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天皇賞(秋)の歴史を調べてみた

天皇賞(秋)とは

天皇賞(秋)とは

ゴールの瞬間(第138回天皇賞・秋)

天皇賞(秋)(3歳以上オープン 国際・指定 定量 2000m芝・左)は、日本中央競馬会(JRA)が東京競馬場で毎年10月末に施行する重賞競走(GⅠ)である。日本の競馬の中で最も古くからあり格式の高いレースだ。

この天皇賞(秋)について創設からの歴史をひもといてみる。

なお2001年(平成13年)から競走馬の年齢表記が数え年から満年齢に変更された。この記事では現在の表記で記す。

天皇賞の歴史

天皇賞の歴史は、日本の西洋式競馬の歴史と重なる。

天皇賞(秋)とは

天皇賞の前身とされる「エンペラーズカップ」が行われていた旧横浜競馬場 (現:根岸森林公園、根岸競馬記念公苑)wiki(c)Wiiii

日本で初めて誕生した西洋式競馬場は根岸競馬場(横浜競馬場)で、第1回の開催は1867年(慶応2年)に行なわれた。

明治維新後、明治天皇が積極的に競馬の開催を後押しし、1880年(明治13年)に日本レース倶楽部の主催によって行なわれたレース「The Mikado’s Vase」の勝者に賞品(金銀銅象嵌銅製花瓶一対)を下賜した。これが現在の天皇賞の原型になる。

1905年(明治38年)に根岸競馬場(横浜競馬場)で「The Emperor’s Cup」が開催され、その後横浜・東京・阪神・小倉・福島・札幌・函館の各競馬倶楽部が独自の競走条件で「帝室御賞典競走」を行なった。

1936年(昭和11年)帝国競馬協会と11の競馬倶楽部が合併して日本競馬会が発足、「帝室御賞典競走」も統一されて春は旧阪神競馬場(鳴尾競馬場)、秋は東京競馬場で行なわれることになった。

帝室御賞典

JRA(日本中央競馬会)では1937年(昭和12年)12月に東京競馬場で行なわれた帝室御賞典を第1回天皇賞としている。

天皇賞(秋)とは

1937年帝室御賞典優勝馬ハッピーマイト

第1回天皇賞は東京競馬場の芝2600mで行なわれた。

優勝馬のハツピーマイト(牡3歳)は1943年(昭和18年)に変則クラシック三冠(現在の日本ダービー・オークス・菊花賞)を達成するクリフジ(牝)の全兄(父も母も同じ兄)である。

出走条件のうち年齢は1938年(昭和13年)第3回のときに「5歳(現4歳)以上」、1987年(昭和62年)第96回のとき「4歳(現3歳)以上」に変更された。

2002年(平成14年)第126回で優勝したシンボリクリスエス(牡3歳)は65年ぶりに盾を賜わった3歳馬となった。

悲劇の名牝 ヒサトモ

天皇賞(秋)とは

ヒサトモ

1938年(昭和13年)第3回のとき距離も芝3200mに変更された。

この年の優勝馬のヒサトモ(牝4歳)は天皇賞(秋)で初めて勝った牝馬であり、前年の第6回東京優駿大競走(現 日本ダービー)に牝馬として初めて勝った馬でもある。

彼女は4歳で引退し繁殖牝馬となったが15歳のとき地方競馬に復帰させられ、5戦終えたところで突然死してしまった。

ヒサトモの数少ない子孫から、後に1984年(昭和59年)第45回オークスの優勝馬トウカイローマン、七冠馬シンボリルドルフの産駒トウカイテイオーが輩出された。

外国産馬が盾を戴く オパールオーキツト

1943年(昭和18年)第13回を開催したのち、1944年(昭和19年)に東京競馬場は一時閉鎖し陸軍施設に転用された。

1947年(昭和22年)第16回から名称を「天皇賞」と変更して再開した。しかし戦争の影響で日本の競走馬の生産・育成は荒廃し、競馬の存続も危ぶまれる状態だった。

そこでアメリカから輸入された競走馬が、1948年(昭和23年)に発足したJRA(日本中央競馬会)に所属する馬主に割り当てられた。

一方、東京都と特別区競馬組合はオーストラリアとニュージーランドから競走馬を輸入し、南関東公営競馬の馬主に割り当てられた。1954年(昭和29年)第30回の優勝馬オパールオーキツト(牝4歳)もそのうちの1頭である。

オパールオーキット/1954年(昭和29年)天皇賞(秋)優勝時の記念写真

オパールオーキツトは天皇賞に出走するために日本中央競馬会に移籍し、見事勝利した。1916年(大正5年)以来、38年ぶりの外国産馬の勝利である。

しかし「外国産馬が天皇賞に勝つこと」について賛否が巻き起こり、1971年(昭和46年)第64回から外国産馬は出走できなくなった。

2000年(平成12年)第122回に外国産馬の出走が認められ、2005年(平成17年)第132回に国際競走に指定されたため外国産馬の出走制限がなくなり、外国調教馬も出走可能になった。

母子で天皇賞制覇 トウメイ・テンメイ

1971年(昭和46年)第64回の優勝馬トウメイの子のテンメイ(牡4歳)は、1978年(昭和53年)第78回で優勝し、史上初の母子制覇となった。しかも母と同じ騎手(清水英次)、調教師(坂田正行)、馬主(近藤克夫)というオマケ付きである。

トウメイは馬体が小柄なうえ気が強いため二束三文で買われて競走馬生活を始めたが、通算31戦16勝、全レースで賞金を持って帰ってきた。マイラーズカップ(阪神 芝1600m)を連覇したことから「マイルの女王」といわれ、5歳のときに倍の距離の3200mの天皇賞(秋)にも勝った。

息子のテンメイは5歳時に天皇賞(秋)に勝って、2019年(令和元年)現在天皇賞春秋通して唯一の「母子制覇」を達成した。

6歳の宝塚記念を最後に引退して種牡馬になるはずだったが岩手競馬で現役続行させられ、怒ったファンが「トウメイの血を守る会」を結成し、テンメイを買い戻す騒ぎが起きた。

GI史上初の18着降着 メジロマックイーン

※種牡馬時代のメジロマックイーン

1981年(昭和56年)に「勝ち抜き制」が廃止され、1984年(昭和59年)から距離が2000mに短縮された。

1991年(平成3年)第104回天皇賞(秋)には、その年の第103回天皇賞(春)に勝って父子三代天皇賞制覇を達成し、次は父子三代天皇賞(秋)制覇を目指すメジロマックイーン(牡4歳)が出走した。

ところがメジロマックイーンはスタート直後に外枠からコースの内側へ大斜行。内側にいた馬たちは進路を塞がれ18位入線したプレジデントシチー(牡8歳)は落馬寸前だったが、2位入線のプレクラスニー(牡4歳)に6馬身差を付けて1位に入った。

当然審議となり、メジロマックイーンはGⅠ競走で初の18着降着の処分を受け、繰り上がってプレクラスニーが第104回天皇賞(秋)優勝馬となった。

 

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コメント

  1. アバター
    • 名無しのスクラムハーフ
    • 2020年 5月 17日

    シンボリクリスエスの前に、バブルガムフェローが3歳時に勝ってない?

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