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【マカオの象徴】 聖ポール天主堂跡の歴史的価値と魅力 「4つの構造」

聖ポール天主堂とは

聖ポール天主堂跡の歴史的価値と魅力

画像 : 裏側から見たファサード wiki c Mo707

マカオのランドマークとして知られる聖ポール天主堂跡は、毎日多くの観光客が訪れる場所だ。

「マカオといえばココ!」と言っても過言ではないスポットであり、訪れた人々はこの場所で映える写真を撮影している。

マカオはかつてポルトガルの植民地であり、イエズス会が多くのカトリック教会を建てた。その数は大小合わせて18に及ぶ。
これらの教会はマカオの宗教的な風景を形作り、今日もその影響を感じることができる。

また、マカオは中国と西洋文化の融合地でもあり、40の仏教寺院と18の郷土寺院も存在している。

このように、マカオは多様な宗教と文化が共存する特異な場所なのだ。

世界遺産

聖ポール天主堂跡は2005年7月15日に「歴史地区」として世界遺産に登録された。
その登録範囲は正確には「天主堂跡」とその前の「石段」である。

現在、天主堂は正面の外壁だけが残っている。

下から見上げると、中心にマリア像があり、一番高い所には十字架が立っている。
この壁は四層に分かれてデザインされており、それぞれ異なる意味を持つ。

聖ポール天主堂の4つの構造

聖ポール天主堂跡の歴史的価値と魅力

画像 : マカオ 聖ポール天主堂跡 photoAC

1層目は教会の入り口であり、三つの門がある。中央の正門とその両脇の副門で、イオニア式の太い円柱が10本使われている。

壁には規則正しい幾何学模様が施され、「聖母マリア」のラテン語が刻まれている。この層は信者が教会に入るための入り口であり、神聖な空間への入口を象徴している。

2層目も同じように10本の柱でなっている。だがこの柱はコリント式だ。

イエズス会の創始者・ロヨラを含む聖者たちの銅像が4体あり、これらは16、17世紀にマカオの大砲製造工場で作られたものである。
この層は聖徒たちの徳と信仰の象徴であり、教会の精神的な支柱となっている。

3層目は6本の柱で構成されており、その様式は混ざり合っているという。

そしてこの層の主題は「聖母マリア」である。

聖ポール天主堂跡の歴史的価値と魅力

画像 : マカオ 聖ポール天主堂跡 聖母マリア photoAC

聖母マリアは壁にくり抜かれた祭壇の中におり、その周りは百合の装飾で飾られている。ちなみに百合が示すのは純潔である。

聖母マリアの左には噴水があり、これは知恵の源を表現している。そして6人の活発な天使が、聖母マリアの昇天を喜んでいる。

3層目の左側には、横たわった人形の悪魔がおり、その心臓には弓矢が刺さっている。
その脇には中国語で「魔鬼是誘人為悪」と書かれている。

これは「悪魔は人を誘って悪事を行わせる」という意味である。

画像 : マカオ 聖ポール天主堂跡 悪魔 photoAC

そして右側には一体の骸骨がおり、中国語で「念死者無為罪」とある。

これは「死者を思い、罪を犯さない」という意味で、「人は死者を思い出すことで、自分自身が罪を犯さないように心がけるべきだ」という教訓を含んでいる。

画像 : マカオ 聖ポール天主堂跡 骸骨 photoAC

4層目の様式も混合式で、主題はキリストである。

キリストは中央に配置されており、百合と薔薇の装飾に囲まれている。

画像 : マカオ 聖ポール天主堂跡 キリスト photoAC

作者はキリストの壮絶な死をリアルに再現するのを躊躇ったのであろうか、その周りには天使がおりキリストに付き添っている。

そしてそのてっぺんには、大きな十字架がデザインされている。

十字架のすぐ下には聖霊の化身である鳩がおり、太陽や月や星など神が創造した宇宙が装飾されている。

聖ポール天主堂の歴史

聖ポール天主堂の建築は1602年に始まり、約30年もの月日をかけて1637年に完成した。

その大きさは高さ25.5メートル、幅23メートルであり、頑丈な花崗岩の土台に多様な石柱を積み重ねた壮大な建築である。
この建物は世界中の教会の中でも独特であり、唯一無二の存在だ。

しかし、1762年にイエズス会の活動が禁止され、教会は閉鎖された。その後、聖ポール天主堂は1835年に火災によって焼失し、前壁だけが残された。

現在、残されたこの前壁はマカオの歴史的遺産として保存され、訪れる人々にその壮大な過去を物語っている。

参考 : 澳門檔案館、「澳門世界遺產:大三巴牌坊」

 

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草の実堂編集部

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

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