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戦闘民族 マオリ族の歴史 【タトゥーは身分証明だった】

世界には多くの民族が存在する。その中でも戦争や戦いの中にアイデンティティを持っている民族がいくつか存在している。

古代ギリシアのスパルタ人、ヨーロッパの北方民族ヴァイキング、ネパールのグルカ族、オセアニアのマオリ族
彼らは歴史上において戦いの中で活躍し生活、文化そのものが戦いであった。

今回はラグビーワールドカップで、ニュージーランド代表の試合前のパフォーマンス「ハカ」で名前を知られたマオリ族について解説する。

マオリ族の歴史

マオリ族とは、現在のニュージーランドにイギリス人が入植する以前から住んでいた民族である。

マオリ族はマオリ語を話す民族で、マオリとは「普通」を意味する単語である。

彼ら自身はマオリ族とは言わず、他の民族と区別するために「普通の人間」という意味で「Tangata Maor」iと、区別した言い方にしたのが始まりである。

戦闘民族 マオリ族の歴史

マオリ族の青年 wikiより引用

マオリ族の起源は、ポリネシア地域のクック諸島またはタヒチが起源とされている。9~10世紀ごろにニュージーランドに移住してきた。

彼らは元々狩猟採集民族であったが、ニュージーランドで狩猟採集だけで生活していけなくなると農耕も始めるようになった。(彼らは巨大な鳥・モアの狩猟を生業としていたがモアの数が激減)タヒチとニュージーランドでは気候が違い、育つ植物にも違いがあるため農耕をせざるを得なかった。

人口が増加するにつれて彼らは少数部族「イウィ」を形成し、他の部族との部族間衝突も多くなっていく。彼らは丘の上や峰に防衛拠点を構えて周りに柵を張り巡らせることで敵の侵入から守るようになった。

1769年、イギリス人探検家ジェームズ・クックがヨーロッパ人として初めてニュージーランドに上陸し、イギリス人がニュージーランドに入植してくるようになると、クジラやアザラシの捕獲を行う人々の補給地として利用されるようになる。

1840年にワイタンギ条約をイギリス政府とマオリ諸部族との代表者が締結。マオリ族は主権をイギリスに譲渡したが、条文の解釈に相違があり対立し、1860年代にはマオリ戦争が起きている。

マオリ族のタトゥーの意味

マオリ族を象徴するものとして、全身に施されたタトゥーが有名である。

戦闘民族 マオリ族の歴史

マオリ族のタトゥー

伝統的なマオリのタトゥーはモコ(moko)と呼ばれ、彼らのタトゥーは自分の名前や苗字、身分や血縁関係、その人が既婚しているかなどを表す象徴であったようだ。

現在でいうところの身分証明書として彼らはタトゥーを体に刻んでいた。成人すると彼らはタトゥーを入れ始める。

マオリ族のタトゥーの意味を一覧にすると

額の中央部分 その人の社会的ステータスを表す。
眉毛下の部分 その人の立場を表す
目と鼻の周り 亜部族のランクを示す
こめかみの周辺 既婚の有無や回数
鼻の下の部分 その人署名、契約を表す
頬の部分 職業
下あごの部分 その人の名声を表す
上あごの部分 その人の家系を表す

世界にもこういったタトゥーの文化は存在しているが、マオリ族のタトゥーはこれまでに同じものが一つとして描かれたことがない唯一無二のものである。
彼らのタトゥーは彫った後の傷が溝として残っており、その痛みは想像を絶する痛みであったと言われている。

タトゥーは神聖な物であり、タトゥーを入れる際の決まり事も存在していた。

・タトゥーを入れている最中は声を上げてはならない。(痛みに耐えることが強さの証である)他の人に話しかけてはならない。

・タトゥーを入れる期間中は、タトゥーを入れる者も入れられる者も手で食事してはならない。性行為をしてはいけない。固形物を口にしてはならない

といった決まりがあった。

マオリ族の首狩り

戦闘民族 マオリ族の歴史

ジェームズ・クック

イギリスの海洋探検家ジェームズ・クックはマオリ族のタトゥーに興味を持った。

当時マオリ族の文化の中に、倒した相手の首を戦利品として装飾された箱に入れて持ち帰る文化があった事で、彼もマオリ族の首を集めることを始める。

彼はマオリ族の首を手に入れるために、マオリ族の族長ホンギに銃などの武器を与え、マオリ族同士で戦わせることで大量の首を手に入れたようである。
敵の部族の首を手に入れることで武器と交換してくれることを知ったホンギは、更に他部族を襲い首を集めたようだ。

集まった首は取引業者が買い取り、美術品として売却されていった。
後に捕虜やタトゥーの施されていない首に対し、切り落とした後にタトゥーを施すといったことも行われていた。

戦いの踊りハカ

ハカとは、マオリ族の戦士が戦いの前に相手を威嚇したり、自分たちを鼓舞する目的で行った踊りである。

他には、「戦いの後に敵に敬意を表す」「祝い事の席で踊る」など、ハカは彼らの文化に根付いている踊りである。

現在でもラグビーのニュージーランド代表は、試合前にハカを踊ることでチームを鼓舞して相手を威嚇している。

戦闘民族 マオリ族の歴史

ハカ wikiより引用

有名なハカの一つカマテの意味

カマテの歌詞:

カ マテ! カ マテ!
カ オラ! カ オラ!
カ マテ! カ マテ!
カ オラ! カ オラ!
テネイ テ タナタ プッフル=フル ナア ネ イ ティキ
マイ ファカ=フィティ テ ラ!
ア ウパネ! ア フパネ!
ア ウパネ! カ=ウパネ!
フィティ テ ラ!
ヒ!

カマテの意味:

死ぬ! 死ぬ!
生きる! 生きる!
(以上を2回繰り返し)
見よ、この勇気ある者を。
ここにいる毛深い男が再び太陽を輝かせる!
一歩はしごを上へ! さらに一歩上へ!
一歩はしごを上へ! そして最後の一歩!
そして外へ一歩!
太陽の光の中へ!
立ち上がれ!
(Wikipediaハカより引用)

現在のマオリ族

2013年の調査では、ニュージーランドに暮らすマオリ族の数は60万人である。だが白人との混血もすすみ純粋なマオリ族は減少傾向にあると言われている。

第二次世界大戦後、マオリ族は都市部にも居住し英語を話すようになり、マオリ語を話すマオリ族は減少している。
また、生活も西欧化、現代化が進み、マオリ族の伝統が消えつつある。

その一方で、マオリ族の文化を残す運動や、マオリ族への差別を禁じた法律の整備、マオリ語の教育、文化の保護が進められている。

まとめ

マオリ族は、もともと対外的な戦いを好む民族ではなかったようだが部族間同士の食糧や土地の奪い合い、更にイギリス人の移住により最新の武器を手に入れたことで、民族間の争いに拍車がかかったようである。

しかし彼らは戦う相手に敬意を表し、自らの体にその強さを示すタトゥーを刻み、部族や民族の誇りをかけて戦ったのである。

その精神は、現在のラグビーニュージーランド代表にも生き続けている。

 

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草の実堂編集部

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

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