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【オーストリア少女監禁事件】 8年監禁された少女が犯人の自殺に涙した理由

画像 : 2019年のナターシャ wiki cc C.Stadler/Bwag

1998年3月2日、オーストリアの首都ウィーンで、当時10歳の少女ナターシャ・カンプッシュが通学途中にヴォルフガング・プリクロピルという男によって誘拐される事件が発生した。

ナターシャはその後8年間にわたってその男の自宅に監禁されるが、2006年8月23日、自力で脱出に成功し、自由と人生を取り戻した。

ナターシャはこの時、18歳になっていた。

ナターシャは自分を誘拐監禁したヴォルフガングを擁護する発言を繰り返していることから、「ストックホルム症候群に陥ったオーストリア少女監禁事件」として世界中に知られることとなる。

用意周到な犯行、監禁地下室は用意されていた

当時10歳のナターシャはその日の朝、いつも通り自宅を出て学校に向かっていた。

その道は通学路であり、彼女は毎日同じ時間に同じ道を通っていた。

犯人のヴォルフガングは、誘拐のタイミングを狙って彼女を待ち伏せていた。
ヴォルフガングは、ナターシャを誘拐するために彼女の通学の習慣と様子を綿密に観察し、以前から用意周到に準備していたのだ。

彼は白いバンを道端に停め、後部ドアを開けてナターシャを強引に車内に引きずり込み、彼女は抵抗する暇もなく誘拐されてしまう。

ヴォルフガングは自宅に着くと、ナターシャを地下室に連れて行き、秘密の部屋に閉じ込める。

この地下室は監禁用に改造されており、外部からは完全に隔離されていたのだ。

初期の監禁生活と洗脳

画像 : ナターシャが8年間監禁されていたヴォルフガングの家 cc Priwo

ナターシャは、この地下室で最初の数年間を過ごすことになった。

彼女はヴォルフガングから

「ドアや窓には爆弾が仕掛けられている」

と脅され、逃げ出すことは不可能だと思い込まされていた。

さらに、

「両親はお前のことを忘れている」

「親は身代金を払おうとしない」

といった嘘を語り、精神的な圧力をかけ続けて洗脳し、ナターシャは次第に自分が完全に孤立していると思い込むようになっていった。

その一方で、ヴォルフガングはナターシャに読書やテレビを見ることを許し、彼女はある程度の教養を身につけることができたのだった。

思春期に入り虐待が過激化

画像 : イメージ

誘拐から数年が経過し、ナターシャが思春期を迎える頃になると、ヴォルフガングとの共同生活はさらに複雑で厳しいものとなった。

上階での生活が一部許されるようになり、ナターシャは隙を見て逃走の機会を伺うようになっていった。

そのため、ヴォルフガングは彼女に自分の1メートル後ろを歩くことや、一定の時間、完全に沈黙することを強要するようになる。

彼女が小さな声を出すだけでヴォルフガングは激怒し、首をつかんで流し台まで引きずり、頭を水に沈めるなどの暴行を加えるといった虐待が日常化した。

彼女が少しでも指示に従わないと即座に罰が下され、ナターシャの行動はすべてヴォルフガングの監視下にあり、彼の許可なしには何もできない状況が続いた。

また、ナターシャは何日間も飢えさせられることもあり、これにより彼女の心身は大きなダメージを受けたのだった。

ナターシャの強い精神力とヴォルフガングの歪んだ依存心

過酷な環境の中でもナターシャは次第にその生活に適応し、生き延びるための術を身につけていった。

彼女はヴォルフガングの要求に従いながらも、内心では逃走の機会を常にうかがっていた。

そしてヴォルフガングは、ナターシャを完全に支配しようとする一方で、彼女に対して一種の依存心を抱いていた。
彼はナターシャを自分のものと考え、彼女を手放すことを恐れていたのだ。

彼の行動は、母親の愛情に飢えていた幼少期の経験や、マザーコンプレックスに起因していたと後に分析されている。
当時10歳のナターシャを標的にしたのは、自身がもっとも親の愛情を欲していた年齢に重なるためだったとも言われている。

ヴォルフガングの心理的背景は、ナターシャに対する異常な執着と厳しい監視の一因となっていたのだ。

無事脱出するも、犯人の自殺に涙する誘拐被害者

2006年8月23日、18歳になったナターシャはついに脱出の機会を得る。

ヴォルフガングが庭で電話をしている隙を突き、ナターシャは監禁されていた家から逃げ出すことに成功し、近隣の住民に助けを求め、無事警察に保護されたのだった。

警察に保護されたナターシャはすぐに医療機関に搬送され、健康状態の確認が行われた。
8年に及ぶ監禁生活による心身のダメージが懸念されたが、彼女は驚くほどしっかりとしていた。

ナターシャの脱出に気づいたヴォルフガングルはすぐに車に飛び乗って自宅を離れ、オーストリア各地を転々としながら逃亡を試みた。
彼は身を隠すために計画的にあらゆる手段を講じており、警察の追跡を巧みにかわしていたという。

しかし、ナターシャの脱出から約12時間後、この先に逃げ道はないと観念したヴォルフガングは、列車に飛び込んで自ら命を絶ってしまう。

警察からヴォルフガングの自殺の報せを聞いたナターシャは、驚くべきことに涙を流し、彼の死を悲しんだという。

彼女は8年間の監禁生活の中で日常的に暴力を振るわれながらも、ヴォルフガングを完全に憎むことができなかったのだ。

「ストックホルム症候群」は、極限状態での合理的な生存戦略

画像 : イメージ

ナターシャのヴォルフガングに対する反応は、「ストックホルム症候群」として説明されることが多い。

これは、1973年にスウェーデン・ストックホルムにあるクレジット銀行で発生した、銀行強盗・拉致監禁事件で被害者たちに起こった現象で、誘拐や監禁などの被害者が加害者に対してシンパシーを抱く症状である。

しかし、ナターシャ自身は2010年、イギリスの大手新聞『ガーディアン』のインタビューで次のように述べている。

「被害者に、ストックホルム症候群という病名をつけることには反対する。

これは病気ではなく、特殊な状況に陥ったときの合理的な判断に由来する状態である。

自分を誘拐した犯人の主張に自分を適合させるのは、むしろ当然である。

共感を示し、コミュニケーションをとって犯罪行為に正当性を見い出そうとするのは病気ではなく、生き残るための当然の戦略である。」

ナターシャは、自身にストックホルム症候群というラベルを付けられることに嫌悪感を示し、精神疾患ではなく、極限状態での合理的な生存戦略だったと定義づけている。

誘拐をポジティブに捉えるナターシャ

画像 : 映画『3096Days』ポスター wiki cc

ナターシャは2006年の脱出後、自伝『3,096DAYS』を執筆し、2010年9月に出版。

この自伝には、彼女がどのようにして犯人のヴォルフガングに誘拐され、どのような生活を送ったか、そしてどのようにして脱出したか、8年の体験が詳細に記述されている。

長い監禁生活を失われた時間とは捉えず、自らの成長の一部として受け入れている姿が描かれている。

2013年には自伝を基にした映画『3,096DAYS』も公開され、ナターシャ自身もプレミア試写会に登壇。

そこでもインタビューに対し、以下のように誘拐されたことを前向きに捉える発言をしてメディアを驚かせた。

「誘拐された8年は何かを失ったと感じてはいない。

むしろ、禁煙や飲酒、悪い友達との付き合いを避けることができた。」

現在のナターシャ

2024年現在、36歳になったナターシャは作家として活動するだけでなく、ジュエリーブランド『Fiore』の立ち上げや、自身の経験を通して得た教訓を生かしてスリランカに小児病棟を建設するなど多方面で活躍し、慈善活動にも精力的に取り組んでいる。

ナターシャの「オーストリア少女監禁事件」は、オーストリア国内外で大きな衝撃を与え、誘拐事件や監禁に対する社会の関心を高めた。

オーストリアでは、子どもたちの安全対策や被害者支援の重要性が再認識され、多くの制度や取り組みが見直された。

ナターシャ・カンプッシュの8年間の監禁生活は極めて過酷なものであったが、彼女はその経験を乗り越え、自立して輝く女性として新たな人生を歩んでいる。

前向きに生きる彼女の姿は、極限状態に置かれた人間の強さと、希望を持ち続けることの重要性を教えてくれている。

参考 :
『3,096DAYS』ナターシャ・カンプッシュ
The Guardian『A victim’s story』

 

藤城奈々 (編集者)

藤城奈々 (編集者)

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ライター・構成作家・編集者
心理、人間関係のメカニズム、スピリチュアル、宇宙
日本脚本家連盟会員

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