ビンロウの歴史背景
現在でも多くの人に愛用されている※ビンロウには、長い歴史がある。
※ビンロウについて詳しくは
【台湾の合法ハーブ】ビンロウ(檳榔)の効果と危険性
https://kusanomido.com/study/overseas/59331/
中国大陸では、約1500年の歴史があり、主な産地は南方で南海や雲南である。
宋代から良質なビンロウは朝廷に進呈するものとして使用されてきた。
ビンロウは中国語で「檳榔」と呼ばれ、貴客という意味である。もてなしにビンロウは欠かせなかった。
湖南省の人がよくビンロウを愛用したと言われ、一年で20億中国元ものビンロウを消費したという。
湖南省では食べ方が少し変わっていて、砂糖を加えた水と薬草で煮て、その汁を薬用として服用していた。咳止め、酒酔いを覚ます、胸焼け止め、虫除けなどに使われていたようである。
台湾でのビンロウの歴史はさらに古く、先住民の時代からという。
それは4~5000年前の新石器時代にまで遡る。台東と屏東の遺跡から見つかった人骨の歯からはビンロウを噛んでいた形跡が見られた。歯は着色し、繊維の摩擦ですり減っていたという。
その習慣は原住民の生活と文化に代々受け継がれた。
椰子の木にも似たその葉は、南国の太陽を遮ったりする役目も果たした。そして、宗教儀式にも使用され、結婚の際には両家の贈り物として重宝された。
台湾原住民の一つ・アミ族の古い文献にも、「ビンロウは神聖な果物で、神と人とを結ぶものである」という記述が残っている。
医学が発達していなかった時代、原住民は「ビンロウを噛むことは歯に良い、健康に良い」と信じていた。噛み続ける事で歯が丈夫になり、繊維を噛む事で歯を磨く事ができると考えていたのである。
食べ物が不足していた当時、子供たちもおやつ代わりにビンロウを噛んでいたという。
台湾に大陸から漢族が渡ってきて、土地を開拓する際にもビンロウは重宝され、仕事をする上でのカンフル剤としても使われていた。
日本統治時代の台湾
日清戦争後、日本が台湾を統治することとなった。
日本人からすると、ビンロウを噛むことは全く新しい習慣であり、受け入れ難いものであった。
口の中が真っ赤に染まった様子はまるで血の流出のようであり、吐き捨てた繊維は吐血したかのように見え、それが道のあちらこちらに落ちているのだ。
台湾では多くの人がビンロウを愛用していたが、日本政府はビンロウの販売、使用を禁止した。
現地の記者はそれについて「ご飯を食べなくても構わないが、ビンロウは必ず食べなければならない。」と書いたという。
三度の飯よりビンロウだったのだ。
日本政府はビンロウを食べる事を禁じた他、栽培も制限した。
ビンロウの木は次々と伐採され、ビンロウ畑の面積は1921年から1945年にかけて約半分に減らされた。
ビンロウは当時「緑の黄金」と言われ、多くの家庭の収入源となっていたことから、台湾の経済に大きな影響を及ぼしたと思われる。
現在のビンロウ
ビンロウはこのように迫害を受けながらも、根深く台湾の文化に継承されてきた。
ある記事では、「叩いても叩いても死なないゴキブリの様だ」と表現されている。
現在、台湾政府の立場はほぼ中立で「ビンロウを広めもしないし食べる事を推奨もしないが、禁止もしない」としている。
これは「三不」と言われている。「不」は中国語で否定を表す語である。
健康に害があると言う事で、日本におけるタバコと同等の扱いという感じである。
ビンロウには長い歴史において様々な役割を演じてきた。
「ビンロウなしには台湾の文化は語れない」といったところであろうか。
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