海外

チェスキー・クルムロフとは 【世界一美しい街】

東欧の街並みは歴史を感じさせると共に、日本人の私たちでもどこか懐かしさも感じます。

そんな東欧のなかでも、チェコにある「世界一美しい街」を知っていますか?

それがチェスキー・クルムロフです。

モルダウ川沿いの街

チェスキー・クルムロフ
※チェスキー・クルムロフ

チェコの南部にある小さな街、「チェスキー・クルムロフ」は世界中の旅行者から「世界一美しい街」と呼ばれています。

面積約22平方キロメートル。東京の品川区とほぼ同じという小さな街です。「チェスキー」はチェコ語で「ボヘミアの」という意味で、「クルムロフ」は「川の曲がった湿地」という意味です。ボヘミアはこの街がチェコの南ボヘミア州にあることから、曲がった川というのはブルタバ(モルダウ)川がS字のように街の中心を流れていることを意味しています。

プラハからは、長距離バスで約3時間。さらにそこから旧市街へ歩いてゆくと街の中心部となります。

どこもルネサンス様式などの古い建物で、その多くが建築当時のままということです。

チェスキー・クルムロフ の歴史


※Google Earthより

13世紀後半、ブルタバ川がボヘミア地方における水運で栄えたことで、この地に街が造られていきました。

すでにチェスキー・クルムロフ城も建てられ、1302年にはローゼンベルク家のものとなります。14世紀も交易と手工業が盛んになり、16世紀のウィルヘルム・フォン・ローゼンベルクの時代に現在のようなルネサンス様式の街に整備されました。

その後、ローゼンベルク家は財政破綻のためにこの街を神聖ローマ帝国に渡すことになって、エッゲンベルク家、シュヴァルツェンベルク家と領主が変わるたびに街の様相が少しずつ変わっていきます。やがて19世紀にはオーストリア=ハンガリー帝国領となりますが、第一次世界大戦で敗戦するとチェコスロバキアの領土になったのです。

1992年には世界文化遺産に登録されますが、1993年にチェコとスロバキアがそれぞれ共和国として分離すると、チェスキー・クルムロフもチェコ共和国の古都になりました。

熊の由来

チェスキー・クルムロフ
※クルムロフ城内劇場の舞台

街はブルタバ川の外に広がる新市街と、街を囲うように湾曲した中にある旧市街によって造られています。

起伏があるため、絶景ポイントも多くありますが、なんといってもオレンジ色の屋根と深い緑の調和が美しいですね。旧市街は、私たち日本人が中世のヨーロッパをイメージしたときのままの景色がギュッと詰まった感じです。

旧市街の中心には、街のシンボルとなっているチェスキー・クルムロフ城があります。

建設当初のゴシック様式から、時代の変化に合わせてルネサンス様式、バロック様式と増改築され、チェコでもプラハ城の次に大きなお城となりました。特にフラデークの塔や内部のオペラ劇場が有名です。

お城に入るための空堀の下ではが飼われていますが、これはローゼンベルク家がイタリアのオルシーニ家と親戚関係にあり、オルシーニ家の紋章が熊というところから、代々この堀では熊が飼われてきたそうです。

白い夫人

チェスキー・クルムロフ

チェスキー・クロムロフ城の中には多くの窓がありますが、そのほとんどが「トロンプ・ルイユ(騙し絵)」として描かれたものです。

現代でいうトリック・アートのようなものですね。フランス語でズバリ「目を騙す」という意味で、少ない本物の窓をより多く見せるためのものだとか。このトロンプ・ルイユは仮面舞踏会の間の壁面にも描かれていて、135人もの参加者たちが窓やバルコニーから部屋を見ているようになっています。

他にも、歴史のあるお城だけあって「白い夫人の幽霊」が現れるという伝説があります。城の領主だった男性と結婚した女性が夫の暴力に苦しめられましたが、夫は死の間際にそのことを悔いて夫人に謝りました。しかし、彼女がそれを許さなかったため、夫は夫人に呪いをかけて死後も彷徨うようになったというものです。

今でも城内には白い夫人の肖像画が残っています。

チェコ料理とピルスナービール


※中央の一際大きな建物がクルムロフ城

チェコの地方にある小さな街ですが、世界遺産に登録されていることもあって、大勢の観光客が訪れるチェスキー・クルムロフ。

欧米を中心とした観光客がメインですが、中華圏や日本からの観光客も増えています。そのため、街にはホテルやレストラン、雑貨店などがあり、ビール醸造所直営のレストランで伝統的なチェコ料理も楽しめます。

チェコのビールといえば、ピルスナービール発祥の地ですから、まさに本場の味を新鮮な状態で味わえるという贅沢!さらにオープンカフェなどもあって、ここで一泊して観光するには十分な施設が整っています。ただし、街中の撮影は可能ですが、お城のなかは撮影禁止の場所も多いので静かに見て回りましょう。

まとめ

日本ではあまり知られていないチェスキー・クルムロフですが、最近では観光地としての評価が高く、日本からのツアーもあります。日本人ガイドも同行するので、街の説明も心配なく、夢のような時間を過ごせます。

ぜひ、中世の街チェスキー・クルムロフを訪れてみてください。

H.I.S チェスキー・クルムロフツアー

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