眷村とは
眷村(ケンソン)とは、台湾政府が中国からやってきた外省人に与えた土地と家が密集した地区のことである。軍属村と訳すこともできる。
眷村に住んでいたのは外省人の軍人であり、その妻や子供など家族も共に住んでいた。彼らは一つの小さなコミュニティーを作り、その中で物を売り買いしたり、田畑を育てたり、家畜を飼っていた。
子供の頃に眷村に住んでいた人たちは、口を揃えて「眷村の生活は良かった」「みんなが家族のようで、貧しい中でも眷村のみんなで助け合って生活していた」と懐かしく語る。
両親が子供の世話をしない家があっても、子供達はお腹を空かせることはなかった。
筆者の友人の両親は、父親は軍人で家におらず母親は博打好きで子供の世話をしなかったが、友人とその兄はいつもよその家でご飯を食べていたという。
日本における、お年寄りが昭和の生活を懐かしむのと同じ感覚であろうか。昔の「長屋暮らし」に似ているかもしれない。
昔ながらの味
台湾に住んでいると、飲食店の看板やメニューに「眷村」という字がよく使われている。
「眷村の味」「眷村のお母さんが作った麺」といった具合である。つまり「昔ながらの懐かしい味ですよ」といった感じの看板文句である。その文句は多くの人を引き寄せる。
筆者が中国に住んでいた時も感じたが、中国人(台湾人にとっては外省人)は料理がとても上手い。餃子はもちろん、各種家庭料理は男性でもパパッと作ってしまう。
そんな彼らが住んでいた眷村の味は、間違いなく美味しいのである。
そんな昔懐かしの眷村は今では大部分が取り壊され、高層住宅へと姿を変えている。
なぜ取り壊される必要があったのか?
1949年の国民党政府の敗北から、約100万人の軍人とその家族たちが中国に戻ることができなくなった。前述したとおり、彼らの住居を確保するために与えられた土地と住居が眷村である。
当時の眷村の住居は簡素で決して良いものではなかった。その後、時代とともに家屋の老朽化が進み、再建となるとかなりの費用がかかることが問題となった。
そこで政府は1990年代から、古い眷村を取り壊して大規模な住宅を建てることを計画した。
眷村があった場所に新しい建築物を建てるなど、古き良き懐かしき台湾の風景は形を変え、高層住宅へと姿を変えていったのである。
ある日、友人の運転で出かけた時のこと、広々とした空き地に有刺鉄線がぐるりと張り巡らされていた。
この場所は後に新幹線が通るのだとか。そしてその広大な空き地はその昔、眷村であったという。筆者が見た時は何もない更地となってしまっていた。
ここが故郷だったという人も多いだろう。多くの思い出や物語があったに違いない。
なんだか感慨深い気持ちになった。
観光名所となっている眷村
しかし全ての眷村が取り壊されているわけではない。その中のいくつかは観光地として保存されて公開されている。台湾の古き良き風景を保存しようという取り組みからである。
中に人が住んでいるわけではないが、建物を再利用してカフェやレストランや雑貨店として生まれ変わっている。眷村の中の様子が再現されており当時の様子を垣間見れる。映画館もある。
筆者が住んでいる屏東には「勝利星村」という観光地があり、多くの日本式家屋が立ち並んでいる。
日本陸軍が眷村に隣接した場所に宿舎を建てたことから、この一帯は位の高い軍人の宿舎なども見られる。
瓦屋根の平屋が一帯に立ち並んでいる。庭も広く窓が大きく設計されており、風通しが良い住心地の良さそうな家屋となっている。
日本人の筆者からすると何となく昭和レトロな感じである。筆者もお気に入りの場所だ。
台湾を訪れる予定の方はぜひ「眷村」と検索して足を運んでみてほしい。昔懐かしの台湾に出会えるはずだ。
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