紫禁城
紫禁城(しきんじょう)とは、中華人民共和国の北京市内に所在する明清朝の歴史的建造物である。
北京と藩陽の明・清王朝皇宮の一つとして、ユネスコの世界遺産となっている。
「紫禁城」またの名を「故宮」と呼ばれ、現在では博物館となっている。
中国の歴代皇帝によって収集され、保管されていた歴史的文化財を保存・展示している。
2011年5月の時点で収蔵品は絵画・陶磁器・文書など180万点である。
北京の故宮博物館は建造物の美しさの目を奪われる。中国ならではの派手な色使いが美しい。
敷地面積は72haあり、世界最大の木造建築群が立ち並んでいる。
歴史
元(モンゴル帝国)のクビライが大都に建設した宮殿を、明の永楽帝が1406年に南京から北京へ都を遷し、清朝滅亡まで宮殿として使われた。
ここで24人の皇帝が暮らしたと言われる。
1644年、李自成の乱で明代の紫禁城は部分焼失したが、清朝により再建された。
1908年12月に即位した愛新覚羅溥儀が、清朝の第12代宣統統帝かつ紫禁城に居を構える最後の皇帝となった。
かの有名な「ラストエンペラー」である。
紫禁城の名前の由来は、天帝(創造主)が住んでいるとされる北極星を紫微星、北極星の周辺を回る星座の辺りを紫微垣と呼んだのに由来する「紫宮」及び「天帝の命を受けて世界秩序の維持に責任を持つ皇帝(天子)」の住居たる「禁城(庶民が自由に入ることを禁じられた城)」の二語を合わせたものである。
紫禁城は世界の中心を地上に具現した領域であり、天帝に代わって地上を治める皇帝の住む宮殿として建設された。
紫禁城の内部
前述したようにその敷地は東京ドーム約15個分に相当する広大な宮殿で、この中に約9000部屋があり、明代では9000人の宮女、宦官10万人が住んでいたと言われる。
歴代皇帝と妃達が暮らした場所である。
天安門
中華人民共和国のシンボルとされる天安門は、故宮への大一門だ。
楼上で毛沢東が中華人民共和国の建国宣言を行い、中華人民共和国の国章にもその姿が描かれるなど、中華人民共和国の象徴の一つとされる。
太和殿
太和殿は、明代の永楽18年(1420)に創建された。創建時代は奉天殿と名付けられていた。
宮殿の高さは35,05m、面積は2,377㎡で重檐廡殿式という宮廷建築様式で建てられた。
72本の巨大な柱が建物を支え、その中の6本は雲龍文様を漆で盛り上げて金箔で覆った金柱である。ここに陳列されている装飾品は、皇帝の権力の大きさを表している。
現存する中国最大の木造建築である。
この宮殿は皇帝の即位や、結婚式、皇帝の誕生日など重大な行事が行われた場所であり、現在は清朝時代のままの宮廷の姿を陳列している。
皇帝が座した金漆彫竜宝座が印象的だ。
背もたれには金竜のレリーフが施され、玉座の後ろには、7枚からなる金粉を塗った竜の絵の屏風が置かれている。
玉座の上には大玉が吊るされ、皇帝として不適の者が座ると落ちてくるという迷信があり、袁世凱(清第二代内閣総理大臣)はわざわざ玉座をずらして座り、現在もそのままとなっている。
太和殿とその後ろの中和殿、保和殿の3大殿は「工」の字の土台の上に建てられている。
雲竜大石彫
雲竜大石彫は、長さ16m57cm、幅3m7cm、厚さ1m70cm、重さ250t。
九匹の竜が彩雲を舞い飛ぶ姿が刻まれており、故宮では最大の石造彫刻である。
九龍壁
九龍壁は、壁29,4m、高さ3,5m、厚さ0,45mの瑠璃色の壁彫刻だ。
乾隆37年に造られた立体感のある力強い作品である。左右両側に青と白の龍が彫刻され、白龍を上り龍、青龍を下り龍としている。
中国三代九龍壁の一つで、中国の伝統的な工芸品、重要なものを隠す目隠しとして使用された。
観光
北京の故宮博物館は収蔵品は元より、皇帝達の暮らした宮廷、当時の生活を垣間見ることができる場所だ。
中国史にとっても非常に価値の高いものばかりだ。
入場料は一般40元(4月から10月は60元)。学生は20元。珍妃井のある珍宝館(10元)や北側にある景山公園(2元)、南側の天安門の楼上(15元)などは別料金が必要となっている。
現在の日本円でのレートでは「一元=20.2円」である。
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