かつてアメリカに、7度も雷に打たれながら生き延びて、「人間避雷針」と呼ばれた男がいたことをご存じだろうか。
彼の名は、ロイ・サリヴァン(Roy Cleveland Sullivan)。

画像 : 雷に打たれて焦げた監視員帽子をかぶるロイ・サリヴァン public domain
統計上、アメリカ国内で80年の人生を送った人が一度でも雷に打たれる確率は、およそ1万〜1.5万分の1とされるが、それが7回ともなれば、1億分の1をはるかに下回る非常に稀な事例となる。
サリヴァンは初めて被雷してから約35年のあいだに、計7回の落雷を受けたという。
しかも、いずれの落雷でも大きな後遺症を残さず、生還している。
だが、その最期は雷によるものではなかった。
今回は「雷が最も多く当たった人」というギネス記録を持つ男、ロイ・サリヴァンの数奇な人生に触れていきたい。
1度目の被雷

画像:シェナンドー国立公園の多くの景色の良い場所のうちの一つ wiki c Wallygva
記録上、ロイ・サリヴァンが初めて雷に打たれたのは、1942年4月のこととされている。
彼は1912年、バージニア州グリーン郡に生まれ、30歳の当時は、同州のシェナンドー国立公園で公園監視員として勤務していた。
もともとバージニア州はアメリカ国内でも特に雷が多い地域で、年間で平均35日から45日ほど雷雨が発生するという。
その日、サリヴァンは仕事中に雷雨に見舞われ、雨宿りするために国立公園内に建つ、火の見櫓(みやぐら)に避難した。

画像 : 当時のアメリカの代表的な監視塔(火の見櫓)public domain
しかし、その火の見櫓は当時建設されたばかりで、避雷針が設置されていなかった。
周囲より高くそびえる構造だったために何度も雷が直撃し、サリヴァンによれば「櫓の内部には火花が飛び交っていた」という。
やがて火の見櫓は出火し、サリヴァンはあわてて外へ逃げ出した。
だがその直後、彼自身に雷が落ち、右足と靴が焼け焦げた。
この時の被雷で、彼は右足の親指の爪を失っている。
実はサリヴァンは後に、「実際にはそれ以前にも雷に打たれたことがある」と語っている。
幼い頃、父親の農作業を手伝っていた際、小麦刈り用の鎌の刃に、雷が落ちたというのだ。
幸いその時は怪我を負わなかったものの、記録として残す術がなかったため、公的には1942年の被雷が“最初”として扱われている。
2度目と3度目の被雷

画像:樹木への落雷直撃。樹冠内部に赤熱がみられる。 wiki c Pit0711
最初の被雷から27年後の1969年7月、サリヴァンは再び雷に打たれた。
57歳になっても公園監視員として勤務を続けていた彼は、その日トラックで山道を走行中だった。
通常、雷に対して車の中は安全地帯とされている。
仮に車に雷が落ちたとしても、その電流は金属製の車体表面を伝っていくため、金属製の部分に触れてさえいなければ車内にいる人間が感電する可能性は低いという。
しかしこのときは、まるで隙間を狙ったかのように、雷は近くの木に落ちた後、開いた窓から車内へ入り込み、サリヴァンの頭部を直撃した。
彼はその場で意識を失い、髪は焼け、眉とまつ毛も失われた。
トラックは制御不能になって走り続けたが、奇跡的に崖際で停車したため、九死に一生を得た。
さらに1年後の1970年7月、サリヴァンは3度目の被雷に遭う。
このときは休暇中で、自宅の前庭にいたところ、近くの変圧器に落ちた雷が左肩に伝わり、火傷を負ったという。
4、5、6度目の被雷

画像 : シェナンドー国立公園のレンジャーとして知られるサリヴァン。手にしているのは、落雷で焼けた帽子 public domain
自宅での被雷から約2年後の1972年春、国立公園内のレンジャーステーションで作業中だったサリヴァンに、4度目の雷が落ちた。
落雷の影響で髪に火が点いてしまったため、サリヴァンは上着で消火を試みたが、消えなかった。
そこで今度はトイレに駆け込んで水をかけようとしたが、水道の蛇口の下に頭が入らず、タオルを濡らして頭に被ってようやく火を消した。
これ以降、彼は水差しを持ち歩くようになった。
4度目の落雷は、サリヴァンの肉体だけでなく精神にもダメージを与えた。
彼は次第に、「何か目に見えない力が自分を狙っているのではないか」という不安にとらわれるようになり、雷の被害が他人に及ぶことを恐れて、人混みを避けるようになった。
雷雲に遭遇したときは車を止め、助手席に身を横たえて、嵐が過ぎるのをじっと待ったという。
元来、屈強な体と自然を愛する心を持ち、誇りを持って公園監視員を務めていたサリヴァンだったが、幾度も雷に打たれれば不安になるのも当然のことである。
しかし雷は、彼を見逃してくれることはなかった。
4度目の被雷から1年半以上が経過した1973年の8月7日、なんと5度目の落雷がサリヴァンを襲った。
その日、国立公園内をパトロール中だったサリヴァンは、不穏な雲が空を覆っているのを見つけて、すぐさま逃げるように車を走らせた。
しばらく走った後、ようやく嵐の雲から逃げ切ったと思い、車から降りた直後に、雷がサリヴァンの左半身を直撃したのである。

画像 : 雷に打たれるサリヴァン イメージ 草の実堂作成(AI)
電流は左腕と左足を伝い、靴を吹き飛ばし、さらに右足の膝下まで走った。
サリヴァンはその一部始終を、自らの目で見ていたという。
幸い意識を失うことはなかったため、彼はトラックまで這って戻り、常備していた水差しの水を頭からかぶって燃える髪を消火し、命をつないだ。
6度目の落雷は、それから約3年後の1976年6月5日に起きた。
その日もサリヴァンは、まるで自分を追ってくるかのような雲から逃げようとしたが、結局逃げきれず、落雷によって足首を負傷し、髪の毛もまた燃え上がったという。
7度目の被雷
サリヴァンにとって最後となった7度目の落雷は、彼が釣りをしていた最中に起きた。
1977年6月25日。65歳になったサリヴァンは、1年前に公園監視員を退職しており、その日は淡水の池にボートを浮かべて、マス釣りを楽しんでいた。
だが穏やかな余暇は、突如として断ち切られる。彼の頭上に、またもや雷が落ちたのである。
落雷の衝撃でボートから吹き飛ばされたサリヴァンは、髪に火がつき、胸と腹に火傷を負った。
それでも何とか岸まで泳ぎ、自分の車にたどり着いた。
だが、さらなる予期せぬ出来事が、彼を待ち受けていた。
なんと、釣り糸にかかったマスを狙って一頭のクマが接近してきたのである。
雷に焼かれ、満身創痍の状態だったサリヴァンにとっては、あまりにも理不尽な追い打ちだった。

画像:シェナンドー国立公園に棲息するアメリカクロクマ(写真は別の個体) wiki c Diginatur
しかし、幾度も雷に打たれながら、定年まで公園監視員の仕事を務め上げたサリヴァンにとっては、クマなど恐るるに足りない存在だったのだろう。
サリヴァンはその場に落ちていた木の枝でクマを追い払い、見事に生還したという。
雷に打たれたのは記録上7度目、経験上では8度目のことだったが、棒切れでクマに立ち向かったのは通算22度目だったと、後のインタビューで語っている。
雷に愛された男の悲劇的な最期
幾度となく死の危機をくぐり抜け、「人間避雷針」と呼ばれて知られるようになったロイ・サリヴァン。
しかし、7度の落雷という前代未聞の体験は、彼に名声とともに深い孤独をもたらした。
友人や家族は天候が悪化し始めると、落雷を恐れてサリヴァンから物理的に距離を取るようになっていった。
実際、彼の妻もかつて一度、裏庭で洗濯物を干していた際に落雷を受けたことがある。
幸い命に別状はなかったが、そのときサリヴァンはすぐに対応し、事なきを得たと伝えられている。
奇跡的な確率で生き続けていたサリヴァンだったが、1983年9月28日、71歳の時に、自宅で自ら頭部を拳銃で撃ち抜き、息絶えているところを発見された。
その動機については諸説あり、「報われぬ恋に苦しんでいた」との証言のほか、「家庭不和による心労」とする見方もあるが、真相は明らかになっていない。
彼は現在、バージニア州オーガスタ郡のエッジウッド墓地に埋葬されており、墓碑にはこう刻まれている。
WE LOVED YOU, BUT GOD LOVED YOU MORE
(私たちはあなたを愛していましたが、神はあなたをもっと愛していました)
サリヴァンが雷に打たれた際にかぶっていた、焦げ跡の残る2つのレンジャー帽は、現在もニューヨーク市とサウスカロライナ州のギネス世界記録展示ホールに所蔵されている。
参考 :
David Queirolo (著)『Sugarpine Chronicles』
文 / 北森詩乃 校正 / 草の実堂編集部
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