人物(作家)

奇行の画家・ゴッホの謎の死 「いくつもの精神疾患」

19世紀のヨーロッパを生き、代表作として「ひまわり」が有名な印象派の画家、ヴィンセント・ファン・ゴッホ

その生涯は短く、また画家の活動期間は10年でその間に2000点の作品を残した。

彼の人生はどのようなものだったのか。

奇行の画家・ゴッホの謎の死

画像 : ゴッホ public domain

絵が得意な問題児

ゴッホは1853年、オランダの南部にあるズンデルト村で生まれた。父親はキリスト教の牧師をしており、親戚にも有力者が多い裕福な家庭で育った。兄弟は3人の妹と2人の弟がおり、弟の1人はテオドルスとは特に仲が良かった。

そんなゴッホは子供の頃から気難しくすぐに癇癪を起こす少年で、学校の先生や両親の手を煩わせる問題児だったが基本は家族想いであり、この頃からすでに絵を描く事が得意だったという。

転職を繰り返し、画家を決意する

16歳の時に学校を中退し、伯父のコネによって画商で働き始めるが7年後に解雇されてしまった。

その後、教師、書店員を経て、牧師の道を志すも受験勉強で挫折し、また伝道師になろうと実習するも上手くいかなかった。何をしても続ける事が出来ず、ゴッホは自分が何をすれば良いのか悩んだ末に、子供の時から得意であった絵を描き、生業にしようと決意する。

ゴッホはこの時27歳、初めて画家として歩み始めたのである。

目で見たものを描く

奇行の画家・ゴッホの謎の死

画像 : ひまわり

奇行の画家・ゴッホの謎の死

画像 : 赤い葡萄畑

ゴッホは画商として働く弟のテオドルスから資金援助を受けながら、オランダ、ベルギー、フランス各地を転々としながらも絵の研究に励み、創作活動に打ち込んだ。

後にパリで印象派の画家達と交流し、自然やそこで生活する人々、動植物を目の前にして制作した。

積極的に活動するも心身共に疲弊し、南フランスのアルルの地へと渡る。アルルでは降り注ぐ太陽と風景を描く事にこだわり、そこから代表的な作品が数多く完成した。

しかし精神疾患により問題行動、奇行を繰り返した末に1889年、サン・レミ精神病院へ入院する。入院中も創作活動を続けており、作品も徐々に評価されるようになった。

しかし退院後の1890年7月、銃で胸に撃たれて37歳で急去する。自殺を図ったというのが定説だが、現場を目撃した者はおらず真相は不明である。

生前に売れた絵は「赤い葡萄畑」という作品一枚だけだった。

いくつもの精神疾患

幼い頃から癇癪持ちで、浮き沈みが激しい性格であり、時々発作を起こして記憶を無くしたり奇行を繰り返したりした。

他にも自傷癖、アルコール依存、ニコチン中毒などの問題を抱えていた。

これらの症状は、てんかん発作、統合失調症だったのではないかと推測されている。

浮世絵に魅了される

奇行の画家・ゴッホの謎の死

画像 : タンギー爺さん

19世紀後半、日本の大衆文化である浮世絵が海を渡り、フランスの地で注目された。

ジャポニズムと呼ばれた西洋画の画法と全く違う文化の浮世絵は、その構図、色彩、モチーフ、色々な面で当時の前衛画家達に影響を与え、彼らは自らの作品に積極的に取り入れようとした。

同様にゴッホも浮世絵に魅了され、アントワープにいた頃から貧乏生活に関わらず多くの日本版画を集めた。

歌川広重の名所江戸百景「亀戸梅屋舗」「大はし あたけの夕立」などの模写を多く描き、それを自身の作品に取り入れた。慕っていた画材屋さんをモデルに描いた「タンギー爺さん」などの、作品の背景には浮世絵が描かれている。

また、ゴッホは鮮やかな色彩の浮世絵の世界が現実にあると思い込み、日本をその理想郷と考え、南フランスのアルルの地に重ねていた。

アルルに来たゴッホは「画家たちの天国、まさに日本そのものだ」と言ったという。

耳切り事件

ゴッホはアルルの地で、パリにいた時に親しくなった芸術家達に声を掛け、芸術家同士での共同生活を発案した。

画像 : パリのアルフォンス・ミュシャのアトリエでハーモニウムを演奏するゴーギャン(1895年頃)

これに応えたのは画家のゴーギャンだった。

当時、ゴーギャンも絵が認められず極貧生活で、アルルで共同生活をすれば生活費がかからないからという理由が大きかった。

ゴッホは共同生活をとても喜び「黄色い家」と呼ばれた建物で生活を始める。しかし現実を写し取ろうとするゴッホと、写実的な描写はせずに現実離れした色彩や色面を取り入れる作風のゴーギャンとで、芸術論の衝突があった。

1888年12月23日、その日も激しく討論していたが、興奮がおさまらないゴッホは剃刀を手に取って自身の耳を切り取り、それを馴染みの娼婦ラシェルに「この品を大事に取っておいてくれ」と渡した。

この事でゴーギャンはパリに戻り、ゴッホは精神病院へ入院する事になる。

ゴッホの死の謎

奇行の画家・ゴッホの謎の死

画像 : ガシェ(当時61歳)は、ホメオパシーを用いる医師であり、マネ、ルノワール、セザンヌ、ピサロ、ギヨマンらと親交を持つ美術愛好家でもあった

ゴッホの退院後、弟のテオドルスは信頼しているガシェ医師にゴッホを託した。ガシェ医師は美術愛好家でもあり、パリ近郊のオーヴェルという村に住んでいた。ゴッホもこの地で下宿しながら創作活動をした。

ゴッホはこの時、テオドルスがゴッホへの援助や妻の医療費など出費がかさみ生活が苦しくなっている現状を知り、負い目を感じていたという。

そして1890年7月27日、散歩先から急ぎ足で下宿先に戻ってきたゴッホの胸には弾丸が撃たれていた。驚いた下宿先のラヴー夫妻がガシェ医師を呼ぶも、弾丸は摘出困難な位置にあり手の施しようが無かった。その2日後の29日にこの世を去った。(享年37)

ゴッホの死には2つ説がある。

ひとつはテオドルスにこれ以上負担をかけたくなかったため、銃で自殺を図ったという説。

もうひとつは、ゴッホは時々オーヴェルの子供たちの遊び相手をしていたのだが、この時持っていた護身用の銃に興味を示した子供が、銃を触った際に暴発させてしまった。そしてゴッホは子供を庇い、真実を話さなかったという説である。

画家としては10年という短い人生に幕をおろしたゴッホ。

奇行を繰り返したり順風満帆では無かったが、献身的な弟に支えられ、多くの名作をこの世に残した画家であった。

 

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草の実堂編集部

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

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