東アジアを中心に旧暦の8月15日に行われる「中秋節(ちゅうしゅうせつ)」の過ごし方には、各国の中華圏によって違いがある。
今回は、中華系の人々も多く暮らすマレーシアの「中秋節」の過ごし方について調査してみた。
2021年、今年の「中秋節」は9月21日だ。毎年「中秋節」が近づくと、マレーシアの街中では光輝く提灯の飾り付けが始まる。
多民族国家であるマレーシアでは、マレー系や、インド系の人々も民族や宗教を超えて一緒に「中秋節」を祝うことができる。
家族を想う心をつなぐ「中秋節」
秋の夜を照らす提灯を家の門に下げ、家族で月を眺めながら月餅(げっぺい)を食べるのがマレーシアの「中秋節」の過ごし方だ。たとえ家族が離れていたとしても「中秋節」に空を見上げ、同じ月を眺めれば、家族を想い合える時間が過ごせるといわれている。
人々が「中秋節」に家族を想う時間を持つようになった背景には、『嫦娥(じょうが)、月へのぼる。』というある夫婦の愛を描いた神話が影響している。
空に10個の太陽が存在し、人々の生活を暑さで苦しめていた時代があった。そんな中、后羿(こうげつ)という男性が弓矢で9個の太陽を撃ち落とし、人々を苦しみから救う。この勇気ある后羿の行動を受け、神は不死身の薬を后羿に贈るが、この不死身の薬を狙う者が、后羿の留守中に家に忍び込む。その異変に気づいた妻の嫦娥(じょうが)は、夫が大切にしている薬を守るため、とっさに薬を自ら飲み干してしまう。不死身の薬には、『仙人になり、生涯を生き続ける』という力があったため、旧暦の8月15日に嫦娥は仙人界へ送られてしまい、仙女として生きる宿命を背負う。住む世界が違っても『后羿が月を見上げた時に互いの想いを確かめ合えるように』と、地球に一番近い月に住むことにした嫦娥。夫である后羿もその想いを受け取ったかのように妻の好きだった果物を月に向かって供え続けた。
2人の愛の形に感動した人々が、后羿のように大切な家族を想いながら食べ物を供え始めたことが「中秋節」の始まりだといわれている。
この神話の結末は、国や地方によって様々ではあるが、マレーシアで伝わる神話は互いを想うあまり自分を犠牲にし、離れ離れになってしまった夫婦の愛を中心に語り継がれている。
色鮮やかな月餅が「中秋節」の訪れを告げる
「中秋節」と聞いて最初に思い浮かぶのは、家族揃って月餅を食べる習慣である。丸い月に見立てて作られた月餅は、多くの食品ブランドから販売され、洋菓子店でも予約の受付けをしている。
マレーシアの店頭に並ぶ月餅は、緑、紫、青といった色鮮やかな『スノースキン月餅』が多い。旬の果物やチョコレート、アーモンドで作られた餡を、柔らかい求肥(ぎゅうひ)で包み、冷やして食べるのが特徴だ。従来のキツネ色に焼き上げた伝統的な月餅よりも、デザインや味の種類も豊富な上、冷蔵庫での保存が効くため品質も長く保つことができる。
親戚や親しい知人同士で月餅を贈り合うこともあるため、年間を通し真夏日のマレーシアでは、冷蔵保存が効く『スノースキン月餅』が人々に好まれている。
「中秋節」のお供え物という印象が強く、子供たちの月餅離れが懸念されたこともあり、カラフルで興味を引くデザインと、年齢を問わずお菓子感覚で楽しめる味の開発が毎年、重要視されている。
さらに食べやすさと、見た目に涼しさを演出した寒天で餡を包んだ『ゼリー月餅』も注目されており、マレーシアでは夜市の露店で購入することができる。
「中秋節」とウサギの深い結び付き
月餅のパッケージや「中秋節」の飾り付けにも多く登場する『ウサギ』。
これは中華圏の国々で伝わる『ウサギの薬作り』という伝説が由来している。
ある時、老人の姿に変えた3人の神がキツネ、サル、ウサギに食べ物を求めてきた。キツネとサルはすぐに食べ物を見つけ老人に差し出したが、ウサギは最後まで食べ物を見つけられずにいた。どうしても老人に食べ物を与えたいと考えたウサギは最後、自分の身を犠牲にすることを決意し、火の中へ飛び込んでしまった。そんなウサギの善良な姿に感動した神は、ウサギたちを月の世界へ招き、仙女になった嫦娥の側で薬作りを手伝うように頼んだ
という話である。
日本では、道で倒れていた老人のためにウサギが自分の身を犠牲にしたという仏教説が広まり、のちに老人や月で暮らす者が食べ物に困らないように、ウサギが月で餅を作っているのだといわれるようになった。またヨーロッパでは、たくさんの子宝に恵まれるウサギを『生命の象徴』と考えていることから、キリスト復活祭の『イースター』に関連する商品にウサギを描いているのだという。
ウサギの直向きな姿と人間への優しさが伝説で語られているように、世界的に見てもウサギは、幸運を運ぶ縁起の良い動物という認識が強い。
「中秋節」に考え、大切にしなければならないこと
マレーシアの「中秋節」では毎年、提灯のコンテストが開れ、家族への願いや感謝を込めて子供たちが作った無数の提灯が多くのショッピングモールに飾られる。
日本で目にする七夕の短冊に重なる部分がある。
我が子が作った提灯を見に訪れ、写真撮影に夢中になる家族で賑わうのも「中秋節」ならではの光景だ。
一年に一度、家族の在り方について自分に問う時間を与えてくれる「中秋節」は、家族が一緒に過ごせる日常への感謝と、側にいる家族の愛しさを同時に感じさせてくれる。
どんなに忙しくてもこの日ばかりは家族と連絡を取り合い、月餅のように丸くテーブルを囲み、家族円満をいつまでも続けて欲しいものである。
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