原点は日露戦争
モンテネグロ は2006年6月3日に独立を宣言し成立した国家で、ヨーロッパの南東、バルカン半島に存在している国家です。
かつては、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の一部でしたが、ユーゴスラビア紛争を通して独立しています。
モンテネグロは、日露戦争時には「モンテネグロ王国」として、ロシアと同盟を結んでいた国でした。
このため、日露戦争時の1905年にロシア側に立って日本に宣戦布告を行いました。
事実、このとき「モンテネグロ公国」は義勇兵を満州に派遣していました。
但し戦闘には加わらなかったこともあり、日本政府は先の宣戦布告を無視、ポーツマスでの講和会議にも招かれませんでした。
こうして国際法の上からは「モンテネグロ王国」と日本とは戦争を終えていないという形式上の状態が発生することになりました。
モンテネグロ の変遷
話を複雑にしているのが「モンテネグロ王国」と日本は、その後の第一次世界大戦では同じく連合国側に立ったものの、その最中に「モンテネグロ王国」はセルビア王国に併合されてユーゴスラビア王国となり、続く第二次世界大戦では日本とは敵として戦争状態になったことです。
この戦争状態に対しては、後に成立したユーゴスラビア社会主義連保共和国との間で書簡が交わされることになり、1952年4月28日の平和条約発効をもって終了したとの合意が得られました。
鈴木宗男が質問
しかしその後、ユーゴスラビア連邦共和国からセルビア・モンテネグロへと国家が移り変わり、更にそこから「モンテネグロ」が独立することになり、再び先の戦争状態の問題が浮上してきたのです。
「モンテネグロ」及びセルビア・モンテネグロは、ユーゴスラビア社会主義連邦の後継国家として承認されていなかったため、日本との戦争状態を規定した条約が存在しない状況が生まれました。
この状態を受けて、2006年(平成18年)2月14日に国会では 鈴木宗男 衆議院議員が
1904年にモンテネグロ王国が日本に対して宣戦を布告したという事実はあるか?
ポーツマス講和会議にモンテネグロ王国の代表は招かれたか?
日本とモンテネグロ王国の戦争状態はどのような手続きをとって終了したか?
の3点を質問しました。
このとき日本政府は、
「1904年にモンテネグロ国が宣戦を布告したことを示す根拠があるとは承知していない。モンテネグロ国の全権委員は、御指摘のポーツマスにおいて行われた講和会議に参加していない」
という見解を示しました。
イギリスとの関連
2006年6月3日に行われた「モンテネグロ」の独立宣言に対して、日本政府は6月16日にその独立を承認しました。
UPI通信社(アメリカの通信社)は6月16日の報道において、ベオグラードのB92ラジオのニュースを引用し、日本からの特使が、独立の承認と100年以上前の日露戦争の休戦の通達を行う予定と伝えました。
しかし日本の外務省からは、日露戦争や休戦に関連する情報は出されませんでした。
日露戦争時に締結されていた日英同盟の規定によれば、日本が2ヶ国以上と戦争状態になった場合には、イギリスに参戦義務が生じることになっていました。
このため、当時の日本がモンテネグロの宣戦布告を無視せずに対処していた場合には、イギリスにも複雑な状況をもたらす可能性がありました。
戦争状態の解消
日本政府の立場としては「モンテネグロ」の後継国家であったユーゴスラビアを承認した時点で、国際法上の交戦状態は解消されたものとの見解をとっています。
よって2006年6月にモンテネグロ共和国がセルビアから分離独立し、これを日本が承認したことを以て交戦状態は正式に解消したと解釈されています。
形式上のこととはいえ、100年以上もの間、戦争状態が続いたという稀有な事態でした。
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