海外

日本に中国における「パンダ」の関係 【パンダ痴漢】

日本に中国における「パンダ」の関係

パンダの可愛らしい仕草は、子供から大人まで魅了する。

パンダの繁殖には多くの人が関心をもっており、子供が生まれたとなれば全国ニュースでも取り上げられ、成長の様子も逐一報道される。
公開となると、整理券が配られ長蛇の列ができて抽選になることもある。

なぜパンダはこのように人気があるのだろうか?

筆者が中国に在住していた頃、ある資料でこのように解説されていた。

私たち人間がパンダを好きな理由は、人類の生存本能に由来している。可愛い赤ちゃんを見た時に多くの人は可愛いと思う。
では、もし見た目がグロテスクな宇宙人の赤ちゃんだったらどうだろうか? きっと可愛いと思わないだろう。

人類は乳児に対して「愛しく思う、守ってあげたい」という感覚を持つものである。
パンダと赤ちゃんの間には多くの共通点がある。大きな瞳に大きな頭、丸い顔、短い手足にぎこちない動き。
実際の瞳はたいして大きくないが、目の周りの黒い毛のせいで、目が大きいように見える。

パンダが人気者なのは、理由があるのだ。

パンダ外交

中国がパンダを外交の手段として使うことは有名である。俗に「パンダ外交」と呼ばれる。

つまり中国からの貸出パンダである。レンタル料を支払い、パンダが死んでしまった場合には賠償金を払う。

では、パンダ外交の歴史はいつ始まったのだろうか?
パンダ外交の歴史は685年の唐朝にまで遡る。女帝・武則天の時代である。

日本に中国における「パンダ」の関係

画像 : 則天武后

685年から1982年まで、中国は国外に向けて40頭あまりのパンダを送り出してきた。
日本の「皇家年鑑」によると、685年に武則天は天武天皇に二匹のパンダと、70枚ものパンダの毛皮を送ったという。

685年9月18日午前9時、美しく飾られた大きな檻に入れられた2頭のパンダが長安から船で日本へと出発した。パンダは平和の使者として、友好の証として、中国からの贈り物として日本へ送られたのだった。

唐とその一つ前の王朝・隋は、遣唐使、遣隋使でも知られる。
特に唐の文化は日本に大きな影響を与えた。

パンダは685年から1982年までは贈り物だったが、それ以降はレンタルパンダとなった。

ワシントン条約でパンダは絶滅危惧種として分類され、商業目的の売買が禁止されたのである。

そこで現在では「貸出」という形となっている。

パンダ痴漢

中国のネットでは「日本人はパンダが異常に好きだ」という文章が多く見られる。もはや「パンダ狂い」といった書かれ方である。

興味深かったのは「熊貓癡漢」という言葉である。つまり「パンダ痴漢」という事である。
日本人には一つの物を好きになると、その物に固執して探究する性質が強く、それは「オタク文化」を作り出した。

中国人から見ると、日本におけるパンダもそのように映っているようである。

 

草の実堂編集部

投稿者の記事一覧

草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く
Audible で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. インドカレー店がなぜ多いのか調べてみた【法務省も関与していた!?…
  2. 【売春婦からファーストレディへ】 アルゼンチン大統領夫人・エビー…
  3. ポンペイはなぜ一夜にして消えたのか? 【石膏で復元された遺体】
  4. 『中国の観光地が渋滞で限界突破』 万里の長城が満員電車状態、砂漠…
  5. サハラ砂漠は現地の言葉で訳すと「砂漠砂漠」だった!
  6. ゲイたちに愛されたジュディ・ガーランドの娘 「ライザ・ミネリの現…
  7. 中国詐欺グループの手口について調べてみた 「電話詐欺、裏口入学詐…
  8. 人類滅亡を示唆? 狂気の実験 「死への羽ばたき・ユニバース25」…

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

【硫黄島で戦死した金メダリスト】バロン西と愛馬ウラヌスの偉業 「1932年ロス五輪」

2024年7月29日、パリ2024オリンピックに湧くフランスから、日本に吉報が入った。馬術の…

国王のあだ名について調べてみた

歴代の国王は、時にあだ名をつけられ,それが今日まで伝わっている人物もいる。特にヨーロッパの国王は…

【どうする家康】 羽柴秀吉が徳川家康を上洛・臣従させるまで 「まさに三顧の礼」

時は天正12年(1584年)3月、羽柴秀吉(はしば ひでよし)による織田政権簒奪に立ち向かった徳川家…

周倉の武勇伝・どこまでも関羽ひとすじ…『三国志演義』の名脇役

中華街の関帝廟(かんていびょう)へお参りに行くと、主祭神である関羽(かん う。字は雲長)の両隣に対照…

空論(うつろ)屋軍師 江口正吉【信長や秀吉が称賛した丹羽家の猛将】

江口正吉とは丹羽長秀・長重の親子2代に仕えて忠義を尽くした軍師が 江口正吉(えぐちまさよし)…

アーカイブ

人気記事(日間)

人気記事(週間)

人気記事(月間)

人気記事(全期間)

PAGE TOP