フランスの歴史上の人物の名を問われれば、必ずや名前があがるであろうナポレオン・ボナパルト。
言わずと知れたフランス革命期の軍人にして、フランス第一帝政の皇帝となった人物です。
彼がイタリア遠征中に妻ジョゼフィーヌに送った熱烈な恋文の逸話や、皇后となるジョゼフィーヌにナポレオン自身が冠を授ける絵画などはよく知られていることでしょう。
しかし、ナポレオンにも若い頃に結婚を誓い合った別の女性がいました。
その女性の名はデジレ・クラリー。
結局ナポレオンとは結ばれませんでしたが、二人は運命の糸に引かれるように別れた後も近しい関係のままでした。
そしてデジレの人生は、ナポレオンとの別れによって予想外の方向へと導かれていったのです。
野心と初恋
ナポレオンとデジレ、1794年に二人が出会った頃はそれぞれが24歳と16歳の時でした。
デジレはマルセイユの織物商兼銀行家であるクラリー家の娘で、母方の家系は貴族につながる名家の生まれでした。デジレには姉ジュリーがいて、ナポレオンの兄ジョゼフと結婚しました。
資産の無いボナパルト家にとって、裕福なクラリー家と姻戚関係を結ぶことは大変好都合でした。クラリー家からは莫大な結婚持参金がもたらされ、新婚夫妻の面倒の一切はクラリー家が見ていたのです。ナポレオンがそんな兄の境遇を羨ましがるのは想像に難くありません。
しかも兄嫁のマリーの慎ましやかな外見に対して、妹のデジレは社交界でも注目されるほどの美人でした。ほどなくして若きナポレオンはデジレに接近し始めます。そして恋に憧れる年頃であったデジレもまたナポレオンに好意を抱き、二人は相思相愛となります。
しかし、この当時のナポレオンはまだ薄給の砲兵大尉に過ぎませんでした。そのためクラリー家は兄ジョゼフに続き、ボナパルト家の男性であるナポレオンまで受け入れることは拒んだのです。
ところが、若い二人にとって親の反対という障害がさらに恋心を募らせ、ナポレオンとデジレは当人同士で結婚の約束を交わしてしまいました。
ナポレオンの心変わり
その直後、南フランスの港湾都市トゥーロンで王党派の反乱が発生します。ナポレオンはこの地の奪還に出征し、反乱の鎮圧に成功しました。その功績により、ナポレオンは一気に少将へと昇進し、パリに乗り込んでいったのです。
パリでナポレオンを待ち受けていたのは、多くの政治的な駆け引きと社交界に出入りする魅惑的な貴婦人達との交際でした。
一方、デジレはパリで浮名を流すナポレオンに心を痛めながらも、純朴な恋文を送り続け、彼の帰りを待ち焦がれていたのです。
しかし、そんなデジレの願いも空しく、ナポレオンは1796年にジョゼフィーヌと正式に結婚してしまいます。
これを知ったデジレは絶望に打ちひしがれ、涙ながらに別れの手紙をナポレオンに送ったのです。
捨てられた女性から一転王妃に、元彼ナポレオンは没落へ
デジレは約二年を傷心のまま過ごしました。しかし、一人の男性との出会いが彼女に思わぬ転機をもたらします。
その男性はシャルル・ベルナドット。
ベルナドットは当時、ナポレオンとは敵対する立場にあった将軍でした。デジレとベルナドット将軍を引き合わせたのは、他ならぬナポレオンと兄ジョゼフだったのです。
ベルナドットは民衆の人気も高く、ナポレオンの野望を挫きかねない存在でした。そこでナポレオンとジョゼフは彼を自らの陣営に引き入れ、協調路線を取ろうと考えました。そして、その計画に利用されたのがデジレだったのです。
当時デジレは姉夫婦、つまり義兄ジョゼフたちとパリで同居していました。ベルナドット将軍はナポレオンたちの巧みな誘いによってジョゼフの屋敷に頻繁に訪れるようになり、次第に美貌のデジレに好意を抱き始めます。
ようやく傷心から立ち直り始めたデジレの方もまんざらではなく、1798年、ジョゼフの仲介で二人は結婚式を挙げました。
しかもその後の1810年、夫ベルナドットは王位継承者の絶えたスウェーデンで、議会選挙により王位継承者たる王太子としての指名を受けるのです。
一方、ナポレオンは浮気な妻ジョゼフィーヌに対して愛情が冷め、同年の1810年に離婚しました。1812年にはロシア遠征にも大敗し、各国は一気に反ナポレオンへと動き始めます。
プロイセンが呼びかけた第六次対仏大同盟にはスウェーデン王太子のベルナドットも参加し、こうしてナポレオンとデジレの運命の明暗は際立つこととなりました。
女心の真意は?
その後、ナポレオンは抗戦にも交渉にも敗れて失脚、1821年にコルシカ島で51年間の生涯を閉じました。
一方デジレは、1818年に夫がカール14世ヨハンとしてスウェーデン=ノルウェー連合王国の王位に就いたのに伴い、王妃となりました。
彼女は一時期パリの生活を忘れられずそこに留まりましたが、後年は国王である夫カール・ヨハンのもとスウェーデンで穏やかに暮らし、1860年に83歳で息を引き取りました。
彼女の棺は先立っていた夫の棺の側に埋葬されましたが、亡くなった後、彼女の枕の下から出てきたのは、かつてナポレオンに送った幾通もの恋文の草稿でした。
うら若き娘時代の恋人も、国王となった夫も見送ったデジレのその本当の心のうちは、彼女だけが知る事となったのでした。
参考文献:フランス革命の女たち (とんぼの本) 新潮社
池田 理代子 (著)
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