西洋史

【冷戦はいつから始まった?】 意外にも良好な関係だったアメリカとソ連 「ロシアに美人が多い理由」

前回の記事「【冷戦はいつから始まったのか?】 第二次世界大戦中、ソ連が抱いた不信感とは?」では、冷戦は第二次世界大戦中から始まっていた事実を確認してきました。

第二次世界大戦中のイギリス首相は、貴族出身のウィンストン・チャーチルでした。

画像:共産主義を心から嫌ったチャーチル public domain

社会主義のソビエト連邦が、ロシアの貴族(資本家)を多数処刑したことは、チャーチルに大きな衝撃を与えました。

そのためソビエト連邦からの救援要請に対して、ドイツと本格的に戦う意志はありませんでした。チャーチルにとって、スターリンからの悲痛な要請は、まるで子守歌のように聞こえたかもしれません。

以上が第二戦線形成問題です。詳しくは前回の記事をご覧ください。

【冷戦はいつから始まったのか?】 第二次世界大戦中、ソ連が抱いた不信感とは?
https://kusanomido.com/study/history/western/80514/

チャーチルに怒るスターリン

ソビエト連邦からの度重なる救援要請に対して、イギリスがなかなか行動に移さなかったことに、スターリンは怒りを感じていました。

米英がようやく要請に応えたのが、1944年6月6日に始まった「ノルマンディー上陸作戦」ですが、この時点ではもう遅すぎました。

画像:ノルマンディー上陸作戦 public domain

ノルマンディー上陸作戦は史上最大の作戦となりましたが、その目的はソビエト連邦に対して「私たちも必死に戦っている」とアピールすることです。

そのため上陸した部隊の進撃速度は遅く、アメリカとイギリスは無理をせず、慎重な戦い方を選びます。

ドイツ軍約40万に対して、米英は150万の兵力を投入したにも関わらず、ノルマンディー地方の制圧には2ヶ月以上もの時間を要しています。

その後も、オランダでのパラシュート作戦で1万5000人の損害を出すと、すぐに進撃を停止しました。

アメリカとイギリスの第一目的はソ連の消耗になるため、無理をせずにゆっくりと戦いを進めていたのです。

第二次世界大戦を終わらせたスターリン

画像:1945年5月8日、ソ連軍によってベルリンは陥落した public domain

約2000万人に及ぶ死者を出しながらも、ソビエト連邦はベルリンを陥落させ、1945年5月8日にはヨーロッパ戦線を終結させました。

ノルマンディー上陸が1944年6月6日に実施されたことを考えると、アメリカやイギリスの上陸部隊がドイツ軍と実際に戦った期間は、1年にも満たなかったことになります。

それに対してソビエト連邦は、1941年6月22日に独ソ戦が始まってから、ヒトラーの首相官邸に突入するまで、約4年間も戦い続けました。その間、スターリンは救援を求める悲痛な声を上げ続けていたのです。

ソビエト連邦側の死傷者数はアメリカやイギリスと比べて桁違いに多く、ソビエト連邦は2500万人、フランスは206万人、イギリスは200万人、アメリカは150万人、ドイツは1000万人、日本は950万人、イタリアは646万人となっています。(『日本大百科全書』)

この大戦によってソビエト連邦の男性がたくさん命を落とし、男女のバランスが極端に崩れています。結婚できる女性が少なくなった結果、ロシアの女性は美しくなったとも言われています。

「ロシアに美人が多い理由」

画像 : 『見知らぬ女』 イワン・クラムスコイ 1883年 public domain

独ソ戦の激戦地であった旧ソビエト連邦領ベラルーシは、スーパーモデルの産出国として知られています。

しかし悲しい歴史が横たわっているのです。

スターリンを仲介したローズヴェルト

上記で説明したように第二戦線形成問題が原因となり、ヤルタ会談は険悪な雰囲気の中で始まりました。

会談ではイギリスとソビエト連邦がやはり対立しましたが、アメリカ(ローズヴェルト大統領)が仲介を取ることで、なんとか話をまとめることができました。

「ロシアの女性が美しい理由」

画像:フランクリン・ローズヴェルト public domain

なぜアメリカは、イギリスとソビエト連邦の間を取り持つことができたのでしょうか。

意外かもしれませんが、この時点ではアメリカとソビエト連邦は比較的良好な関係にありました。

たしかに第二戦線形成問題においては、アメリカにも一定の責任はあります。しかしローズヴェルト大統領は、ソビエト連邦(共産主義)とドイツ(ファシズム)の共倒れを期待していたわけではなく、アメリカ兵の死者数増加を恐れて戦線の拡大に消極的だったのです。

アメリカは変わった国です。戦争を頻繁に行いますが、少しでも死者を出すと選挙での敗北につながり、政権が変わってしまうことがあります。

第一次世界大戦では、ヨーロッパ各国が100万人単位で死者を出している中で、アメリカは30万人の死傷者を出しただけで、そのあと12年間も民主党は選挙で負け続けます。

他国の国民を殺しまくるアメリカですが、いざ自国民が亡くなると途端に及び腰になってしまう…。アメリカはそういう国なのです。

社会主義寄りだったローズヴェルト

ヤルタ会談に話を戻すと、スターリンは上記で示したアメリカの特性を理解していました。

またローズヴェルトの思想は、ソビエト連邦寄りだったと言えます。アメリカの大統領でありながら、かなり左派的な思想を持っていました。

ローズヴェルト自身も車椅子を使用する社会的弱者でもあります。世界恐慌(1939年)の対策で実施した「ニューディール政策」には社会主義的な要素が含まれており、とくに労働者に対して優しい政策でした。

そのためヤルタ会談でも、貴族の国であるイギリスと労働者の国であるソビエト連邦の間に入り、仲を取り持つことができたのです。

参考文献:ゆげ塾(2017)『3時間半で国際的常識人になれる ゆげ塾の速修戦後史 欧米編』ディスカヴァー・トゥエンティワン

 

村上俊樹

村上俊樹

投稿者の記事一覧

“進撃”の元教員 大学院のときは、哲学を少し。その後、高校の社会科教員を10年ほど。生徒からのあだ名は“巨人”。身長が高いので。今はライターとして色々と。フリーランスでライターもしていますので、DMなどいただけると幸いです。
Twitter→@Fishs_and_Chips

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Audible で聴く
Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 銃殺された独裁者チャウシェスクの妻・エレナ 「愚かな人口増加政…
  2. 【史上初めての総力戦】 第一次世界大戦は民主主義が引き起こした
  3. 【自殺か暗殺か?】オーストリア帝国の皇太子ルドルフの儚い生涯「う…
  4. 【冷戦はいつから始まった?】 ヤルタ会談から原爆投下まで、米ソ対…
  5. トランプの歴史を調べてみた 「なぜあの絵柄なのか?」
  6. テルモピュライの戦いとスパルタ兵について調べてみた
  7. ローズ・ベルタン 【平民からファッションで大出世したマリー・アン…
  8. 【狂気と情熱の画家ゴッホ】死後に有名画家となった理由とは

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

喧嘩っ早くて女好き?大河ドラマ「鎌倉殿の13人」和田義盛の憎めないエピソード3選

そろそろ年末も見えてきた今日このごろ、令和4年(2022年)放送の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」も少し…

南北朝最強武将!好色な極悪人にされた高師直 「名将・北畠顕家、楠木正行を破る」~前編

高師直とは高師直(こうのもろなお)とは、足利尊氏の右腕として南北朝時代最強と呼ばれた武将…

中国のマイナンバーカードの秘密 「命の次に大切?」

マイナンバー日本でも国民情報の記号化(マイナンバー制度)が本格的に推進されはじめた。積極…

千利休はなぜ秀吉に切腹させられたのか? 「木像事件説、三成黒幕説、利休の娘説~」

千利休の切腹天正19年(1591年)2月28日、1人の茶人が切腹して果てた。侘び茶の完成…

古代ローマ人は「尿」を使って洗濯や歯磨きをしていた

古代ローマ人は中世以前の有史において、最も発展した文明を築いたことで有名である。古代…

アーカイブ

PAGE TOP