1786年、インドに赴任していたイギリス人裁判官ウィリアム・ジョーンズが、一つの仮説を発表した。
ヨーロッパのギリシャ語・ラテン語と、インドの古代語であるサンスクリット語には多くの類似点があるので、これら3つの言語は共通の祖先にあたる言語から分化したものに違いない
――というのだ。
さらにジョーンズは、サンスクリット語と同じ起源を持つ言語として、ケルト語・ゴート語(古代ゲルマン系民族ゴート族の言語)・古代ペルシャ語も候補に挙げている。
「地理的に遠く離れた言語が共通の祖先を持つ」というロマンあふれる仮説は学者たちを刺激し、その後の言語学の方向性を決定づけた。
19世紀の言語学者は、言語の変化について研究を重ね、失われた原始の言葉を蘇らせることすら試みた。
今回は、言語のルーツを追い求めた19世紀の言語学について解説する。
祖語へ至る道
まずは用語の解説から始めたい。
諸言語の共通の起源となった言語を「祖語」といい、同じ祖語から派生した言語の一群を「語族」という。
これらの概念は、言語学の発展の中で確立されたものだ。
ジョーンズは「サンスクリット語・ギリシャ語・ラテン語を含む六つの言語は共通の祖語を持つ」と予想したが、この仮説は認められ、六つの言語が属する語族は「インド=ヨーロッパ語族」と名づけられた。
そして、その祖語は「インド=ヨーロッパ祖語」と呼ばれた。
インド=ヨーロッパ語族に属するのは、ジョーンズが指摘した言語だけではない。言語学者たちは新旧さまざまな言語の研究を行い、文法・語彙・音などを比べることで、言語間の共通点を見つけ出した。
結果、アルメニア語・ロシア語・英語を含む数多くの言語が、インド=ヨーロッパ語族に認定された。
以上のような言語の体系化と並行して、言語の変化に関する研究も活発化する。
インド=ヨーロッパ語族に属する言語はすべて、インド=ヨーロッパ祖語が枝分かれや変化を繰り返した末に生まれた言語である。では、過去にどのような変化が起きたのか? その変化に法則性はないのか?
こうした疑問に答えるべく、19世紀には言語変化の法則がいくつも提唱された。
例えば「グリムの法則」である。
これは『グリム童話集』で知られるグリム兄弟の兄ヤーコプ・グリムがまとめた法則である。
グリムはギリシャ語・ゴート語・古高ドイツ語(8世紀~11世紀に使われていたドイツ語)を研究し、インド=ヨーロッパ祖語はゲルマン系の言語(ドイツ語・英語など)へと分化する際に、次のような音の変化を起こしたと結論づけた。
「bh・dh・gh」は「b・d・g」に。
「b・d・g」は「p、t、k」に。
「p・t・k」は「f、th、h」に。
「グリムの法則」の妥当性は、ゲルマン系の言語とゲルマン系ではないインド=ヨーロッパ語族の言語を比較するとよくわかる。
“p”から”f”への変化を例にとると、「父」を意味するドイツ語は”Vater(発音はfáːtər)”で英語は”father”だが、ラテン語は”pater”である。
このように、ゲルマン系の言語では”f”にあたる音が、ゲルマン系以外の言語では”p”に対応するという例は多数見つかっている。
ゆえに、「インド=ヨーロッパ祖語がゲルマン系の言語に分かれる時、”p”の音は”f”の音に変わった」という推定が成り立つわけだ。
ただし、こういった言語変化の法則は万能ではなく、当てはまらないケースも普通に存在する。だが、言語学者たちは別の法則や概念を導入することで、この問題に対処した。言語に起きた全ての変化を理論的に説明しようとしたのだ。
そして、言語が変化した過程を遡っていけば、祖語にたどりつくことができる。
以上が、祖語復元の大まかな流れである。
問題点
もちろん、当時の研究には問題点も多かった。
19世紀の言語学者たちはインド=ヨーロッパ祖語を復元する際に、ギリシャ語・ラテン語・サンスクリット語を手がかりにすることが多かった。これらの言語で記述された資料がたくさん残っていたからだ。だが、特定の言語だけに注目すれば、祖語の形を歪めてしまうのは避けられない。
研究手法が科学的ではないという批判もある。当時の資料のほとんどが失われている以上、言語の変化を説明するのは実質的には不可能なので、祖語の復元は大部分を推定に頼らざるを得ない。そのため、祖語の復元結果は学者によって異なった。こうした曖昧さは、科学の世界では認められない。
ほかにも、方言や借用語(ある言語が他の言語から取り入れた単語)の問題など、祖語の復元には無数の壁が立ちはだかった。その壁を乗り越えることができないまま、言語学は20世紀に突入する。そして変革の時を迎えることになる。
流行の終わり
変革はスイスの言語学者フェルディナン・ド・ソシュールによってもたらされた。
ソシュールによれば、言語学は2つに分類できるという。
1つは、言語の時間的な変化を研究する「通時言語学」である。19世紀はまさに通時言語学の時代であったといえるだろう。
もう1つは、ある時点における言語の全体像を分析する「共時言語学」だ。個々の単語に注目するのではなく、言語を一つの体系としてとらえる点に特徴がある。
ソシュールはインド=ヨーロッパ語族に関する研究も行っていたが、「通時言語学より共時言語学を優先すべき」という立場を取った。理由はいくつかあるが、ソシュールが通時言語学の限界を感じていたことも一因とされている。
ソシュールの影響力は絶大であり、彼以後、言語学の中心は共時言語学へと移った。100年以上に渡る通時言語学の流行はこうして終わりを告げたのだ。
だが、熱狂が過ぎたあとも言語の変化に関する研究は続けられた。通時言語学は独自の発展を遂げながら、今日まで至っている。
最近では、「ビッグデータとアルゴリズムを用いて祖語を復元する」という試みも行われた。
19世紀の言語学者たちの夢は、まだ終わっていないのだ。
※参考
風間喜代三(1978)『言語学の誕生』
R.M.W.ディクソン(2001)『言語の興亡』大角翠(訳)
ジーン・エイチソン(2011)『入門言語学 改訂新版』田中春美,田中幸子,若月剛(訳)
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