場の現場には多くの子どもが駆り出されています。その中には4歳の子どももいたそうです。現在の機械に比べて当時の機械は大きく故障も多かったため、身体の小さな子どもは重宝されました。故障した機械に入り込み修理する仕事も担当したのです。突然動き出した機械に挟まれて死亡するケースもありました。
下層階級の貧しい親たちは、自分の子どもをためらうことなく工場や炭鉱に送り込みました。大人たちよりも長時間にわたって過酷な労働を強制させたのです。子どもたちの稼ぎが、自分(親)の収入になるからです。
いわゆる「児童労働」です。現在でも途上国などで問題になっています。
過酷な「児童労働」の果てに…
産業革命で栄えた都市「リヴァプール」に住む労働者階級の平均寿命が「15歳にまで落ち込んだ」というデータを、マルクスは『資本論』で明らかにしています。
当時のイギリス政府も児童労働の実態を無視できません。多額の国家予算が投じて、子どもたちを一斉に学校に通わせる教育制度(義務教育)が始まるきっかけになりました。
産業革命によって子どもたちが悲惨な状況に置かれたことが、義務教育の始まりなのです。
「親や企業による子どもたちへの収奪を防ぐため」「親から子どもを隔離させるため」…。
親の手元に子どもを置いておくと親は何をするか分からず、子どもを自分のために利用してしまう可能性があります。
義務教育は、なんとも悲しい目的のために始まった制度だったのです。
子供たちを守るために
こうした背景から日本国憲法の26条には、親は自分の子どもに「義務教育を受けさせる義務を負う」とあり、27条には「児童は、これを酷使してはならない」という児童労働を禁止する文言が続きます。労働基準法でも15歳以下の労働を禁止しています。
児童労働を厳しく取り締まる背景には、産業革命で起きた「子どもたちの悲劇」があるのです。
「子どもを商売道具にしてしまう親」「自分の子どもを育てられない親」…。このような大人たちが増えている現代社会において、子どもたちを守るために義務教育とは異なる、新しい制度設計が必要なのかもしれません。
産業革命が教えるのは「子どもたちを資本主義の市場原理にさらしてはならない」という真理なのです。
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